ムンゾ王国
グリムファレゴン島はその中にヤシュニナを含め五つの国家を内包している。島を二分する形で東岸部を支配するヤシュニナ氏令国、西岸部を領有する四小邦国群だ。四小邦国群はムンゾ王国を筆頭にガラムタ王国、ミュネル王国、カイルノート王国に別れており、この国々を衛星国、従属国と考えているヤシュニナ人は決して少なくはない。
各国家の国力を見ればそれは致し方ないのかもしれない。筆頭の座にいるムンゾ王国すら国力で言えばヤシュニナの五分の一もない。他は言わずもがなだ。国内の事情に時折ヤシュニナに首を突っ込まれることもあり、とても主権を有しているとはいえない。どこと貿易するのか、なども厳格に決められていた。
だからと言うべきか。この四小邦国群の王同士が一同に介することなど基本的にヤシュニナは認めていなかった。まして実行しようものならそれは独立の意思あり、と喧伝するようなものだった。
ムンゾ王国は王都レクシスは長大なるシトラ大河に接して造られた都市だ。交通の要所に築かれたこの都はムンゾの華と称されても過言ではない。ムンゾ唯一の港、イェスタから運ばれた西側の交易品が往来し、華やかな王都をさらに彩り豊かにしていた。
華やかな王都である一方、川と真逆のヤシュニナ側は堅牢な城壁が築かれ、言わずともヤシュニナに対する敵愾心を剥き出しにしていた。西側を川、東側を壁で守られたこの街は守りが固くそんじょそこらの軍隊では落とせないという自負からまさにムンゾ王国国民の自尊心の象徴と言えた。
その中央に置かれた王宮では今、賑やかな祝宴が開かれていた。円卓を囲い、各々が盃を掲げ、和気藹々としている中、ムンゾ王国国王でありこの宴会の主催者であるシースラッケンが咳払いと共に口を開いた。
「本日、かような祝宴を開けたことはまさに僥倖であると言っても良い。平時から我らを四小邦国群などとあだ名するヤシュニナの連中に思い知らせてやろうではないか。我らが一体となれば彼の国に勝るとも劣らぬ国威を得ると」
「さすがは王シースラッケン。此度の祝宴に名代として馳せ参じることができた幸運にこのアザシャル、感動に打ち震えております」
赤獅子の王シースラッケンはそのあだ名が示す通り、獅子の如き苛烈さで知られる男だ。王位につくにあたり、自らをグリムファレゴン島に古くから伝わる伝説の赤獅子の生まれ変わりであると自称し、先代の頃からいた多くの臣下を粛清した狂王として知られる一方、王都をレクシスに移し物流の安定化を図った賢王としても知られている。
まだ齢40に満たずして放たれる獰猛な獅子のような獣性から、彼の言いふらしている話が真実なのでは、と思う人間も少なくはない。武勇にすぐれ才智にすぐれ、性格面と野心を除けばまさに完璧な王と言えた。ゆえに彼の発言を祝宴の席での冗談と捉えた人間はこの席には一人もいなかった。
彼の宣言に真っ先に反応したアザシャルもそれは同様だ。ミュネル王国女王、英才の女王サーベラの名代として今この場にいる彼は昔から今の四小邦国群が置かれている状況に不満を持っていた。ゆえに今日この祝宴に参加することの意味をアザシャルはよく理解していた。
「シースラッケン。手立てあるのだろうな」
「左様。貴卿の考えは理解できぬわけではないが、手立てなしでヤシュニナから独立せんとするは愚か者の所業だ」
当然だが反対意見も出てくる。ガラムタ王国国王、宝石の王バヌヌイバとカイルノート王国国王、白仮面の王キシュアの二人だ。
バヌヌイバはドワーフも驚くほどの髭を生やした瞳がつぶらな恰幅の良い大男、キシュアは顔の上半分を白い仮面で隠した美髯の男だ。バヌヌイバは言葉とは裏腹に乗り気である、とシースラッケンは知っている。だがキシュアは彼から見ても正直よくわからない。ただ一つ確かなことはなんらかの利益を求めているという点だ。
「バヌヌイバ殿、キシュア殿。当然私とて馬鹿ではない。いずれ国威はヤシュニナに勝ろうとも今の我らの兵力はたかが知れている。すばらしき後ろ盾なくして我らの独立はありえない。今日の祝宴はその後ろ盾の紹介も踏まえているのだ。どうぞ、お入りください」
そう言ってシースラッケンは部屋の正面扉を示した。祝宴の席に集まった全員がその方向を見る。そしてしずかに開いた扉から現れたのは二人の男女だった。片や長身にして煌びやかな衣服を身に纏った男性、片やバイザーで顔を覆ったドレスを着た女性だ。
