事故Ⅱ
甲板へ踊り出るシドを無数の斬撃が襲う。
黒真珠の杖を巧みに操りシドは迫り来る斬撃をことごとく防御し、短剣を打ち砕いた。シドの扱う黒真珠の杖はイスタリのみ装備可能な神話級武器だ。その硬度はすさまじく並大抵の武器では衝突と同時に壊れてしまう。魔法の威力を高める効力はもちろんあるが、打突武器としても有用だ。
迫り来る龍面髑髏の面々の仮面の裏側から軽い舌打ちがこぼれた。だが彼らの足運びや息遣いに焦りは見られない。鑑定スキル「冥府眼」を用いシドは彼らのレベルを把握するが、今彼を攻めている龍面髑髏の三人は最も高くともレベル59とあまりに低すぎる。レベル150のシドと敵対するならば少なくともその倍は欲しい。もっと言えば幻想級の武器と防具、マジックアイテムを所持してしかるべきだ。
しかし新たな短剣を取り出す龍面髑髏の三人にその気配は感じれない。かろうじて彼らがまとっている灰色のマントに耐寒効果と能力隠蔽効果が付与されていることくらいだろうか。だがそれも最上位の鑑定スキルである「冥府眼」の前では効果をなさない。
なめているのか?
そう思わずにはいられなかった。自意識過剰ではないが、シドはこの世界での一般常識にあてはめれば規格外の存在だ。レベル59は確かに一般的には強者の部類で、亜人種の中では族長にもなれる実力の証だろうが、シドやディコマンダーを相手にするにはあまりに心もとない。はっきり言えば雑魚だ。
そんなあからさまな雑魚がいくら湧いたところでシドの敵ではない。何か別の意図があるように感じられてならなかった。それを確かめようと追撃をかけようとシドは一歩踏み込んだ瞬間、その足めがけて凶刃が空を切った。
左足の爪先が吹き飛び、黄金色の霧が切断面から溢れた。警戒の眼差しでシドは自分を攻撃が飛んできた方向を見た。そして視認したのは転落防止用の柵の上にたたずむ灰色のマントを羽織った仮面の存在だった。
一目で男性とわかる広い肩幅と逞しい胸筋、引き締まった腹筋はマント越し、鎧越しでも感じられ、放つ覇気は目の前の三人とは比べ物にならなかった。血を垂らす簡素な剣を右手に持ち、左手には幻想級武器と思しき禍々しい小手を付けている。右手の剣の長さではシドの左足は切り飛ばせないためなんらかの技巧かスキルを使ったのだろう。なにより目を引いたのは他の龍面髑髏とは違う派手な仮面だ。一般の龍面髑髏が付けている白骨化した龍の仮面の上に、金色の塗料が塗られたり角を付けたりとデコレーションされていた。
試しに「冥府眼」を用い、シドは男の正体を探ろうとした。だが彼が男のレベルを把握するよりも前に鑑定が妨害された。わかったことは男の持つ剣が幻想級の代物であること、それだけだ。それよりもシドは自分の鑑定を妨害した存在に興味が移っていた。
視線を甲板へと回してみると、デッキの近くに同じような仮面を付けた存在が立っていた。こちらは斧を持っている。やはり幻想級の代物だ。より高位の武器、アイテムであればあるほどに発する気配は強くなるため、価値で言えば男の持つ剣よりも斧の方が高い。それを武器として構えていることにシドは脅威を感じていた。
シドの視線に気づき、降りてきたのはあからさまな体躯の龍面髑髏だった。おそらくは女性だろう。しかししなやかな貴婦人や町娘と違い筋骨隆々とした手足の筋肉、豊満な胸、引き締まったウェストと張りのある尻、というガチムチの女性は、と問われれば思い浮かべそうな体躯をしていた。
鎧越しでも彼女の胸の大きさは隠せず、歩くたびに上へ下へと大きく揺れた。だがそれは今は重要ではない。問題は彼女がシドの鑑定を妨害できたことだ。
最上位の鑑定スキルである「冥府眼」に対抗するには同ランクの妨害スキルを使う他ない。レベル150のシドと同程度の相手の出現にシドが脅威を感じるのは当然と言えた。
シドは手始めに空いている左手でポーションが入ったアイテムポーチへと手を伸ばす。回復行動を行おうとするシドを止めようと二人の龍面髑髏が彼に襲いかかった。先程シドの足先を切り飛ばした斬撃を柵の上に立っていた男が飛ばす。それに対応しようとシドが障壁を展開した時、斬撃と障壁の間に筋肉女が割って入り、黒鉄の斧を振るった。
衝撃で障壁にヒビが入り、瞬く間に砕け散った。ただの膂力によるものではない。なんらかの魔法妨害スキルによるものだ。短縮詠唱による障壁であっても結果は同じだっただろう。
障壁が破壊されるとすぐに飛ばされた斬撃がシドを襲った。ダメージは大したことはない。不意をつかれた時とは違い、装備に付与されていた幾多のダメージ軽減スキルにより体がちぎれるということもなかった。
