銀国の王
銀の城、カスト・グアンザム。吹雪の最果てに見える白銀の尖塔と城の半分を覆い尽くす氷結晶の塊が特徴的なロサ公国の象徴を馬車の窓から遠目に眺めながらシドは持ってきていた煙管にタバコを詰めていた。外気温にして氷点下4度、氷が張り付いた窓をガンガンと叩き、外の氷を破りながら望むカスト・グアンザムは聞きしに勝る優美な城と言えた。
カスト・グアンザムはおおよそ五千年前に西の王者の建築家によって築かれた天然の要害だ。優美さと壮大さを兼ね備えたその城はロサ公国があるザルグ=ハフティス半島の北方に居を構えていた害獣や特異な亜人種などを南下させないために築かれたと言われている。今となっては五千年の長きにわたる寒冷化によってかつて警戒していたモンスターや亜人種はすでに絶滅し、ただかつての警戒の遺物だけがこの北方の凍土に居座り続けていた。
「あれがカスト・グアンザム。聞いていた以上の大きさですね、シド」
シドが覗いているものと同じ窓から雪嵐の中にその姿を現したカスト・グアンザムを眺めながらカルバリーは淡々と感想を口にする。とんがり帽子で顔が隠れているせいでより一層単調に聞こえる。有り体に言えばアストラ級アイシスが中世の音声読み上げソフトを使って会話をしているようにしか見えなかった。元から感情の起伏が控えめな男ではあったが、ここ100年近くでより一層それが顕著になったようにシドは感じた。
今のカルバリーの淡々とした口調はつい昨日の今日、激昂しロサ公国を一人で壊滅させようとした男のものとは思えない。二重人格を疑いたくなる。——いや、そんなことはない。視線を窓からカルバリーの手元へズラすと、ガチャガチャと羽織っている黒い外套の裏側で無数に持つ魔銃の引き金とスライドを弄っていた。どれも神話級とはいかないが、幻想級、伝説級、歴戦級の超強力な魔銃なのだが、それが暴発でもすれば今乗っている馬車どころかここら一帯が吹き飛ばされかねない。
冷や汗をかきながらシドがカルバリーの動向を注視していると、馬車の扉を叩く音が聞こえてきた。音がした方へ振り向くと黒色の鎧を纏った仮面の騎士が並走していた。誰だろう、とシドが訝しむように仮面をズラし、その裏側にある金色の瞳を覗かせると、相手の騎士も応対するようにそのバイザーを外した。
バイザーから覗かせたのは灰色の瞳、シワがあるが凛々しい年配の男性の瞳だ。それ以上に威厳を感じさせる力がこもった目をしている。外が寒い中並走させているのもどこか申し訳ないと思ったので、シドはカルバリーに馬車の扉を開けるように促した。うなずくカルバリー、しかし警戒はしているのか外套から突き出された鋼の腕以外の手には大小からなる魔銃を握っていた。
扉が開かれるとそれまで並走していた黒衣の騎士は軽やかな手綱捌きでは馬から飛び上がると開かれた扉へ足をかけた。そしてガチャガチャと鎧を鳴らし、馬車の中に入ってきた騎士はドカリとシドの隣に座るとかぶっていた仮面、もとい兜を脱いだ。
兜から現れたのは精悍な顔つきの美中年だ。綺麗な形の口髭と白髪一つない美髯を携えたその男は兜を取ると同時にその中を覗き込み、何かを探すように手を突っ込んだ。数秒と経たずに男は探し物を見つけたのか、腕を兜から抜く。抜いたその手には金色の冠が握られ、目を見張るシド達を他所に男は悠然と冠を手づから自分の頭頂部へと持っていき、その黒曜石にも例えられよう墨色の頭髪の上に「金色の戴冠」をおこなった。
「ふむ、ヤシュニナの使者とやらは存外無粋よな。よもや余自らが兜の内側を晒したと言うのに己の素顔は晒さぬか?」
吐き出された声は重く、威厳を感じさせる。こちらを責めるような、試すような目を向ける王冠を被った男に引け目を感じたのか、まずシドが仮面を取った。瞳はそのままに顔立ちをわずかに変形させたシドの顔は彼の素顔よりもいささかに大人びた麗俐な雰囲気をまとわせた成人男性の顔立ちだ。仮面を取ったシドにしかし男はまだ訝しむような瞳を向ける。だがすぐにその瞳は未だにとんがり帽子を取らないカルバリーを責めるような瞳へと変わる。それを察したシドが両者の間に割って入った。
「——陛下。彼はあの帽子が取れない理由があるのです。どうかお慈悲を賜れないでしょうか?」
無言のまま、陛下と呼ばれた美髯の男は一瞬シドを睨む。そして数秒の間を置き、再び口を開いた。
