ゲルバイド丘陵の戦い前日
シドがゲルバイド丘陵に足を踏み入れる前日、すなわち12月20日だが、カスト・グアンザムの玉座の間で大臣達、将軍達を交えた論争が起きていた。ありていに言えば「玉体お運びするなどとんでもない」と反対する大臣達、将軍達を相手にシドが詭弁、換言を用いて説得していたわけだ。
「なぜゲルバイド丘陵にて会戦するんだ!このカスト・グアンザムに立て篭もり、迫り来る帝国軍を籠城戦にて苦しめればよいではないか!」
「その通り。敵方五万強に対して我が方は一万強しかいない。戦力差を考えれば籠城の一択しかない。そも、他国の人間が国政に関わるなど本来あってはならぬことだ。なぜ、貴様がこの場にいる!」
「籠城戦!これしか勝機を見出せる手はない。みすみす帝国軍とぶつかり合うなど亡国ではないか!」
飛ぶのは罵詈雑句。例言、私言の類だ。はぁ、とため息をつきながらシドは彼らの説得を試みた。
「まず、籠城戦こそが上策のように皆様方はおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか。籠城戦とはつまるところ持久戦、こちらの忍耐が相手方よりも求められます。カスト・グアンザムは確かに堅牢堅固、一度門を閉めてしまえば大陸のいかなる存在も打ち砕くことはできないでしょう。しかし、攻撃とは何も剣と剣、槍と槍を交わすだけのものではありません。
近年、我が国とミュネル王国の間で戦争がありました。その際、宰相アザシャルと彼の郎党は王城に籠城しましたが、四日ほどで内輪揉めを起こし、一党は宰相の首をもって降伏しました。数で言えば二万の軍に、つまり帝国軍の半分以下の兵士に囲まれて、です。
籠城戦をする、とおっしゃいましたが、長きにわたる閉塞は遠戦感情を増幅させます。変わらない日常、気が休まらない安寧、それは必然的に人の恐怖心を刺激し、狂気に奔らせる。それが起きない、と実際にその場に居合わせた当事者としては思えませんな」
「き、貴様!貴様は我らの忠義を苦労するのか!」
「一例のみで全てを語るは愚か者のすることだ。そも、忠君を他国の人間に侮られるは心外である!」
貴族ら、大臣らからシドへの批判が飛び交った。怒気を露わにし、上級伯爵であるヴェルドット・ギン・バークロアを筆頭に彼らの敵意はシドへと突き刺さった。対照的にエルランド・オーリーンを筆頭にする軍部の人間は険しい表情をシドに向けたまま情勢を見守っていた。そのことに安堵を覚えつつ、シドは怒り心頭の貴族達、大臣達に向き直った。
「感情論を抜きにしても、籠城戦は下策ですよ。おそらく皆様はこのロサ公国の冷気が、零下の大地が迫り来る帝国軍を撤退させると考えているのでしょう。そう考えるのも無理はありません。ですが、断言しましょう。帝国は撤退しませんよ」
「何を根拠に」
「一つは帝国の戦略目標です。先に挙げたミュネル王国を含めたグリムファレゴン半島西部の四邦国に対して帝国の情報機関が分断工作を行いました。帝国の戦略目標の一つである我がヤシュニナ氏令国の戦力を弱体化させるためです。恥ずかしながらこの動乱によりヤシュニナは特に陸上戦力を著しく損なってしまいました。帝国の目論見通りに。
帝国は攻勢を仕掛ける機会を今か今かと狙っております。しかし、そのために戦力をグリムファレゴン島に向けた場合、帝国に対して敵対する、あるいは潜在的脅威となる諸国家はまさに目の上のたんこぶというわけです。つまり貴国が」
途端に貴族達、大臣達は閉口し、渋面を浮かべた。
「前菜か何かだと言うのか!」
「言葉を飾らなければそうですね。ですから籠城戦を選べばこれ幸いと帝国軍は進駐政策を進めますよ。ロサ公国の伝統的な文化、建築、習慣は排斥され、帝国式の文化、建築、皇帝崇拝が礼賛される。そんなディストピアが王城に閉じこもっている間に展開されるのは嫌、ですよね?」
嫌どころの騒ぎではない。国家の権威、文化、民族性を踏み躙る屈辱を通り越して、恥辱的な行為だ。
伝統、習慣、文化とは国家にとって必要不可欠な存在だ。民族性のアイデンティティとなることは言うまでもなく、その文化の中で生きることが国民の証と言っても過言ではない。先祖代々から受け継ぎ、守ってきた国民共有の財産のようなものだ。
