国柱御所
「界別の才氏シド御前に」
「橋歩きの議氏アルヴィース御前に」
ヤシュニナの首都ロデッカの最深部に国柱の御所は存在している。氏令に名を連ねる人間であっても滅多に入ることはできず、国柱が許可を出した時のみ御所入りが許可される。羽化間近の蛹を形取った御所の内部は正面が謁見室、奥が国柱の居住空間となっている。
正面たる謁見室、その御簾の前に片膝をつき、シドとアルヴィースは国柱の言葉を待った。
「才氏シド、議氏アルヴィース。両名に命ず。帝国よりの客人、丁重にもてなすべし」
「「ははぁ」」
「万が一の折は個々の判断によりて適切に処理せよ。無論かようなことは汝らならばわかっていようがな」
雪解けの野原のような輝かしく朗らかな声だというのに、その内容は永久凍土の中で遭難しているかのような凍てついた色を帯びていた。御簾の向こうの第四代目ヤシュニナ氏令国が国柱、雪花の国柱Notdの言葉にシドとアルヴィースはひたすらに首肯する。
今行われている御前参内はあくまでも儀式的、儀礼的なものだ。国柱はヤシュニナの元首ではあるが、その権限は大きく制限されている。いわば国家統合の象徴だ。だから自分達の意思を通すための理由づけとして氏令の多くは国柱に敬意を示すし、シド達も首を縦に振り続ける。
「——偉大なる国柱。発言のお許しをたまわりたく思います」
国柱の言葉が終わったことを確認し、シドは少しだけ顔をあげて御簾の向こうへ視線を移す。かすかに見える御簾の向こうの影がわずかに動き、次いで鈴の音が響いた。回数は一回。発言を許可する、という合図だ。
「お許しいただき感謝申し上げます。では僭越ながら我が意をお聞きください。この度の人選が私とアルヴィースの二名、プレイヤーである我ら二名である真意は帝国の実力行使を考えておいでだからでしょうか?」
そう、ヤシュニナや帝国を含めた「SoleiU Project」はファンタジーとゲーム要素を足して作り出された世界だ。当然だがゲームの世界にはプレイヤーとノンプレイヤーキャラクターことNPCが存在する。「SoleiU Project」内ではこの二つをプレイヤーと煬人とカテゴライズしていて、シドやアルヴィースはプレイヤー、国柱やリオールは煬人だ。
ゲームの要素がある、ということはレベルだとかクラスだとかの概念も存在する。レベルの上限は150までで、シドとアルヴィースはどちらもレベル150のトッププレイヤーだ。
そしてプレイヤーは圧倒的に並の煬人と比べて強い。一般生活をしている煬人のレベルが1や2と言えばシドやアルヴィースとの隔たりが実感できるはずだ。
圧倒的強者である二人をわざわざ亡命者の出迎えに駆り出す、ということは帝国の妨害を警戒しているとシドが考えるのは自然だ。アルヴィースが自身の率いる精鋭部隊を亡命者の護衛に付かせた、と言った時、薄々だがシドもその可能性を考えていた。
シドとアルヴィース、この二人がいれば亡命者の一人や二人、大陸とグリムファレゴン島の間と言わず、大陸の端から端まで余裕で送り届けることができるだろう。亡命者が土産として持ってくる情報の価値を考えれば妥当な判断だ。
「才氏シド、汝の今口にした言葉、我が意とさほど相違なし。だが強いて付け加えるならば汝らが退治すべきはなにも帝国の尖兵のみにあらず」
つまり、とシドは仮面の向こうで目を細めた。国柱はこう言っているのだ。「お前らならば万が一の時に亡命者含めて目撃者とか関係者とかを証拠を残さず殺せるだろ」と。
間違ってはいない。強者の使い方を間違ってはいない。だが、一国の元首が口にするには血生臭い言葉だ。これが密室の対談でよかった、とシドは胸を撫で下ろす。
国柱は国家の象徴だ。アイドルと言ってもいい。決してアイドルは汚れてはいけない。まして建国から150年程度のこの凍土の国をなんとか維持できるほど便利な存在は。
Notdは四代目の国柱だ。彼女の前任者、そのまた前任者と初代国柱から脈々と受け継がれた多種族国家統合の象徴は陰惨な罠や卑劣な策謀などとは迂遠であるべきなのだ。
同時に彼女の残忍さと狡猾さ、およそ少女の外見からは想像だにできない残虐な発言の数々にシドは戦慄する。恐縮すると言ってもいい。
「国柱の意確かに承りました。我らが全力をもって客人を御身のもとへお連れいたします」
「最悪、持ち物だけでもかまわん」
最悪はそうあるべきだ。大事なのは土産のほうであって身柄ではないのだ。むしろ、身柄がヤシュニナ国内にない方がうまくことが運ぶ。いっそ、土産だけを奪い去っても良かったが、それは約束を反故にする行為だ。帝国のみならず、この亡命騒動を察知しているかもしれない第三国経由でヤシュニナのあらぬ風聞を撒き散らされては敵わない。
はい、と大きく頷き、シドとアルヴィースは深々と頭を下げた。
「厳命する。なんとしてでも草案を持ち帰れ。帝国を相手取るための手札は多くあって足りるものではない」
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