男性の方は顔つきの特徴から帝国人だとすぐにその場の人間はわかった。だが女性の方はそもそも顔を隠しているせいでわからない。祝宴には似合わない喪服を思わせる黒いドレスを着ていて、前腕部に傘を引っ掛けていることくらいしか目につくものがない。
「こちらの方々は西方のとある国よりいらした商人の夫妻だ。彼らを通し我らの独立をその国家は援助してくださるらしい」
「なんと。帝国が我らの独立を?いや、ちょっと待て。87年前の出来事を忘れたのか?お前の曽祖父もあの戦いで」
「過去のことは過去のこと。今は今だ。私は手を取れるのならば悪魔とだって手を組むつもりだ。それで我らの悲願が達成されるのならばな」
「シースラッケン!貴様正気か!」
バヌヌイバは激昂し、強く円卓を叩いた。腕が太いせいか、机が叩かれた同時に乗っていた皿の類が跳ね上がった。だがシースラッケンは涼しい顔をして彼の怒りを受け流した。いや、無視した。
「偉大なる王バヌヌイバ、発言をしてもよろしいでしょうか?」
「認めよう」
許可を求めた男に返答したのはバヌヌイバではなくシースラッケンだ。苦々しげな目でバヌヌイバはシースラッケンを見るが、特に何か言うこともせず、席についた。
「ありがとうございます。では改めまして紹介をさせていただきます。私は帝国宰相アレクサンダー・ド・リシリュー閣下の命を受け、この場に馳せ参じましたシャスター・エルジムと申します。この度の皆様方の独立の精神には感動を禁じ得ません。おっしゃられるのならば如何なるものも用意いたしましょう。財貨、武器、衣類に医薬物資などなど。必要なものはすべて。ご質問にもすべてお答えいたしましょう」
「エルジム……殿。では一つ聞きたい。なにゆえ貴殿の国が私達に肩入れをする?帝国にとって憎むべきはヤシュニナよりもむしろ我ら四邦国などでは?」
かつてのグリムファレゴン島侵攻で、最も帝国人が死んだのは海戦ではなく、上陸戦だ。ミュネル王国の海岸部を強襲した帝国海軍は待ち構えていた四小邦国群と二週間にわたって熾烈な戦いを演じ、四小邦国群はムンゾ王、ミュネル王を、帝国海軍は大将を初め多くの名だたる武官を失った。そのことについて言及したキシュアの質問にシャスターは笑顔で答えた。
「ただいまシースラッケン殿がおっしゃったではありませんか。過去は過去、今は今です。我らの争いは87年前にすでに決着しております。前は敵として、今は味方として独立を志す貴国を援助したい、というのが我が主人であるアレクサンダーの、強いては皇帝陛下の御意思でもあるのです」
「素晴らしい!陛下自らが我らの独立を援助してくださるなどこれは万の軍が確約されたも同じではありませんか!」
「アザシャル、冷静になれ。我らが例えヤシュニナから独立したとてその後の経済、軍備を考えろ。国境を抜かれれば我らに勝ち目などあるはずもないではないか!」
喜びのあまり頬をそめるアザシャルをバヌヌイバが叱責した。だがアザシャルもこの場にミュネル女王の名代として推参した身だ。簡単には引き下がれない。
「ヤシュニナの経済からの独立、引いては国家としての独立は我らの悲願ではありませぬか。今我らの側には風が吹いておりまする。この風が過ぎ去ればあと何年、ヤシュニナに縛られることになるか。私はこの話には大いに乗るべきと考えますが?」
「落ち着け。まだ我々は帝国の客人が何を提供してくれるのか、具体的な話を聞いてはいない」
ちらりとキシュアが視線をシャスターへ向けると彼はにっこりと頷き、口火を切った。「まずは……」から始まりすべてを聴き終えたとき、熱くなっていたバヌヌイバの脳は完全に冷め切っていた。アザシャルは相も変わらずニコニコしているし、キシュアはまったく表情が読めなかった。だがこの場に集まった各国の代表の意見は一致を見た。
「では近いうちに貴国よりすり合わせのための人間がくる、と捉えて相違ないか?」
「御意のままに。後日正式な書面にて内容を確認させていただきます。貴国の独立、必ずや成し遂げましょう」
両者は笑みをたたえ、そしてその日の祝宴はさらに盛況なものとなった。
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次話投稿は7月31日を予定しています。




