戦争、それすなわち理性の象徴。殺戮、それすなわち野性の象徴
アングマール掌国の最上級魔将、CORTは陰鬱な気持ちで廊下を歩いていた。時折ため息すら吐き、鎮痛な表情を仮面の中に隠し、彼は壁上を目指した。
コルトはプレイヤーである。初期の初期から「SoleiU Project」で遊んでいた古参中の古参である。鳥を思わせる外観の鉄製の仮面を被り、赤い軍服に袖を通したその姿から「レッド・バロン」などとも当時は呼ばれ、今でもその名はアングマールに敵対する人間にとって恐怖の対象となっている。
そんなコルトは同僚であるアシュラ、そして玄雲に呼び出される形で壁上へ向かっている。おおかた、壁外に向かって進行したいとかそういう話だろう、と普段の言動から推測し、コルトは盛大にため息を吐いた。
コルトが今いる場所はアングマール掌国の南端、南部戦線が有する大長城である。長城と言ってもかつてのアスカラ=オルト帝国が有していた巨大なものでもなければ、北部戦線ほど長いものでもなく、大体3メートルから5メートルくらいの城壁が点々と並んでいるだけのお粗末なものでしかない。それほどにメソアリカ地方南部とその先の世界は脅威という脅威がない。
アインスエフ大陸南方は概ね、東部と西部に分けられ、大陸を二分する白喪連山によってそれらはメソアリカ地方、ターユターラー地方に分けられる。大陸南部の入り口である「橋渡しの大地」を超えた先にあるのはアルカン大樹林やその手前にあるシルガリア大草原がある場所はひっくるめてノトアルカン地方と呼ばれる。もっとも、アルカン大樹林は先に述べた二つの地方にまで跨いで存在しているため、三者の境界はかなり曖昧である。
そういった南部の主だった事情から見て、メソアリカ地方南方の先の世界、俗に南方領域と呼ばれる場所はそれほど魅力的な場所ではない。いわゆる国家と呼べるものもなければ、取引できる環境が整っているということもない。何もない、という表現がしっくりくる場所だ。
南方領域は複数の亜人種と異形種が種族単位、あるいは部族単位で小競り合いを繰り返すだけの場所だ。その理由も極めて原始的で、目と目が合ったからとか、川魚の取り合いとか、そんなくだらないものばかりだ。
過去、アングマール掌国でもいくつかの部族と取引ができないかと使節を送ったことがある。その時は珍しい膏薬やモンスターの素材を取引したい、と使節は告げたそうだが、結果としてそれはうまくいかなかった。
なにせ彼らにはそもそも物々交換という概念すらないのだ。部族内に個人の所有物はなく、すべて共有財産。他の部族や種族が持っていったらそれは貸した扱い、返ってこなければ奪われた扱いという共産主義国家もびっくりな独自の倫理感が働いていた。
当然、商取引というものを理解できない彼らとの取引が成り立つわけがない。あっという間に取引は破断となり、以後、アングマール掌国から南方領域へ直接的な関与をすることはなくなった。代わりに、彼らがアングマール掌国を認知し、時折南部の村々を襲撃するようになった。
南部戦線の細々とした城壁はそういった略奪に対処するために作られた。テオ=クイトラトルなどの主要都市と異なり、市壁で覆われていない村や街にとって、たとえ低くとも城壁の存在はありがたいものだった。
そういった経緯もあって、アシュラや玄雲などの過激な魔将は誅罰、誅罰と連呼して憚らない。実際、中央に軍事権の行使を求めるほどの筋金入りだ。
「害虫駆除っていう理屈はわからないでもないけど。そういう無用な殺生はなぁ」
歩きながらブツクサとコルトは愚痴を漏らす。歩くより、走ればもっと早くに目的地に到着するが、それでも歩いているのもそのためだ。シンプルに乗り気になれないのだ。
それでも歩いている以上は目的地に到着してしまう。執務室を出て歩いて15分ほど、壁上に現れたコルトの視界には見たくもない二人の姿があった。
胸壁に腰を下ろすのは大柄の男だ。外観は旧世界の悪魔そのもので、二本のツノが生え、牙が口蓋からせり出していた。肌色と同じ赤いマントに身を包み、その下には四本腕をのぞかせる。
片や宙に浮かんでいるのは小柄な老爺だ。古臭い袈裟を着た禿頭の男性で、眼窩は暗く、白目がなかった。宙に浮かぶその足元を見てみると足はなく、老爺が幽霊であることが窺い知れる。
