イェスタ炎上①
蒼炎が舞う。イェスタの港に蒼い火柱が立ち上がった。
それまで商談を行っていた卑しい商人も、女の穴を追っかけていた下品な懦夫も、快楽に耽っていた下劣な娼婦も、誰も彼もが突如として立ち上がった火柱に目を奪われた。青空の中でさえくっきりと映えるその輝かしさと不気味さに全員が恐怖した。
轟々と燃え盛る蒼炎は螺旋を描き、イェスタの街中を蒼く染めていく。それを止めようとする人間はいない。誰もが恐れ、誰もが少しでも炎から逃れようと逃げ惑う。メラメラと周囲の木材を飲み込み、レンガすら飲み込んで炎は絶えず巨大化していくのだから。
その只中にそれはいた。蒼炎の中心に山羊の頭蓋を思わせる頭部を持った黒い怪物はいた。人間の腕三本分はあろう太さの胸骨に似た骨が剥き出す長大な首、負けず劣らずの長さのくの字に曲がった手足、臀部にいくに連れて太くなっていく動体、とあからさまな異形の怪物だ。体は黒一色、カラスとも獣とも捉えられる体毛がびっしりと身体を覆い、鱗粉のように火の粉を隙間から発していた。
頭部もただの山羊の頭蓋ではない。不可思議なまでに曲がりくねり、肥大化した角が幾重にも枝分かれし、さながら大樹のようだ。口腔を開ければ石臼のような白い歯が隙間なくズラリと並び、吐息を漏らすと青い炎が息吹きとなって漏れた。
レベルにして142。正体を表したシャルヴィレン・アハトアハトはもう止まらない。自分を襲うだけならば我慢はできたが、懇意にしていた店をぶち壊しやがった時点で彼の脳みそから理性のタガは外れていた。襲撃した龍仮面の集団をことごとく店の前に叩き出し、シャルヴィレンは烈火のごとく炎を周囲へ迸らせた。
彼の炎は燃えることはない。ダメージという観点で見ればただの装飾品、デコレーションのようなものだ。最初こそ炎が燃え移ったことに動揺していた龍仮面の集団も、全く熱くないと気づくと威勢よく立ち上がり、短剣を構え直しシャルヴィレンに向かってきた。
「は、愚か」
その結果が蒼い火柱だ。不用意に彼に迫った龍仮面は一瞬で灰となり、ボロ雑巾のように路上の塵となった。それはまさに絶殺の空間だ。人はおろか物質すべてがシャルヴィレンの半径半メートルに入ったと同時に塵と化した。常に空気を吸い続け、なおもシャルヴィレンは膨張し続ける。
炎の化身、と龍仮面の誰かがつぶやいた。まさにその通りだ。今のシャルヴィレンはまさに炎の化身だ。彼の操る蒼い炎はただ彼を守るそのために存在している。つまり火柱が立ってなおシャルヴィレンは一度も攻撃していない。それは龍仮面らにはわからない。ただ一人、シドのみがあくびを噛み殺しながら彼の一方的な殺戮を観覧していた。
「どけ、貴様ら」
龍仮面達否、龍面髑髏の暗殺者達が攻めあぐねている中、野太い声が集団の輪をかき分けてシャルヴィレンの前に現れた。他の龍面髑髏の暗殺者と違い、やや凝った面を付けている。身長は3メートルを裕に越え、武器は分厚いバット状の金棒と体躯に見合う大物使いだ。金棒の等級は幻想級でも下位だが、着用している鎧は幻想級でも中位に位置する輝きを秘めていた。そんなものをただの雑魚が持っているわけがない。
「高弟か」
龍面髑髏の頭目に使える十二人の高弟。優れた鍛治師でありながら、戦士としても一線級という破格の練達者達だ。四月に十軍を率いたシリア・イグリフィースや船上でシドを襲った二人もこれに当たる。面白い奴が出てきたな、とシドは屋根の上でほくそ笑んだ。
だがその笑みは長続きしなかった。
刹那、シドめがけて剣閃が飛んだ。黒真珠の杖でシドはそれを飛んできた方向も確かめずに受け止める。防ぎ終わってようやく彼は瞳を横に逸らした。視線の先に立っていたのは見慣れた仮面だ。その後ろにもう一人、やはり見知った仮面が立っていた。どちらもシドが船上で戦った龍面髑髏だ。
「せっかく久しぶりにシャーヴィーの戦いが見れると思ったのに、お前らもうちょっと空気読めよ」
「バカを言え。貴様を仕損じたことで我らは師よりお叱りを受けたのだ。見ろ、この傷を」
そう言って直剣を持った龍面髑髏の男は左手の甲をシドに見せた。見るからに痛々しい紫がった傷が目に入った。表面的なものではない。おそらくは神経が切れている。あの左手はもう使えない。
