賽の才氏リオール
ヤシュニナ歴153年5月24日、賽の才氏リオールは使節を率いて春先のヤシュニナの草原を横断していた。四台の四輪馬車をプレートアーマーを纏った複数の騎士風の兵士達が護衛し、一定の速度を保って並走する。
先頭を走る馬車にはこの使節を護衛する将軍達が乗り込み、常に前方へ注意を払っている。続く二台の馬車にはそれぞれの馬車に氏令が三人ずつと師父が一人ずつ乗っており、目的地であるムンゾ王国に入ってからの段取りを確認している。そして一番後方の馬車にはムンゾ王シースラッケンをはじめとした四邦国の王達への献上品が積み込まれていた。そのため四台の馬車の中で最も大きい。
馬車そのものの外見はまさにヤシュニナの権威を象徴するかのような豪奢さが目立つとともに、随所に馬車の揺れを軽減するマジックアイテムが取り付けられている。おかげで普通の馬車に比べ揺れることはほとんどなく、むしろ平地で腰掛けている以上の快適さだ。
その他にも扉、屋根には赤い宝石が見え、これは飛び道具に対して迎撃をするマジックアイテムだ。おおよそ只人が乗るような代物ではなく、その証拠に馬車にはヤシュニナの国章である白い狼と乙女が彫られ、随行する騎士達はヤシュニナの国旗をかかげていた。
国内ではあるが護衛の騎士達は常に周囲へ警戒の目を向けていた。さすがにヤシュニナの氏令が乗っている馬車を襲おうなどと考える野盗はいないだろうが、モンスターは別だ。春先ということもありジャイアントワームが冬眠から目覚める頃合いだし、その他にも突如飛来した竜などどれだけ治安維持のために軍令や刃令が働いても対処しきれない。
過去に羽飾りの軍令シュトレゼマンが街道の整備のために大規模な掃討作戦を実行したが、翌年にはもう同じ数のジャイアンワームが発生してしまった、という件もあり、定期的な駆逐に止めているのが現状だ。そういうわけで騎士達は気の抜けないまま馬車に並走していた。
そんな彼らの緊張感とは裏腹に才氏リオールは穏やかな表情で同席した軽業の才氏ジンナー、大玉石の議氏ライラ、遠吠えの師父ラステルと共に馬車の中でのワインを楽しんでいた。東方大陸との交易で入手した白ワインを楽しみつつ、リオールが話題の口火を切った。
「この度の私達の巡行はいささか四邦国の方々にとって不義理となるでしょうね。認めて然るべき権利を外国である我々に犯されているようなものなのですから」
「まさに才氏リオールのおっしゃる通りです。そもそも100年前に一度独立させたにも関わらず、自分達にとって不都合になったからと支配を強要するようなことを言うなどどうかしています」
リオールに同意を示したのはジンナーだ。リオールと同じホワイトエルフの青年であり、年齢は彼より10歳ほど若い。容姿にめぐまれ、体躯にめぐまれ、勉学にも優れているという非の打ち所がない好青年だ。リオールが自分の腹心としているほどに才知に富み、古今東西のさまざまな書物を暗記しているという驚異的な記憶力の持ち主だ。
「才氏ジンナー。貴方がそう言ってくれることが何より嬉しい。議氏ライラ、師父ラステル貴方達は何かありませんか?」
話題が振られ、まず答えたのはライラだった。蜂蜜色の癖っ毛のエレ・アルカンの少女で最年少で議氏に選ばれた逸材だ。どの派閥に属してもおかしくはなかったが、真っ先に彼女をスカウトしたのはリオールで、彼が彼女を手中に納めた。そのあだ名が示す通り、商人としては類稀なる才気を有しており、利にめざとく幾度となくリオールに適切な助言を行なってきた。
「私が思いますに現在のヤシュニナと四邦国の関係は修復困難と言えましょう。我らの来訪が彼らの心象を悪化させるという才氏リオールの言はまさに正鵠を射ております。痛くもない腹を突かれるのと同義でありますから。ゆえに我々は彼らの心をときほぐさねばなりません」
「具体的にはどうすればいいと?」
「献上品程度で買える人心はたかが知れております。大切なことはいかに相手の尊厳を踏み躙らずにこちらの意図を伝えるか、ということです。才氏リオールもご存知のように例えこちらがへりくだったとしても四邦国は信用しません。こちらが味方であり、絶対的に相手の利となると明確に証明するためにも、まずは我が国が現状を包み隠さず伝えるべきかと」
「胸襟を開く、でしたか。確かに私達は今や交友を絶って久しい。彼らが私達の個人主義に嫌気が差したことは自明ですね」
