死将の恐怖
——それは突如として現れた。
歓喜に湧き立つ大城壁、歓声を轟かせる兵士達、槍を、大斧を、大鉈を天高く掲げ、勝利の美酒をこれでもかと味わっていた。返り血で真っ赤に染まった鎧や顔を誤魔化すように彼らは紅蓮に染まる夕焼けを浴び、和気藹々と今日の敢闘を、今日の生還をそれぞれ讃えあった。
——それは静かに戦場の土を踏んだ。
兵士達は大歓声をあげ、自らの幸運を分かち合う。意識は頭上へ、意識は天上へ、意識は最上に。自分の幸運を喜び、そして僅かな一瞥を生き残れなかった同胞へ向け、その死に哀悼の意を示すために歓声はまばらになっていき、やがてその視線は足元に横たわるかつての同胞へと向けられた。
その時、そうまさにその時。両者の目が合った。
「Je for gelta」
目が合ったと同時に黒い風が壁上の全兵士の隙間を通り過ぎた。実際に風が吹いたわけではない。風が吹いたように壁上の誰もが感じ、周囲の温度が大して変わってもいないのに、悪寒を感じ体を震えさせた。足場が不安定でもない、足場はちゃんとしているのにも関わらず、足がすくむ。離れているのに、数百メートル以上離れているというのになぜか間近、真正面、紙一重の距離で自分の死が存在しているように感じた。
恐怖、そうそれは恐怖だ。圧倒的で言語化できない、言語化している暇すらない恐怖。暗く、黒い冥府の釜の隙間の暗闇からギロリと死がこちらを見ていた。逃れようとすれば野中で獣と遭遇した時のように背を見せた瞬間、顎が迫ってくる。決して比喩などではなく、厳然たる事実として彼ら、壁上の兵士の目の前には「死」が横たわっていた。
「死将」。そう呼ばれる死の戦士の襲来はまさに寝耳に水、青天の霹靂だった。地獄のように。唐突に訪れた死の象徴を前にして失禁をしそうになる。足が完全にすくみ、何もできない。人は厳然たる死を前にして、それに抗える人間以外は無力だ。
黒色の布を纏った白骨の頭蓋を覗かせる巨躯の戦士、顎が異様に発達し、眼孔からは青い炎が瞳のように揺れ動く異形の戦士の大きさは軽く3メートルを越え、身を飾る赤色の全身鎧も相まって朱色の大地が隆起したようにすら見えた。口腔から戦士は青い炎を吹き、それに呼応して威圧感は増していく。
死将が四。赫杯将軍ガザリゥ・メナス。それが赤色の鎧と黒い衣に身を包んだ死将の名前だ。死霊国イムガムシャが誇る四番目の死将、それがガザリゥであり、その容姿は広く帝国に伝わっている。かつて第八から第十管制区の司令官だった帝国第六将軍キール・ガウシムとその直属部隊を殲滅してみせ、数多の兵士が見ている中で彼らの遺体を陵辱してみせた残虐な死将だ。
「なんで、なんで?ありゃガザリゥじゃないか!俺は、知ってるぞ!二十年前、ガウシム六将を殺した、あの悪魔じゃないか!」
年配の将官や兵士を中心にどよめきが走る。伝播した恐怖は表情を大きく歪ませ、かつて目の当たりにした惨劇、耳にしただけの惨劇、これから想像される惨劇を脳裏に描かせ、呼吸を荒くさせる。今は風でなびく旗すら心臓に悪い。沈黙ですら気分が悪い。
特にかつて自分達の最強戦力であるキール・ガウシムが討ち取られるその瞬間を目の当たりにした年配、老練の将官や兵卒にとってガザリゥは悪夢以外の何者でもなかった。決してキール・ガウシムやその直下兵が劣っていたなどということはない。ガザリゥと真っ向から戦い、彼らは負けた。だからこそ恐ろしい。奇略、策略、詐術の類を使われて負けたというのならまだガザリゥへ侮蔑の眼差しを向けられる。だがガザリゥは真に騎士道精神に則ってキール・ガウシムとその直下兵を屠ったのだ。あまつさえ勝負の前の約束を履行し、キールらの死後は一切壁上の帝国兵を狙うことはしなかった。
いっそ畏敬の念すら抱くほどの強者、精神的にも肉体的にもガザリゥは大きな将器を有していると言ってもよかった。それゆえの恐怖は計り知れない。今度は相手をする六大将軍は一人もいない。いや、相手をするではない。言葉飾りはよくない。
——盾になってくれる六大将軍はいない。
死ななければならない。自分達は、今、ここで。今日の死闘はすべて序曲。そう、実際に死霊国にとっておびただしい屍兵の軍勢などよりも死将やそれより一段低い戦闘力を持つ屍将の方が戦力としては優秀なのだ。時折屍将こそ現れるが、その実力は大将軍と同程度だ。つまり言い換えるならこうだ。その気になれば死霊国は一息に大城壁を突破できる。我々はただ生かされているに過ぎない。
「——だが、それが。だがそれがどうした!我々は映えある帝国西部国境守備兵ぞ!死こそ我らが誉れ!帝国の土へ還るは我らが意志なれば、一体何を気負うべきや!」
蛮勇、あるいは狂奔。脳内のドーパミンとアドレナリンを過剰分泌したかのような叫声、はためく旗を旗手から奪い、ノバルカン・クィーゼは怒声を挙げ自分の死を悟り首を項垂れさせる兵士達を、第八管制区の全兵士達を鼓舞した。それに呼応するように彼の怒号に触発され、他の部隊長達、彼と同等階級の将官達もまた怒号をあげる。
