協商連合国家エイギル
ヤシュニナ歴153年5月19日。その日界別の才氏シドはヤシュニナ氏令国から離れ、海を隔てた先にある協商連合国家エイギルの首都ジェノファにいた。エイギルはグリムファレゴン島から南に船で四日から五日の位置にある島国だ。
アインスエフ大陸東岸部ではヤシュニナと肩を並べる規模の商業国家であり、東方航路の開拓を進めるライバル国家でもある。経済戦争なんてしょっちゅうのことで、ヤシュニナ商人とエイギル商人は言うまでもなく商談の取り合いをしている。
国家体制は7つの商業ギルドの代表達による合議制であり、前年の利益順に席次が変動する。言わずもがな序列1位となる商業ギルドは国家の代表者ということになる。そして今シドの前に座る柔和な笑顔を浮かべる青年こそがエイギルの最高権力者、大統領ルキアーノだ。
外見年齢は20代から30代ほど。金髪の天然パーマの持ち主で、とても気安い印象を受ける。着ている衣服は白を基調とした東大陸の白絹から練り上げた一級品、付けているアクセサリもまた同じ代物だ。付けているペンダントは幻想級の代物だろうか。とにかく国の最高権力者に恥じぬ格好と言ってよい。
対してシドはいつもの仮面は当然として、黒いボロを纏っている。唯一高価に見えるのは彼が手に握っている黒真珠の杖くらいだろうか。一応神話級の代物だ。着ている衣装は見栄という意味合いの他に国の経済規模を示しているとも言える。豪華絢爛な衣装を身に纏っているということはそれを可能とする国力があるという証明だ。
「大統領ルキアーノ。本日は急な申し出にも関わらず会談の席を設けていただきありがとうございます」
「貴方だからですよ、才氏シド。160年前の英雄の一人である貴方でなければ他のギルドの代表者達もこの会談について納得することはなかったでしょう」
会談開始早々謝辞を口にするシドをルキアーノは軽く流した。仮面の向こうでシドは苦笑するが、相手の好意にここはのるべきだと考え、早々に話を切り出した。
「大統領。本日私が貴国に来訪いたしました議題につきましてはご存知の通り、東方航路拠点の一つメトギスのダイアーナで起きました我が国と貴国の商人による武力衝突についてです」
ヤシュニナが亜人軍の反乱でてんやわんやだった頃、東大陸のメトギスという国家ではちょっとした騒ぎが起きていた。有り体に言えば商売上のトラブルだ。それは現地のヤシュニナ、エイギルの大使館を巻き込んだ一大衝突へとつながり、ついには死者が出るほどにまで悪化した。
シドがこの知らせを受けたのはつい一週間前だ。それはエイギルも同じだったようで、急遽この会談が成立した。とどのつまりは両国の為政者がどうやって落とし所を探るか、という話し合いだ。
「聞く話によりますとメトギス王国が新たに発布した新法が原因だとか。それでエイギル商人が冷遇される形となり、交易権の主張から争いになったと」
「付け加えるのであれば新法を推進した大臣はヤシュニナ商人と懇意にしていました。賄賂か何かでエイギル商人の交易権を縮小した、と現地では騒がれていますね」
ヤシュニナ商人とエイギル商人の一番の違いは保険の有無だ。ヤシュニナでは事前に役所に登録することで万が一航海で積み荷を失ったとしても最低半分は保証される。それは本国であろうと海外であろうと変わらない。比較的財政に余裕があるからこそできる芸当だ。対してエイギル商人は己の才覚のみを武器に遠洋航海へ出る。保険制度なんてものはもちろんないし、積み荷を失えばそれまでだ。
だからエイギル商人というものはとにかくがめつい。5枚金貨を獲たことを5枚損した、本当は10枚もらえたはずだったのに、と考える手合いがほとんどだ。ゆえに自分達の利益が損なわれたと知れば烈火のごとく怒るし、報復なんて日常茶飯事だ。
「一応は現地の事情ということにはなりますが」
「それでも利益を侵された、と考える人間は多いのですよ。七大ギルドの中にはヤシュニナ商人を排除すべき、などという意見もあります。ええ、もちろんそんなことをしてもなんら利益にはなりませんがね」
「こちらとしても由々しき問題です。メトギス王国の新法ではかなり細かく他国との商業に関して制限しています。これは自由貿易の禁止に他なりません」
メトギスで制定された商業に関する新法ではそれまで国内の大小の商人に認めていた外国との貿易を大きく制限している。一度に買い取り可能な量はもちろん、港内から商品を出す際の関税の増額など明らかに利益をすべて王家に集約することを目的としたものばかりだ。
ここでなぜエイギル商人が怒っているのかと聞かれれば、それは彼らの主な取引相手がその大小の商人達だったことだ。それまでは無制限に商品を納入していた相手が明日になってみれば100個までね、と言われたら動揺もするし、理由を知ろうとも考える。
