第27話 八景島で奴隷生活 その2
「先輩、実はね……」
開園待ちの間に突然瑞希が僕達に話しかけてくる。
「実はね、最近誰かに見られてる視線を時々感じるんですよ。誰かに監視されてるような感じなんです」
「瑞希ちゃん、変質者とかじゃないの? それってヤバイよ」
那智の言う通り変質者だとすると身が危険だ。僕も心配になって聞いてみた。
「瑞希、その誰かの視線って、視線だけで不審者の姿は見えないのか?」
「うん……、なんとなく感じるだけで振り返っても誰もいないし、本当になんとなくなんですよね……」
首を傾げる瑞希に神楽坂先生がノホホンと声を掛ける。
「三枝は気にしすぎなんじゃないの? 私なんていつも見られてる気配をビンビンに感じて、実はそれが快感だったりするのよね!」
――先生、それは自意識過剰の病気だと思います。
「まあ瑞希、変な人を見かけたら知らせてくれよ。自分で捕まえようとかしたらダメだからな!」
「そうだよ! そういう危ない役目は甚にやらせとけばいいんだからね!」
「岸本くん、アタシは守ってくれないのかなぁ♡」
――先生、僕は逆に神楽坂先生に襲われる人の方を心配します。先生だったら襲いながら『下の上』とか言いそうで怖いです。
と、そんな話をしているとようやく開園の時間となり、マリンゲートを渡っていく。橋の上を徐々に進む人波の中、那智が僕の肩をコンコンと叩いてきた。
「もう甚! アンタ馬鹿なの!? さっきからお弁当セットを持とうともしてないじゃない! 男でしょ、持ちなさいよ!」
「ああ、そうだな……。瑞希、そのバッグをこっちに渡せよ。俺、持つからさ」
瑞希が作ってきたお弁当のバッグを僕が受け取ると、何故か那智も自分のバッグをズイッと突き出してきた。
「あれ? 那智も……作って……きたの? もしかして」
「当然でしょ! なに、食べたくないわけ!?」
那智のお弁当か、これはまずいな。と逡巡している僕に、更にもう一つのバッグが突き出される。
「喜べ岸本、先生の手作り弁当を食えるなんて、お前は果報者だな!」
なんと神楽坂先生までお弁当を作ってきたという。その弁当セットの入ったバッグを三つ、男だからという理由で全部持って園内を歩けと那智が言う。
「これ……、重たいからまとめてコインロッカーに入れたら――」
「ダメダメ!! 今日は天気いいんだからコインロッカーに入れて、お昼までにお弁当が傷んだらどうするのよ!! 甚が持って歩くのに決まってるでしょ」
そんなことを言って那智が目を三角にして怒るけれど、僕は知っている。
那智のお弁当はある意味最初から痛みかけみたいなモノだということを――ボクハ、シッテイルノダ……。
「岸本、女が三人とも作ってきたお弁当だ、粗末に扱ったらバチが当たるぞ」
フンボルトペンギンのコスプレを着ているくせに、妙な正論っぽいことを言って僕を諭す先生。
仕方がないので僕はお弁当バッグを3つ手に持ち、みんなと一緒にチケット売り場へと向かった。
♡
水族館というところはいつ来ても幻想的だところだ。薄暗く青白い館内、円形の水槽を回る小魚の群れ、優雅に泳ぐ大型のエイやサメ。水槽を突き抜けるエスカレーター、アクアチューブは海の中を散歩している気分にさせられる。魚を見ているのか、魚に見られているのか、そんな不思議な気分になりながら僕たちは館内を巡った。
多少混雑している水族館の中を歩く女性三人組。瑞希は普通の女子高生らしい服装で、那智は華奢でボーイッシュな格好、――そして27歳のフンボルトペンギン。薄暗い中でも行き違う男性数名がフンボルトペンギン先生27歳をチラ見しているのを、僕は達観して見ていた。
僕たちは円形水槽を離れ、個性的な生き物を展示しているゾーンへと入った。そこにはタコやクラゲ、カニなどの水槽が並んでいる。
「甚! このウツボ見てよ、こいつ悪そうな顔してる、絶対に噛みつかれたくない!」
ウツボの水槽を指差しながら那智がゲラゲラ笑う。ウツボにはなにか那智の笑いの琴線に触れるものがあったらしい。
「ウツボは海のギャングらしいからな、指とか食いちぎられるかもな」
そう言いながら僕が振り返ると、瑞希は瑞希でジッと大きなタカアシガニを見ていた。
「美味しそう……」
ポツリと呟く瑞希の目は、美味しい食材を見つめるウットリとした目だ。
「瑞希、カニ……好きなのか?」
僕の問いに瑞希はカニを見つめながらコクリと頷いた。
「おい岸本! 岸本! こっち見てみろ、チンアナゴだって! チンアナゴ! おい岸本! チンアナゴだって言ってるだろ!」
向こうの方ではフンボルトペンギンが何か言っている。あのフンボルトペンギンが言っている岸本は僕じゃない、たぶん別の岸本だと心の中で祈る。
「おい岸本! お前が自信を失うような大きさじゃないから、このチンアナゴをちょっと見てみろって!」
フンボルトペンギンのコスプレでチンアナゴ、チンアナゴと連呼する神楽坂夏美先生27歳。
そんなフンボルトペンギン先生を放っておいて、僕たち三人はペンギンとは無関係な顔を装って展示ゾーンをそっと離れたのだった。