距離を取り、素早くシドは左足に回復用ポーションを振りかけた。黄金色の血が流れる足がみるみる内に再生し、失っていた体のバランスが戻った。体勢を整えようとシドは杖を振り、無詠唱で無数の火球を作り出す。そして放った。放ったそれを二人の龍面髑髏はすべて躱すが、その程度はシドの計算の内だった。
「『ハールハーム……以下省略』」
放った雷轟は無数の雷槌の本流そのものだ。広範囲、高威力のシドが得意とする雷属性の魔法。それを防ごうと龍面髑髏の男の方が小手を構えた。バカめ、とシドは内心で嘲笑った。幻想級の小手とはいえ短縮詠唱により放たれた雷轟を受け切れば所持者へのダメージは計り知れない。どれだけ長く戦うかわからないのに避けられる攻撃を受けるだなんてナンセンスだ。もっとも、避けたところですでに無詠唱で設置した罠魔法が彼、彼女の周囲には仕掛けられているのだが。
そんなシドの思考など梅雨知らず、龍面髑髏の男は雷轟を小手で受けた。小手が雷轟と触れ合う瞬間、無数の吸気口のようなものが出現する。フジツボを連想させるそれにシドはギョッとして眼を見張るが、その次に小手が発した能力はさらに彼を驚愕させた。
「——熱量錬成」
そう唱えた直後、雷轟に照らされた小手が赤熱した。小手の赤熱化は止まることを知らず、雷轟が消える頃には太陽もかくやと言うほどに真っ赤に染まっていた。
「なんじゃそりゃ?」
率直な感想がシドの口からこぼれた。それは男の持つ小手への賞賛と驚愕が入り混じった末の感想だった。何をされたのか、シドの鑑定スキルで把握できていないことはない。だが予想外のことに激しく動揺していた。
「俺の雷から熱量を奪い取ったな?その小手は熱量を吸収・蓄積できるのか。シンプルにすごいな」
種は非常にシンプルだ。この世界の雷属性は現実の雷とほぼ同じ効果を持つ。数万ボルトとも呼ぶべきエネルギーを瞬時に発生させ、膨大な熱量でもって相手を焼き払う、というものだ。現実の雷と違って空気の減衰は受けないため威力は絶大の一言に尽きる。
だが男の持っていた小手は熱量を吸収する。これでは雷属性、火属性といった熱を主体とした攻撃があまり意味をなさない。システム的な話にはなるが雷属性、火属性に含まれるデータは大部分が熱だ。その周りにいくつかの細々としたデータが張り付いている状態だ。例えば雷属性への完全耐性があれば同属性での攻撃は無効化される。しかし一部への耐性では残ったデータが攻撃となって対象にダメージを与える。しかしそれも少量だ。
幻想級武器の等級としては中の上、それがシドの下した小手の評価だ。シドやリドルなど上位のプレイヤーになれば簡単に入手できるアイテム、として位置付けられるがいざこうして自分の弱点を突く形で現れるとなると面倒なことこのうえなかった。
シドに限らず、イスタリは全員固有の色と属性を持つ。白ならば光、灰ならば火、茶ならば地といった感じだ。そしてシドの黒が示すのは雷だ。全員が全員、属性魔法に長けたイスタリの戦闘能力は操る属性に大きく左右される。つまり対策されればこの上なく倒しやすい相手ということだ。
「魔法を妨害する斧に、俺をメタった小手使いか。レベルは……100行くか行かないってところだろうけど弱点を突かれるとやっぱきついな」
雷属性の次に得意な火属性もおそらくは効果がない。相手の小手の吸収限界にもよるだろうが、ただ吸収したままで幻想級武器は名乗れないだろう。なんらかの方法で吸収したエネルギーを使用する手立てがあるはずだ。それが生命力や魔力だとするとジリ貧だ。
しょうがない、とシドは腰の剣を抜いた。
体躯に恵まれないシドには不釣り合いな長剣だ。王の怒りという大層な銘が付けらているが、シドはこれを完璧には扱えない。付与されている能力は全部で九つあるが、シドが扱えるのはその内三つ、剣の軽量化、オーク鉄への特攻性能、そして海中内での無呼吸運動だ。最後の一つはイスタリであり精霊であるシドには意味をなさないのでほぼ死にスキルとなっている。
一応は神話級の武器で、イスタリになった際に選別として彼の同胞が残る五つの剣と共に与えてくれたのだが、これだけはその中でもダントツに使えなかった。在庫処理を押し付けられたんじゃないかろうか、と髭が生えた彼らを幾度となく思い浮かべたほどだ。
だが今はこれくらいしか武器として使える剣がない。残るもう一本は船上で使えば船が沈没しかねない。そんな雷轟を放った本人が決して言ってはいけないような思考をしながらシドは剣を構える。
——刹那、船尾で大爆発が起こった。
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次話投稿は8月21日21時を予定しています。