対してヤシュニナ商人の主な取引相手はメトギスの王族や王侯貴族達だ。王族は言わずもがな、貴族達も新法の制約からはすり抜けている。つまりこれからも一切の制限を受けずに商品を納入することができるのだ。あからさますぎるといえばあからさま過ぎるが、この新法制定の理由はメトギス内の経済活動の停滞が原因だとシドは分析している。
「メトギス内の物価上昇に歯止めをかけるため、外貨流出を防ぐための措置でしょうね」
「お国の事情である以上私達は何もできません。しかしあるがままを受けいれるというのは難しい。現に死者も出ています」
きっかけは些細なことだった。たまたま港での書類検査がヤシュニナ商人の方が早かっただけ、長々と待たされた挙句自分よりも後から入港した船の人間が先に書類検査を済ませたことへの憤りという本当に些細なことだった。しかし自分達よりもヤシュニナ商人が優遇された、自尊心を傷つけられた、とエイギル商人は訴え、ついカッとなってやってしまった。
普通だったらその商人の手首に銀色のブレスレットを付けるだけでよかったのだが、新法の制定もあいまって運が悪く両者の感情的対立を悪化させてしまった。まさに不幸の連鎖、どうしようもない偶然の最悪と言えた。
「事実としてこちらが貴国の人間を殺してしまいました。そのことについては後日正式に謝罪文を送らせていただきます。ですがそれ以外の件についてこちらが譲歩する謂れはありません。強いて言うのならば運が悪かったのです」
「お言葉ですが、我が国の商船が多数メトギスの港内で沈められています。これは貴国の商人の仕業であると報告されていますが?」
「証拠がおありで?我が国の商船も焼かれており、貴国の商人の仕業であると報告されています。水掛け論をお望みですか?」
切るカードを誤ったな、とシドは舌打ちをした。この場で議論すべきは落とし所の模索だ。さっさと殺された一個人の弁償だけで済ませようとしているエイギルに対して、ヤシュニナはエイギルからある程度のまとまった損害賠償を引き出そうとしている。このままでは平行線だ。
無論何度か人を挟んで協議することもできるが、それではこちらの損害の方が大きい。メトギスからエイギルだって手を引こうとは考えないだろうが、両者のわだかまりを残したままにしておくことは避けたかった。有り体にいえばさっさと解決して家に帰りたかった。
「こちらとしては十分に譲歩しているのですよ?メトギスという市場を失ったことへの文句を何一つ言っていないのですから!」
「しかしこのままうやむやで終わらせるわけにもいかないのは自明。いっそ港湾区を割りますか?」
「ああ、いい案ですね。無論提案者であるヤシュニナが全額出資なさるのでしょう?」
「ええ、もちろん。我が国は華美に、貴国は貧相に、を受け入れてくださるならば」
「はははは。それはできない相談ですね。ですがいい案ですね。このまま同じ港で顔を突き合わせていても胸ぐらを掴み合うくらいはしそうですから。港の分割使用、悪くはないですね」
港湾区を分けることの利点は多い。メトギス最大の港ダイアーナは巨大だ。大きすぎてどこにどの船舶が錨をおろしているのか、迷子になることも多々ある。ヤシュニナの船に乗ったと思っていたら別の船に乗ってしまい、奴隷として売っぱらわれたという話もよく聞く。効率性を考えるとしても利点はある。
ただそれはメトギスに伺いを立てる必要もある。メトギスがノーといえばそれまでだ。実際のところはノーと言わない確率の方が高いだろうが。
「私の名前でメトギスに提案書を送りましょう。なぁに向こうが拒否すればこちらは撤退するまでです。ましてヤシュニナまで今後交易は行わないなどと言い始めれば向こうの損失は相当なものでしょうからな」
「氷晶ですか?熱い地域でも解けない氷といえば物珍しさの塊ですからね。それに美麗な細工が施されているとなれば価値ば倍増する。ですがそれは貴国の海の盃も同じことでしょう。我が家にもいくつかありますが、工芸品としては群を抜いている。まさに特産の名にふさわしい」
「良い商談ができました。では後日港湾区の資金などについては相談する、ということで」
「ええ、こちらも担当者を出しますとも」
両者は硬い握手をかわし、互いに笑みを浮かべた。落とし所としては悪くないのかもしれない。だがシドの頭の中では商船の損失と新たに作るかもしれない港湾区の資金のことでいっぱいだった。
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次話投稿は8月3日21時を予定しています。