そんな伝統も習慣も何もかもを否定することは容易ではない。ゆえに占領地の人間を丸ごと占領国の人間にするため、様々な非倫理的な手段が推奨される。単純な懐柔が無理ならば、という前提条件はあるが。
もし籠城戦に出れば外部とは完全に寸断される。外の状況を知ることはできず、何も手を打つことができない。援軍が来ることは絶対にないため、不抜の堅城は不破の牢獄と化す。
「籠城戦、それは敗けの先送りに他なりません。オーリーン将軍もそれがわかっているからこそ、あえて強固に主張なさらなかったのでしょう?」
シドの指摘を受け、それまで沈黙を貫いてきたエルランドはゆっくりと頷いた。彼の表情には憔悴の色が見える。国防を預かる軍人として、今回の帝国の侵攻が相当こたえたのだろう。まさか鉄騎兵が破られるなど思っていなかったはずだ。
籠城が下策であることはエルランド自身もわかっている。しかし対案がない、と彼の表情にはよく表れていた。そもそもロサ公国の有史以来、帝国はもとよりいかなる外敵もカスト・グアンザム近くにまで侵攻してきたことはなかった。強いて挙げるならば今まさに玉座に座すヘルムゴートと大臣達の間に立つシドくらいなものだろう。
一度も敗北を経験していない、言うなれば常に騎兵突撃で勝利を収めてしまったということだ。将軍、軍の最高位とは名ばかりで、彼らにはほとんど言っていいほど経験がなかった。あるのは知識だけで、それを十全に使うことができない状態だった。
「才氏シド、あなたは頑なに籠城戦を否定するが、ではどこで戦う?王城の外、例えばゲルバイド丘陵地帯などか?」
エルランドの問いにシドは頷いた。
「あの丘陵地帯は広い。我らがどこに布陣を敷こうと迂回して、王城へ向かうのでは?我が軍は残数一万強、丘陵の出口などに同数を配置すれば残りの兵力で王城を包囲することは可能だ」
「まさしくオーリーン将軍のおっしゃる通りだ。確かに籠城戦に勝機がない、という才氏シドの言には同意するが、王城前で数に劣る我々が帝国軍に勝利するなど不可能だ!」
声を挙げたのはバーンロア上級伯だ。彼の背後に並ぶ大臣達、貴族達も首肯する。
「ええ、ですから玉体をお運びするのです。言い方は悪いですが、撒き餌として」
「ま、まき……!不敬であろうが!他国の人間が王陛下を撒き餌よばわりとは!」
「まさしく!そも王陛下を危険な戦地へ、しかも後方の本陣などならいざ知らず、最前線に置くなど言語道断!籠城戦の下策振りには同意するが、玉体をお運びすることはまかりならん!」
「ですが、確実に帝国軍は乗りますよ。彼らを釣る餌として王陛下はまさに格好の存在でありますから」
「だからそれが不可能だと言っている!そもなぜ王陛下でなくてはならん。名のある上級貴族であってもよいではないか」
「無理ですよ。知名度という点で他の王陛下と貴族の方々を比べた場合、王陛下に勝る者はこの国にはいません」
例えばヤシュニナであれば国柱、帝国であれば皇帝というように国家元首とはその国の象徴的存在である。それが戦場に出る、ということはよほどのことだ。
そも、帝国軍はヘルムゴートが死んだ、という情報を得て侵攻してきているので、王旗が翻っている姿を見れば、少なくはない動揺を誘える。死人が蘇ることがほぼ不可能のこの世界で、つい最近公王と王太女が死んだ国で、王旗が権勢高らかに翻っていることなどありえないからだ。
「とにかく。私からこれ以上申し上げることはありません。玉体をお運びするか否かの決定権は陛下にあり、またそれに従うか諫言するかはあなた方にあります。私は一足先にゲルバイド丘陵地帯へ向かいますので、もし出陣の意思あらば街道近くのもっとも小高い丘へ向かっていただきたい。本陣周りの準備をしつつお待ちしておりますので」
「ま、待て!才氏シド!」
貴族の内一人が止めようとするが、シドは彼の手を振り切り、鉄扉の向こうに消えていった。
そして今に至る。
丘の頂上でシドは騎乗し登ってくるヘルムゴートを出迎えた。片膝をつき、首をたれるシドをどういう心境、感情で見ているのか、感情の機微を感じさせない抑揚のない声でヘルムゴートは一言、「出迎え大義」とだけこぼした。
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次話投稿は水曜日か木曜日です。なるべく急ぎます。




