ムンゾ王国Ⅲ
「——なぜだ。なぜあやつは理解しない。なぜ四邦国の結束を崩さんとする?我が国の今後10年のいや、半世紀の栄華を棒に振るなど」
ムンゾ王国の首都レクシスの宮殿の玉座の間、国色である赤を基調とし5年の歳月をかけて築き上げられたムンゾ王国の威厳を象徴する部屋だ。中央に置かれた玉座は南方原産の珍しい魔法石から削り出され、これは玉座に座している人間を守護するマジックアイテムとなっている。玉座の左右にムンゾ王国の国旗とグリムファレゴン四邦国の統一旗がかかげられている。玉座から見上げれば豪奢なシャンデリアが目に入り、それらは七色の宝石によって飾り付けられていた。
レッドカーペットを彷彿とさせつつもより深い赤のカーペットが玉座から正面の大門めがけて伸び、その左右の支柱にはこれまた凝った細工がされている。右の支柱にはグリムファレゴン島の歴史、左の支柱にはムンゾ王国の歴史をモチーフとした彫刻画が彫られている。また支柱の根本には歴代のムンゾ王が選定した英雄達の石像が置かれ、それは今にも動きそうなほどに精巧に作られていた。
建国の物語を描いたステンドグラスが玉座の背後には設置され、それはあまねく王の威光を玉座の間に入ったすべての人間に知らしめるためか多数の鏡を併用して北側を背にしているにも関わらず太陽の光を玉座の間に浴びせていた。
そんなムンゾ王国の象徴と呼べる部屋の中で赤獅子の王シースラッケンは人目をはばからずたけ狂っていた。彼の怒りの形相は平伏する臣下達を動揺させ、中には身震いするものさえいた。赤熱化した謎のオーラが彼の体からほとばしっているかのように感じさせ、それはまさに彼の怒りを如実に表していた。
怒りのままに腰の宝剣に手をかけ、居並ぶ臣下へ怒りを叩きつけようかとも思ったが、それは自制した。ここで自分に付き従っている臣下を殺しても利益にならない。むしろエッダの側につこう、と考える人間を増やしてしまう。何より今目の前にいる優秀な臣下を殺しては自分の陣営にとっての損害が大きかった。
「速やかにミュネル王国へ使者を出せ。即刻エッダとその配下の者どもを私の前に引っ立ててくるのだ!」
「——は、ただちに!」
深々と頭を下げ、玉座の間から退席する臣下を見送りながら、シースラッケンは内心で無理だろうな、とは悟っていた。現在のミュネル王国の女王、英才の女王サーベラはシースラッケンが王位につくよりも前、それどころか生まれる前から王位に就いている女傑だ。ほぼ確実に要求は拒否される。
今年で60を超える老齢になったにも関わらず、まだ王位を若い世代に譲らない傲慢さには敬意を表す部分がないと言えば嘘にはなるが、彼女は今やシースラッケンにとって邪魔な存在でしかなかった。大事な祝宴に代理を派遣したこともそうだが、今回のエッダの亡命を受け入れた一件で彼女が害になりえることが決定的となった。
軍事力でミュネル王国を潰すことはムンゾ王国軍4万を用いればたやすい。五千のムンゾ王国騎兵が突撃し、離散した敵軍を左右から歩兵が殲滅する。数にしろ練度にしろムンゾ王国とまともに戦える軍隊を持っている国は四邦国内には一つとしてない。軍事力による迅速なミュネル王国の制圧は可能だ。だが可能だからといってやるやらないは別問題だ。
「(今ミュネル王国とことを構えるのは愚策。ヤシュニナが大挙して押し寄せてくる口実を作りかねない、か)」
いつもならばこの手の裏工作は弟がやってくれていた。だがその弟は離れ、今や片腕をもがれた王が玉座に座っているというなんともしまらない格好だ。
「ジャルフ大臣。彼の国の商人を呼べ」
「かしこまりました」
