世界は炎に満ちている
7月30日某所、シドとリドルは向き合いながらチェスをしていた。
「ミュネルの王には傍系の男児がいたからそれに王位を継がせた。ムンゾはエッダの威光のもとに親ヤシュニナ派で大臣を固めている。ガラムタ、カイルノートは引き続き現政権が統治。また各邦国との融和を内外に示すために現在の関税などについて交渉を開始。とりあえず、王が三人も死んだにしては事後処理はまぁまぁなんじゃないかな?」
冷たい声でシドは言い放つ。仮面を取り、いつもの美麗な素顔があらわになっても全然愛らしくもなければ、華やかさもなかった。リドルもまた同様で、赤紅の美青年は無言で駒を動かした。それを肯定と受け取り、シドはさらに話を続けた。
「肝心の人心については前王の悪評を流布することで対処。ミュネルに関してはサーベラを高貴な君主として崇め、アザシャルを暗愚な簒奪者として貶めることで分裂を抑制する。内乱の終結から一ヶ月が経ったけどまたぶり返すなんてことは今の所起きていない。内部の火は消し終わった、そう捉えてもいいのかな?」
「どうだろうな。俺から言わせればこの内乱は防ごうと思えば防げた内乱だ。シオンをはじめとした一部の軍令が国境付近に軍を集中させたせいで返って状況をややこしくした。何よりムンゾ王国内部で情報工作なんてことをした馬鹿がいなければ全面戦争になどならなかったと思うのだが?」
「仕方ないだろ。あの時の俺が漂着したのも四小邦国が叛逆しようとしていることを掴んだのもムンゾだったんだから。あそこでヤシュニナに戻ってたんじゃこうも上手くシースラッケンを失脚させることはできなかった。どのみちヤシュニナに叛意を持っていたんだ。俺はむしろこの内乱に感謝してるよ」
いいゴミ掃除ができた、とシドはほくそ笑む。その意見にリドルは賛同できなかった。謀略は大いに結構だ。むしろ国家として健全であるとすら言える。だが謀略で死んだ人間をゴミ扱いすることには反対だ。こちらの都合で死んでしまったのならせめてその死に敬意を払うべきだ。それを指摘すると、シドは鼻白んで見せた。
「何を言うかと思えば。リドルって昔っからそういうところあるよなぁ。変なところで善人ぶってさ。すっげー居心地悪そうだったよなぁ、古巣でもさぁ」
「今は関係がない話だ。話を逸らそうとするな。俺は犠牲に対して敬意を払えと言っている。シド、お前が心の中でどれだけ他人を蔑んでいても勝手だが、一度口にすれば他人を傷つけることを考えろ。人の心はお前が想像しているものの何倍も脆い。心ない一言で再起不能になることもありえる」
「それは今回の一件に関係あることか?事実を口にして何が悪い。実際にムンゾ王国は邪魔だった。俺達はそれを捻り潰した。関係のない詭弁で話題を逸らすなよ。ムンゾの叛乱もミュネルの暴走もすべてこれから起こる大陸全土を巻き込んだ戦いの序章に過ぎない。もちろん帝国との戦争もな。何人死ぬかは知らないが、そいつらは死ぬことにむしろ感謝すべきだろうな。あの地獄を経験しないで済むんだからな」
リドルからは肯定の言葉も否定の言葉も飛び出さなかった。ただ瞑目したまま、彼は天井を仰いだ。彼の脳裏で160年以上昔の出来事が思い出されていく。まだ「七咎雑技団」に属していた頃の情熱の時代、数多のプレイヤーが群雄割拠し、苛烈に熾烈にしのぎを削り合った闘争の日々、軍団技巧が使い物にならないほどに個が突出し、戦争を左右していた懐かしくも忌まわしい暗黒時代、それはかぐわかしい鉄と血の香りをただよわせ、荒野を舞う血風に彩られたひとときの愉悦を感じられる日々だった。
それを地獄とシドは表現した。今の平和を生きる人間からすれば地獄であることは間違いない。真の意味でレベルで強さは語れなかったあの時代から生き続ける人間としては今の時代は平和すぎる。謀略などで国家一つが傾くのだから易いものだ。