「我らが背後に故郷あり!その守護のため一切何を悔いることあろうか!」
「死を恐れるな!我らは常に死の淵にあり!見よ、我らの愛人がついぞ現れたぞ!ふはははははは、貴様ら喜べ!」
「矢をつがえよ、重弩を構えよ、槍を握れ、剣を握れ!己の意志を奮い立たせるのだ!一切臆するな!我らが武威を示そうではないか!」
「故郷を想え!家族を想え!諸君らの双肩にこの二つがかかっている。帝国の威信などこの際考えるな!ただひたすらに故郷と家族を守ることを考えよ!あのような蛮族に陵辱させるな!」
消沈しかけていた兵士達の戦意がその怒号をきっかけに奮い立たせられる。彼ら一人一人の脳裏に惨劇を塗り替えるべく家族や故郷の風景が思い起こされ、青筋が浮かび上がるほどの怒気を孕み、再び兵士達は顔をあげた。その証拠に各地で命令を下す声が上がる。弓兵は弓をつがえ、後衛兵は巨大な弩の装填を始めた。弓兵の前方に控える盾兵は憤怒の表情で槍と盾を握り、彼らの意志の統一を表すかのように赤色のオーラが壁上全体を包んだ。
「きゅうへぇぇぇいぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいい!!!構えぇええええええええええ!!!」
弓がつがえられ、絞られ、その切先はこちらは歩いてくるガザリゥに向けられる。
「「「「「はなてぇええええええええええええええ!!!!!!!」」」」」
千、万の弓矢が一斉に放射される。そのすべてがガザリゥに向かっているわけではない。世が世なら弾幕とでも呼ぶべき隙間のない絨毯射撃、間髪入れず、一発放てば次の一発を、次を、次をと壁上兵達は弓の弦が、あるいは本体が壊れるほどの力で幾度となく射撃を繰り返した。
それだけではない。弓兵達のはるか後方からはちょうど成人男性が二人並んだくらいの大きさの弩が勢いよく放たれ、さらには火矢までも放たれた。さながら矢の雨。ガザリゥの歩はその光景を目の当たりにし、一瞬止まった。
だがそれは彼が臆したからではない。闇の中に手を伸ばし、ガザリゥは己の得物を取り出す。大鉈のような、棍棒のような歪な形状の武器、ノコギリのように刃先は細かく、明らかに鈍重そうな武器。それをこともなげにガザリゥは振るい、彼が得物を振るった同時に黒色の旋風を巻き起こした。
「な、ぁ!!!???」
旋風は降り注ぐ鏃の雨を撒き散らしていく。ただでさえ白骨兵系の種族に対して刺突系の武器は通用しにくい。まして死将ともなればダメージだって入るかどうかもわからない。それを飲み込んで放たれた鏃の雨、それを児戯であるかのように吹き飛ばしていくその姿は驚嘆せざるを得なかった。
歯を食いしばり、続く射撃をクィーゼらは装填させ、放つ。時間稼ぎ、まさにその通りだ。相手が壁上に上がってきては勝てないと肌で感じるからこそ屍系種族の弱点である炎を帯びた矢も普通の矢に混ぜてはなっているのだ。だがそれすらもまるで意味がない。当たる前に吹き飛ばされては意味がない。しかしだ。鼓舞した張本人が、兵士に奮起を促した張本人が最初に諦めては示しがつかなかった。
「重弩をこの区域に集めさせろ!火炎玉を鏃に付けて放て、放て、放て!我らの勲のため、誉れのため。なんとしてもあの化け物を」
「はいはい。大丈夫だよ。あとは俺らがやるから」
不意の戦場には似つかわしくない穏やかで涼やかな声にクィーゼはギョッとして振り返る。見ると敗れた中折れ帽子を被った黒い外套の細身の男が立っていた。彼の背後には奇抜な武装を纏った戦士達が控え、彼らは一様に独特の雰囲気を漂わせていた。
「なんだ、貴様らは」
「援軍さ。ヴィルアンヌドゥアン辺境伯爵の私設兵、とでも言えば伝わりやすいか?」
「辺境伯爵様の?だが命令系統が違う部隊を戦列に加えるわけには」
「わかってるとも。安心しろ。あんたが命令する必要はない。俺らの要求はただ一つ、射撃の即時中止だ。さすがにあの鏃の雨の中で戦闘はできないからな」
何を言っている、とクィーゼは疑いたくなったが、彼の疑問に答えるよりも早く中折れ帽子の男は弓兵達を、盾兵達をかき分け、前へと進み、そして壁上から飛び降りた。
キャラクター紹介
死将ガザリゥ。種族:灼骨の王者。レベル140。趣味、戦闘訓練。好きなもの、強者との戦い、野営。嫌いなもの、ゲーテ、悪虐皇ドラウグルイン、堕落皇スリングウェシル←下記の二人は裏切り者だから嫌い。ランク:レイド。
死将最強の破壊範囲を有する戦士。二代目死人占い師、カルアウアが四番目に創った死将。過去に三度、大将軍とその直下兵を降した戦歴を持つ。
※基本的にレイドランクの種族は同レベル帯の同種族の1.5倍のステータス値を有している。ボスクラスならば3〜4倍のステータス値を有している。ガザリゥをノーマルランクのレベル換算にするとレベル420程度。




