軍令の会話Ⅱ
「それでは軍令リドルらにはムンゾ王国の謀反は知らせていないのですか?」
竜馬に騎乗し並走する剣の軍令ギーヴの口から素っ頓狂な声が上がった。驚く彼を見て埋伏の軍令シオンは目を丸くし、ついで平淡な口調でその理由を説明し出した。
「知らせずともあの方々ならば自前で情報を入手するだろう。カイルノートの国王キシュアは日和見主義者だ。なんらかの手段で軍令リドルらに事情を伝える可能性もある」
そもそも事情を知らせることは不可能に近い。ヤシュニナはカイルノートと国境を接しているとはいえ、その国境が問題だ。霧の大連山の裾野を竜馬で疾走しようものなら山の中腹に根城を構える竜種が襲いかかってくることは想像にかたくない。
ヤシュニナの氏令でさえカイルノートへ行くためには数十人規模の兵士を引き連れ、竜馬の出せる最高速度で疾走する必要がある。竜種と取引することはできず、そのために竜狩りが定期的に行われているのだ。
今回に限って言えば街道の治安という事情のほかにカイルノートの領地に入った途端に捕縛される、という可能性を秘めていた。伝令役のために武力に優れた将軍などを出すわけにもいかない。すでに主だった将軍や大府はムンゾとの国境付近に駐屯していた。
そんなことをまさか軍令ともあろう者がわからないはずがない。命令したのはシオンだが、実際の配置指揮を行ったのはギーヴだ。ではなんのために彼がわかりきった質問をしたのか。それは……。
「もし仮に軍令リドルらがこちらの情報を知っていた場合、どのように動くでしょうか。あの方が動けば四小邦国軍十万など物の数ではないでしょうが」
もしリドルがカイルノートで蜂起すればムンゾに対して挟撃をしかけることができる。たった三千とはいえ精兵だ。生半可な戦力では太刀打ちは難しく、どうしてもムンゾは兵を二分するほかない。手薄になった守りを本国のヤシュニナ軍で強襲し、王都レクシスを陥落させる。そんな美しいまでの戦略的勝利をギーヴは頭の中で描いているのだろう。
だがそうはならない、とシオンは読んでいた。
「軍令リドルにしろ軍令シュトレゼマンにしろ無駄な犠牲を嫌う類の人間だ。そもそもあの方々は私やお前よりもずっと長く国政に参画なさっている。自分達が蜂起することで起こるリスクを考えないわけがない」
「起こるリスク、ですか?」
「国内での反ヤシュニナ感情の爆発だ」
少なからず四小邦国の人間はヤシュニナに対して劣等意識を持っている、というのがシオンの見解だ。いやシオンのみならず氏令の多くは似たような見解を持っているだろう。独立させてやった国、独立させてもらった国、従属国家、といった負の意識は深くこの地に根付き、ヤシュニナ出身者と四小邦国出身者の間でいさかいが起こることは決して珍しい話ではない。
特に人間種であるエレ・アルカンの間での対立はすさまじい。民族としては同じ、しかし同年代のあいつは俺よりも儲けている、なぜならあいつはヤシュニナ人だから、というなんとも嫌になる話だ。生まれついての劣等意識は100年の歴史の中で表出を繰り返し、今になって現ムンゾ王国の赤獅子の王シースラッケンという形で暴発した。
シースラッケンは国民にヤシュニナに頼らない貿易路の確保、自主独立、自己防衛を訴え、彼に治世でムンゾ王国は飛躍的な成長を遂げた。その中で亜人種が虐げられたが、多くは疑問など持たなかった。
その影響はガラムタ、ミュネル、カイルノートの三カ国にも波及し、各地を終われた亜人種が難民となってヤシュニナに押し寄せてきてもう8年ほどだろうか。各所で問題は起こり、ついこの前も十軍という形で反乱が起こり、シオンの派閥に属していた軍令が一人命を落とした。
そんな反ヤシュニナの機運が高まっている四小邦国の領内で蜂起などすればどうなるか。ただの反乱ではすまされない。さながら帝国が自領で行った亜人狩りに匹敵する苛烈な粛清の嵐が吹き荒れる。吹き荒ぶ血風、響き渡る絶望の悲鳴、怨嗟はさらなる怨嗟を呼び、グリムファレゴン島の秩序は崩壊する。
「なにかよい策はないものか、と考えてきたが対案は思い浮かばんな」
「こちらから動けないのが口惜しいことこの上ない。動けば絶対に勝利できるというのに」
「イルカイや先行したアルガにも言ってあるが、こちらからは絶対に弓を引くなよ。せめて絞りですましておけ」
「わかっていますとも。ですがこのまま棒立ちというのもいささか……」
「耐えろ。所詮私もお前も軍属だ。国柱の御璽なくして戦争は始められん。まぁそれは軍令リドルらも同じだがな」
遠くを見るシオンの目にはわずかにだが迷いがあった。このまま軍を進めればムンゾとの国境線に近づいていく。恣意行為であり、こちらに戦争をする意志はない。だがムンゾはどう受け取るだろうか。自暴自棄になって攻めてきたりするかもしれない。それを見越してはいるが、中々に卑怯だ。
相手の神経を逆撫でする挑発行為。国の人間としては別段咎められるような行為ではないが、一人の戦士として見ると自分の卑怯さにげんなりとしてしまう。
「——ひょっとしたら軍令リドルらが動かないのは牽制の目的もあるのかもな」
「牽制、ですか。つまり万が一ヤシュニナとムンゾの間で戦争が起こった際にカイルノートの介入を抑えるため、と」
「それもある。まぁカイルノート一つが抑えられたところで他の二国がムンゾへ援軍を送ればグリムファレゴン島は灰塵と化すがな」
それは本当に文字通りの意味だ。灰塵へと変えるのはヤシュニナでありムンゾでありガラムタでありミュネルでありカイルノートであり帝国だ。苛烈な戦いの果て、最後に笑うものは誰もいない。空の玉座がただ一つ寂しく雨にさらされ、風にさらされ、また別の種族がこの地に住むまで待ち続ける。
そんな亡国の未来を想像なんてしたくはなかった。だがシドの話した未来がシオンの脳裏を何度となくよぎった。燃えるグリムファレゴン島、その時自分は一体何をしているだろうか。
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次話投稿は8月23日21時を予定しています。