ちらりと筋肉質な女性の方も見るが、こちらも左手に傷があった。右利きからすれば大した傷ではない。しかし日常生活には支障が出る。金属の変形を操る鍛治師にとっても大いなるハンデだろう。これで次も失敗したら腕が取られるだろうな、とシドはころころと笑った。
「そうか。そいつは悪かったな。だけど俺を恨むなって。俺はただの善良な官吏に過ぎない。お前の傷は自業自得だ」
「龍面髑髏十二高弟第八位の座から十位まで落とされた私の怒り、貴様にぶつけてくれるわ!」
「長い。おかげで無詠唱で魔法が撃てるよ」
無数の火球が黒真珠の先端から放射される。十や二十どころではない。百や千だ。シドの圧倒的な魔力量から繰り出される無数の火球は際限なく繰り出される。屋根の上から龍面髑髏の二人はとびのくも、それらは追尾していく。
ただの火球ならば曲がらない。ギョッとして動きが鈍る龍面髑髏の男に火球が容赦無く打ち込まれていく。対処的に女の方は魔法妨害を交えて火球を減らしていった。やっぱ女の方からかな、とシドは杖を回す。クイックキャストを使えば妨害もどうということはないが、あまり街中では多様したくない。船上ならばいざ知らず、街中で雷霆なんぞ使えばイェスタに爆心地ができかねない。
「——ああ、めんどくせ」
相手は明らかに格下だ。あくびをしながらでも倒せる相手だ。だがそれを覆すだけの三次元運動と戦闘センスが二人にあった。レベルに頼らない技量による戦闘、それは非常に鬱陶しい。
「《エル・ゴール……以下省略》」
面倒臭さを覚えたのか、シドは雷をリング状にまとめてみせた。そしてそれを同心円状に広げた。音の速度をはるかに超える緋色の雷が数百メートルにわたって伸び、触れたものすべてを痺れさせる。レベル100以下ならば耐えられるわけがない。
「《エル・アウフ……以下省略》」
そしてその浴びせた雷めがけてシドは続けて雷柱を立てさせた。雷属性を帯びたすべてに反応し、直撃3分前に雷属性を帯びていたならばダメージは倍化する雑魚狩り専用の攻撃魔法だ。立った雷柱は八つ。その一つ一つを訪れ、シドはどこに龍面髑髏の二人が落ちたかを確認し始めた。
最初に訪れた雷柱は鳥、次も鳥、また鳥だ。焼き鳥にするにしても、持ち上げようとしたら消し炭になってしまいどうすることもできなかった。四つ目にしてついに龍面髑髏の男が倒れている地点にたどり着いた。すでに心臓を撃ち貫かれたようで、彼から生命の波動は感じられなくなっていた。
仮面は砕かれ、素顔があらわになっている。だがどうでもいいことだ。彼の左手から小手を、右手から直剣だけを回収し、シドは次の地点へ向かおうとした。
「しぃ!」
「うおっと!」
そんな矢先だ。大斧を持った龍面髑髏の女が頭上からシドを強襲した。間一髪、シドは黒真珠の杖で振り下ろされた大斧を打ち返した。どうやって雷撃を耐えたのか、とシドは一瞬考える。レベル、装備、と可能性がいくつか浮上するが、一番可能性が高いのは装備だろう。彼女が携帯している装備のどれかに魔法攻撃への耐性を高めるもの、あるいは雷属性に対して耐性を与える装備があったのだろう。レベル差を考えればこのあたりが妥当だ。
どのようなアイテムを使ったのかな、と杖で受けながらシドは彼女の装備を観察する。大斧、胸当、小手、手甲、腰当、脛当、鉄靴から宝飾品、首飾りなどなど。だが観察する中で彼女の斧の切れが船上ほどではないことに気がついた。その時点でシドの興味は彼女がどのようにして魔法を防いだことから、楽な彼女の倒し方へとシフトしていた。
「じゃ、そろそろ」
それまで受けに回っていた杖を返し、シドは大斧を力任せに弾いた。体勢を崩され、大きく後ろへのけぞる彼女めがけてシドは黒鞘から抜き放った長剣を突き立てた。邪気を孕んだ原初の魔剣が彼女の胸を深々と貫いていく。切先が胸に刺さると同時に無数の邪気と怨嗟が彼女の体を取り巻いていった。
「じゃ、さよなら」
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次話投稿は9月11日を予定しています。




