ゲーテVS死将
そう、飛び降りた。疑いようもなく見事に中折れ帽子を被った男は足から飛び降りた。最前列で槍を握っていた盾兵も、弓をつがえていた弓兵も、後方で弩を装填していた後衛兵も、部隊指揮官達も誰も彼もが目を丸くし、ここが戦場であること忘れ、呆気に取られていた。高さ90メートルの大城壁、数多の帝国臣民の汗と血が染み込んで築き上げられた赤壁の最上階から飛び降りたのだ。呆気に取られない方がおかしい。
誰も壁上から降りることがないわけではない。現に過去に何度となく死将あるいはそれに殉じる屍将を討つため、相手取るため大将軍とその直下兵が降りることはあった。壁上ではなく、朱色の大地での方が戦いやすいという極めて合理的な理由からだ。しかしそれでも壁上から飛び降りるなんてことはしない。壁上からロープを垂らし、えっちらおっちらと時間をかけて降りていくのだ。
大将軍とその直下兵の平均レベルは100と少し、落下したところで死ぬことはない。死ぬことはないが、着地時のダメージを考えれば飛び降りるなんてバカな真似は断じてしない。だというのに中折れ帽子の男は飛び降りた。何の躊躇もなく、息をするように自然体で。
戦闘状態であること、自分が指揮官であることを忘れ、クィーゼは中折れ帽子の後を追い、胸壁へと走った。身を乗り出す形で彼が眼下を睨むと、右手で帽子を抑える例の狂人の姿があった。彼の左手では黒とも紫ともとれる液状の何かが纏うように震えており、それは瞬時に形状を変形させ、巨大な鎌へその姿を変化させた。
それを男は壁面に突き立てる。ゴォと分厚い壁面に巨大な切り傷を付け、男は落下速度を減速させていった。居並ぶ兵士達、指揮官達が男の突飛な減速方法に瞠目する中、むしろクィーゼは男の刃が壁面に突き刺さり、あまつさえその薄く脆そうな外見からは想像もできない鋭く大きな傷を大城壁に付けたことに驚いた。これまで一度として大城壁に傷が入ることはなかった。ハーケンが刺さることはあっても、根底を揺るがすような巨大な傷が入ることはなかった。
しかし目の前の男の攻撃、否攻撃とも言えないただの一撃で大城壁は深々と甚大な破損を被った。恐怖からクィーゼは息を呑む。もしあのふざけた男がその気になれば大城壁を寸断できるかもしれないという恐怖、味方でよかったという安堵を上回る畏怖は眉間に皺を寄せさせ、強く両の拳を握らせた。
壁上の兵士達が固唾を吞んで勝負の行く末を見守る中、対照的に中折れ帽子の男、ゲーテは薄気味悪い笑みを浮かべていた。吸血鬼のようなギザギザの歯を除かせ、歓喜の涙を覚えたかのようにうきうきと目の前に立っている赤色の骸骨と対峙していた。左手に持つ神話級武装「粛清皇帝」を待機状態、泥状の塊へと戻し、ゲーテはガザリゥに話しかけた。
「よぉ、ガザリゥ。おひさしぶりぃ。かれこれ何年振りだ、おい」
「Dao dive hund yere」
「あぁ。それくらい時間が経ってるな。良かったよ、ボケてなくて。ま、そっちは俺になんざ会いたかねーでしょうがね」
「——Nah doa kive。Ih liebe kanis doa」
「なーんで暗黒語?お前、人語喋れるよな?」
「Muskel lant」
アホじゃねぇの、とゲーテは嘲笑う。英語を喋れる奴がドイツ語をアメリカで使っているようなもの、無駄に脳みそを翻訳に回さなければならないため喋っているだけで疲れる。有り体に言えば面倒臭かった。
「一つ聞きたいんだが、退いちゃくれないか?俺としてもお前がここから退いてくれるな大助かりなんだが」
「Nah culia。Ih geet fu vortis nakh nakh zaiya。Bon twats mistlord pain」
「ああ、そうかい。じゃぁ残念だが、また死んでくれや。また百年くらい眠らせてやるよ!」
ゲーテが鎌を構えると、ガザリゥは右手の得物を構えた。片や大鎌、片や棍棒とも大鉈とも取れる不形の得物。戦場ではなく戦場歌劇の舞台に似つかわしい奇装同士がぶつかり合う。
両者の一撃が交錯したその刹那、音が破裂した。
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以上をもって帝国西部での闘争編は一旦終わりです。本当は大将軍とかも登場させたかったのですが、ややこしくなるのでお預けです。とりあえず今回までの話で帝国が置かれている状況を理解していただければ幸いです。ちなみに今回は死霊国をピックアップしましたが、同規模の北魃国アダール、獣国ゼルピスと帝国は国境を接しているので、被害は相当なものになりますし、最高戦力である大将軍とその直下兵は大体3年から7年のペースで四人から五人ほど戦死します。
次回からは東岸部諸国家との交渉編に突入します。
キャラクター紹介
ゲーテ。種族、アリウス・ハーシス。レベル150。趣味、特になし(強いて言うなら茶器集め)。好きなもの、自分よりも弱い奴、金。嫌いなもの、自分よりも強い奴、ドッカル金貨(かつて帝国南部で流通していた偽金貨)。
プレイヤーの一人。ヴィルアンヌドゥアン辺境伯爵の食客兼私設兵団団長。金で動く尻軽人間だが、一度受けた仕事は例え敵対勢力にどれだけ金を積まれても裏切らず、必ずやり遂げることを至上としている。彼の種族、アリウスはこの世界における神々の総称である。