「それを言うならば貴様もだろう、ヤシュニナの使者よ。貴様も顔を偽っているであろう。それにも理由があり、余の慈悲を賜りたい、などと申すのか?不届きな」
「え……いえ、そんなことは。失礼いたしました陛下。御無礼をお許しください」
何でわかったんだろう、と内心で疑問符をシドは踊らせる。シドの「変形魔法」は幻術によって顔をまるで別物にするわけではなく、骨格を成長の延長線上に自在に変形させる魔法だ。極端な変化は不可能だが、年齢や体格を誤魔化したり、並の探知魔法やスキルに引っかからないという利点がある。にも関わらず目の前の美髯の男はそれを魔法で容姿を誤魔化していることを看破した。油断ならないな、と自分で陛下と呼んだ男の警戒レベルをシドは一段階引き上げた。
容姿を元に戻す。灰色のミディアムヘア、金色の瞳の青年という元の容姿に戻したシドを見て、満足げに男はうなずくと偉そうに足を組んだ。
「不遜だな。ヤシュニナの使者よ。余を陛下と呼びながらもしかし決してへり下ることはせぬとは」
「無礼の極み、どうかお許しください、ヘルムゴート・ビョール3世陛下」
「余でなくばそっ首フカ共の餌にしておったろうよ。寛大さに感謝せよ」
美髯の男、ヘルムゴートは呵呵大笑し、その悠然とした印象とは裏腹な野生の獣のような眼差しを向けた。苛烈な性格な人物、と聞いていただけにこうも器が大きく、他国の人間の無礼を許せる人間だとは思ってもいなかっただけにシドとカルバリーは少なからず意外な印象を抱いた。
言葉遣いは尊大で、王という位がとてもよく似合う。しかし今の黒色の鎧をまとうその姿からはどうも王らしからぬ戦士の雰囲気を感じる。有り体言えば遊侠だ。
「それで、陛下ともあろうお方がなぜ玉座ではなく、馬車に?」
「玉座でただふんぞり返るよりも騎乗し、雪土を踏み締める方が性に合っているのでな。それにだ。余との会合を望んだのは貴様らであろう?ならば余手づから出向いてやった方が早いではないか」
「え?いや、ですがそれでは貴国の大臣方や兵士の方々にご迷惑が」
「気にするな。どうせ暇、うぉ!」
突如急停止する馬車、慣性の法則に従ってシド、カルバリー、そしてヘルムゴートは馬車の座席から滑り落ち、地べたを嘗めた。何が起きたんだ、とシドとカルバリーは瞬時に感知スキルを発動させ、外の状況を伺う。彼らの感知に引っかかったのは行く手を遮る二十名足らずの重装騎兵、そしてその中央には見覚えがある豪奢な衣装で身を包んだ黒髪美禅の男がいた。
「王陛下!王陛下はおられるか!つい先ほど玉座から飛び上がり、愛馬で勝手に城を抜け出した王陛下はいらっしゃいますかー!!」
聞き覚えのある声だった。何よりその声はひどく切迫しているように聞こえた。
「あー、あれってバークロア上級伯の声だよな」
「ですね。ということはやはり……」
刺すような視線をシドとカルバリーは甲冑についた埃を払うヘルムゴートを見る。視線に気がついたヘルムゴートはバツが悪そうにサッと彼方の方角を望んだ。
その光景にシドとカルバリーは見覚えがあった。より具体的にはしょっちゅう仕事を抜け出して酒場やパブに入り浸ったり、カード賭博場や競馬場の常連客になっている常習犯二名のことが脳裏によぎった。どちらもレギオン時代から仕事を放棄し、遊び歩いていたことで有名な問題児だ。そのくせ下手に強いから手に負えない。
ヘルムゴートもそういう人物なのか、と知ってしまいシドとカルバリーの中での彼の評価欄に×が入った。冷めた両者の視線は馬車の扉を開き、ズルズルと引き摺り出されていくヘルムゴートへと向けられ、そして彼を引きずるバークロア上級伯に憐れみの目が向けられた。
「使者殿、どうか今回の件は見なかったことにしていただきたい。我が国の恥部であるからな」
「ち、恥部ですか」
「ああ、恥部だ。この阿呆は時折城を抜け出すのだ。絶対に、絶対に内密にせよ」
釘を刺すバークロア上級伯と彼を警護する目的ではべっていた重装騎兵らは紐でヘルムゴートを縛ると、有無を言わさずにバークロアが乗ってきた騎馬の鞍にその先端をくくると、市中引き回しさながらに駆け出した。ぎゃー、というヘルムゴートの悲鳴が雪の中へと消えていく。
それがシドとカルバリーのヘルムゴート王とのファーストコンタクト。実に最悪の出会いだった。
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