数時間後、身なりが整った帝国人の男が喪服姿の女性を連れて玉座の間に現れた。うやうやしくその男、シャスター・エルジムが一礼する中、彼が王を讃える美辞麗句を口にするよりも早く、シースラッケンが話の口火を切った。
「エルジム殿はすでに承知かもしれんがつい先日、我が弟エッダがミュネル王国へ亡命した」
「なんと!それは初耳であります。一体どうしてでしょうか」
仰々しい口調でシャスターは驚いて見せる。そのあまりな大根役者っぷりにシースラッケンは失笑を禁じえなかった。こうもあからさまだと疑いの目を向けることすらバカバカしく思えてしまう。それを見越しての大根役者っぷりなのかもしれないが、それはそれでありえそうで恐ろしい。
シースラッケンなりにシャスターのことは調べたつもりだ。もちろん直接調べたのはエッダだが、彼の知り得た情報はすべてシースラッケンに共有されている。
そしてわかったことは目の前の大根役者が帝国貴族の次男坊である、ということだ。シャスターという名前はそのままにエルジムという性はあからさまな嘘だ。すでについえた男爵家の名前を使っているあたりが同じ国の人間すら食い物にする帝国らしい。
「私に嫌気が差したらしい。まったく我が弟の愚かさを貴公の国に申し訳なく思う。せっかくの両国の融和を砕かんとしているのだからな」
シースラッケンの言葉に嘘はない。本当に帝国との融和が叶うのなら、これに勝る後ろ盾はアインスエフ大陸東海岸には存在しない。ゆえにその大業を踏み躙ろうとするエッダのやり方がシースラッケンには理解できなかった。
なんらかの証拠があって帝国との同盟に反対するのならばわかる。だが意味もなく、理由も説明せずに離反して、いまだにヤシュニナの傘の下でいよう、とするエッダの考えはシースラッケンからすれば屈辱的以外のなにものでもなかった。
——いっそこのままエッダを殺してしまってもいいんじゃないか、と思うほどに。
「エルジム殿、そこで申し訳ないのだが、一つ貴公に協力してもらいたいことがある」
「なんなりと仰せください。偉大なる王」
「今後我々が本格的に同盟を組むにあたって、エッダの存在は邪魔になるだろう。ゆえにあやつを内密に処分してもらいたい。生死は……問わん」
つまりは暗殺しろ、というシースラッケンの言葉にシャスターは眉一つ動かさなかった。その答えを予想していたのか、はたまた謀略に慣れ過ぎて殺人が日常化したのか。どちらにせよシャスターは何も言わず、こくりと頷いた。
この件はシャスターにしか頼むことができない。表向きは協力的でありつつも、やはり日和見を崩せないガラムタのバヌヌイバ、カイルノートのキシュアにはまず頼めない。ミュネルのサーベラは論外、アザシャルならば可能かもしれないが、成功確率は低い。今まとまった兵力を持ち、四邦国間を自由に行き来できる人間はシャスターをおいてほかにはいなかった。
帝国人に借りを作ることは業腹以外の何者でない。まして血を分けた弟の暗殺を頼むなど、王の威厳やプライドもあったものではなかったが、せっかくの両国の関係を妄想にとりつかれた頭のおかしい王弟に潰されるよりは数段マシだ。
「偉大なる王シースラッケン。赤獅子の王シースラッケン。この身の全身全霊をかけまして必ずや弟君との再会をお約束いたします。どうぞ、吉報をお待ちください」
盛大な皮肉と共にシャスターは玉座の間から退室した。本来ならば断罪されてしかるべき、シースラッケンが激昂してシャスターに斬りかかってもおかしくはなかった。だが今のシースラッケンはもうそんなことはどうでも良かった。王としてのプライドはなくなった。今の彼にあるのはもはや取り除くことができなくなるまでに肥大化した自尊心、それだけだった。
✳︎
次話投稿は8月13日21時を予定しています。