だがその時代は160年前に終わりを告げた。プレイヤーの減少とそれに伴う各大陸の矮小化は平均レベルの急激な減退を生み、かつては精強と言われたアスカラオルト帝国ですら今はただの木偶と化した。危機意識がなければ人は何もしないように、戦う相手がいなければ爪や牙を備える必要はない。
「その必要がある時に牙を研ぎ始めてももう遅い。ヤシュニナだってそうだ。俺らもな。今のリドルと160年前のリドルが戦ったら確実に後者が勝つだろうな。——だからこれは俺の予想だが、今後起こるだろう大陸を巻き込んだ戦いに俺達は勝てない」
「勝てない、か。だがお前は戦うために、一つにまとまるためにムンゾを潰し、ミュネルを崩壊させたのだろう?それが予想できてどうして国家を二つも潰した?」
リドルの問いにシドは言い淀む。眼窩に影を落とし、口元を歪めて見せるが、痩せ我慢をしているようにしか見えなかった。
決して何も考えていないわけではないだろう。バラバラの国家を一つにまとめ、巨悪に立ち向かうという彼の言葉も嘘ではない。だがそれとは別の思惑があるようでならなかった。160年前に国を作ると言い出したあの時から何かがきっとシドの中で外れたのだ。それがネジなのか歯車なのかタガなのかはわからない。しかし重要なものだ。
長い付き合いだがリドルにはその心当たりがない。いや、ないと言えば嘘になるだろう。思い当たる節はいくつかある。しかしそのどれもが決定的な理由にはなりえなかった。漠然とシドの異常を感じ続けて160年余り、今の今まで答えは出ていなかった。
止めようと思っても止められなかった。殺せばすべては丸く収まるのかもしれないと思い詰めた経験は数知れず、しかし何度も思いとどまり、今までズルズルと問題を先延ばしにしてきた。きっと今日も先延ばしにする。ため息がこぼれるくらいに情けない話だ。こんな自分が「剣聖」などと口が裂けても言えやしない。そんなリドルと自分を嘲笑するかのようにシドは口を開いた。
「なぁ、リドル。160年前に勝てなかった戦いに今の俺らが勝てると思うか?あの時よりはるかに弱体化している俺達がさ」
「そうだな。感じているだろ?俺達の力は衰えている。この160年で」
「ああ。今やプレイヤーの意味すら消えて久しい。メルコール大陸の極東じゃプレイヤーはもうほとんどいないらしい。アングラークとザルフフィールドはまだ結構な数がいるみたいだけどな」
「あと100年か200年か。遠くない未来、プレイヤーや煬人という呼称すら意味をなさなくなる。言語は統一化され、レイドボスやダンジョンといった旧来の遺物も消えていく。ああ、なるほど。つまりシド、お前がやりたいことっていうのは」
「ああ。そういうことだ。そしてそれは俺らのためにも絶対にしなくちゃいけないことだ」
両者は向かい合い、睨み合う。その双眸には何を写しているのだろうか。少なくとも向かいの席に座っている旧友の顔ではなかった。
雨が降っている。しんしんと雨が降っている。草木の上を弾み、はねる音が窓越しにも伝わってくる。
「——すべからくすべてのプレイヤーはこの世界にとって異物だ。消えてしまう方がずっと、ずっと」
仮面を被り直し、シドは続けた。
「ずっと、この世界のためだ」
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祝・第二章完結!次回第三章はいよいよ帝国VSヤシュニナの大戦争です。多分過去一番長い章になると思います。
ヤシュニナ海軍VS帝国海軍、その他帝国軍人も多数登場予定、これまで登場してきた軍令と将軍が大陸に上陸し、帝国としのぎを削り合う!どちらが勝っても時代が変わる!
次話投稿予定日は未定です。