続けてライラは現在かけている東方航路使用の関税を下げるべきだ、と口にした。これは完全に商人の目線から見た判断で、要は関税が高すぎて四邦国はまともに商売ができない、ということだ。これも一理ある、とリオールは同意した。
まずは融和を計り、それから共存共栄の道を模索すべきだろう。そのために自分達は遣わされたのだ、という自負がリオールの中で大きくなり、彼に多幸感を与えた。
「さて最後に師父ラステル。何か意見はありますか?」
指名されたラステルはわずかに逡巡した後、口を開いた。ラステルは師父という才氏の一つ下の役職にいる。それは軍令にとっての将軍と同じように万が一、才氏の席に穴があいた場合は補充要員として才氏に昇格するだけの才覚があることを示す。加えて彼はリオール派の人間だ。
「これはいささか突飛な考えやも知れませぬが、此度の一件は軍令シオンの策略ではありませんでしょうか?」
「突飛、ですね。一体どういうことでしょうか?」
彼の考えにリオールはとまどいを覚えたかのように表情を曇らせた。リオール派であるとはいえ他派閥の人間を安易に貶めるようなことをラステルが言うことは滅多にない。なんらかの根拠があっての言葉だろうとリオールが期待を寄せる中、ラステルは説明を始めた。
「此度のムンゾ王国の一件でまず表面化したこと、それは四邦国が少なからず現状に不満を抱いている点です。それ以前から四邦国から亜人種の難民が押し寄せることは多々ありましたが、これはどうしようもない面もありました。四邦国内の事情に我々が口を出すことが主権の侵害に他なりません。ゆえに明確な敵意、不満の表れと断じることはできませんでした。
しかし此度、王シースラッケンが残りの三邦国から王を招いたことで軍令シオンは以前から主張していた四邦国の再領土化を主張する大義名分を得たわけです。もちろん状況証拠にはなりますが、この件で最も得をした人間は誰か、と聞かれればそれは軍令シオンただ一人でありますから」
「私も師父の意見には部分的に賛成いたします。無論一国の軍務を担うべき人間が何らかの謀略を巡らせた、などと突飛すぎる話ではありますが、可能性はゼロではありません。もしここで何らかの動きがムンゾ王国であれば関与の可能性は跳ね上がりましょう」
ラステルにジンナーが同意の意を示した。最初は半信半疑だったリオールもだんだんとその眉唾とも言える話を信じるようになった。可能性であることはわかっていても彼が知る埋伏の軍令シオンという人間はそれくらいの謀略はめぐらせる可能性がある人間だ。
何度も対峙してきたからこそ彼の思考は理解できる。ヤシュニナのため、という大義を振りかざし、これまで多数の反国家勢力を潰してきた人間だ。時には同士討ちを誘発させるという卑劣な策すら実行してのけた。才氏シドと懇意しているという状況を傘にきてヤシュニナを好き放題にしている彼こそまさに毒薬だ。
その思考に思い至った矢先、馬車が止まった。何事かジャイアントワームでも出たかとリオールが窓の外へ視線を向けると騎馬が一騎、彼の馬車の真横に立った。その騎馬が付けている徽章が自分の生家のものだと知るや否や、リオールは窓を開け放ち、騎馬に乗っていた人物が手渡してきた羊皮紙を受け取った。
そしてその中身を見て彼の懸念は確信へと変わった。
「いかがしました、才氏リオール」
ライラの問いにリオールは真剣な眼差しで答えた。
「師父ラステルの読みは正しかったかもしれない。昨夜、ムンゾ王国の王弟であらせられる秤の王弟エッダ様が三千の騎兵と共にミュネル王国へ亡命なさった。ただその事実だけでシオンの関与はともかくなんらかの謀略が四邦国で回らされているに違いない」
「後列の馬車に乗る早口の才氏ジャナリア、穴掘りの議氏ディ・ロイ、眼の刃令メルコール、大海原の師父タイフォールにもこのことを伝えてください。そして読み終わった処分するように、とも」
騎馬を走らせ、リオールは先を急がせた。このままでは本当にヤシュニナと四邦国の関係は崩壊してしまう。ただ一心に両国の関係改善をこそ望み、リオールはムンゾ王国の首都レクシスを目指した。
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次話投稿は8月11日を予定しています。