どちらもコルトと同じ最上級魔将で、平時は南東と南西の戦線の指揮官を務めている。本来はここにいるべきではない人間だ。それがここにいることの重大さを噛み締めながら、コルトは壁上に立った。
「アシュラ、玄雲。すまないな、待たせた」
「ひひ、いえいえ。急な呼び出しにも関わらず、わざわざ来てくださり何よりですぞ、コルト殿」
慇懃な態度で老爺が接する。その老爺、玄雲を一瞥し、コルトは視線を大男に、アシュラに向けた。
「走れば早かったろうに。なにをちんたらしていたのやら」
「呼び出しておいて、その言いようか。相変わらずだな」
態度の悪いアシュラにコルトはため息をこぼした。
アシュラと玄雲の二人は元々「赫掌」のメンバーではない。「刹人党」という別のレギオンのレギオンマスター、サブレギオンマスターだったのが彼らだ。経緯は省くが、幾度かの抗争の果て、二人を含め旧「刹人党」の多くのメンバーは「赫掌」に移籍した。だから、元々「赫掌」のメンバーであるコルトとは決していい関係ではない。反抗的な態度もそれゆえだ。
「こっちも暇じゃないのでな。用があるなら早くしてくれ」
「ちぃ、つまらないやろうだ。少しは会話ってのをしようとは思わねーのか?」
「あいにくと、私は無駄な会話はしない主義だ。本題だけ話せ」
かわいげがねぇ、とアシュラは愚痴る。玄雲はそんなアシュラを宥めながら、相変わらず慇懃な態度を崩さず、コルトに要件を話した。
「コルト殿。実は本日お呼びしたのは南方領域への遠征についてご相談したかったからです」
「またそれか。言っているだろう、そういう殺戮行為は許容できないと」
「国の脅威たるなら、むしろ率先して誅することこそ本懐ではないのですか?」
「無闇に恨みを振り撒くことが国益につながるわけがない。もちろん、中央の連中が行けと言えば行くが、国軍が自ら率先して軍事行動を主張することがあってはならないだろ」
文民統制なんて旧時代の論理を持ち出すようで気が引けたが、この世界はかつてコルトが生きていた世界ほど道徳規範も倫理規範が成熟しているわけではない。戦争をするよりもはるかに低コストで欲しいものが手に入る世界なら、戦争って馬鹿馬鹿しいよね、と考える人間ばかりの世界になるに決まっている。
それでも未成熟な世界の論理でしか話せない人間もいる。とにかく戦いたいというアシュラや玄雲のような奴らだ。コルトの上司とも言えるレーヴェもそういった側の人間ではあるが、最低限の成熟した倫理観と論理感はある。もっとも、レーヴェの場合はただ自分をぶち殺せる強いやつと戦って、そいつに勝ってカタルシスを感じたいというだけなのだが。
「話は終わりか?くだらないことで私を呼び出すな」
そう言って踵を返し、帰ろうとしたコルトだったが、それまで黙っていたアシュラが彼を呼び止めた。
「なんだ、アシュラ」
「つれないな。もう少し話し合おうぜ?」
「戦いたいだけだろ、お前らは。それもただ弱いものいじめがしたいだけ。付き合ってられんよ、そんな連中に」
「あー。そうかよ。なら、お前は同意しねーってことか?」
「当たり前だ。好き好んで弱いものいじめをするほど落ちぶれては」
刹那、コルトは反射的に腰のレイピアを抜き放ち、後ろへ向かって跳んだ。直後、眼前を通りすぎたのは巨大な赤腕だ。それは石造りの足場にヒビを入れ、爆砕させた。
「正気か?」
「正気さ。正気じゃなかったら、あいつらと手を組んだりしねぇよ」
笑いながらアシュラは親指で地平線を指差す。コルトは指さされた方向を一瞥し、そしてその光景に驚愕した。
「な、なんだ。あれは」
地平線が燃えていた。炎の化身が列を成す。壁をはるかに超える巨大な巨人の群れ。その足元には暗闇が這い出してきて、そのすべてがガチャガチャと金属がこすれる音を鳴らした。
遠目に、うっすらと見えたのはその暗闇の中に燦然と掲げられた「目」の旗だ。赤、黒、白、生地の色も塗料の色も様々だが、黒い甲冑で覆われた軍勢は一様に「目」の旗を掲げていた。
「界国軍か。なるほど、そういうことか」
コルトは疑問を挟まなかった。どうしてここに界国軍がいるのか、アシュラが彼らと親しいのか、この場に呼ばれたのか。誰もが聞くだろう疑問を口にせず、すべてを理解したという顔でコルトはアシュラを睨んだ。
「俺が、させるとおもっているのか?」
「やかましいハチドリ風情が偉そうに言ってんじゃねぇ。剥がれてんぞ、紳士の仮面」
コルトはレイピアを強く握り、アシュラに向かっていく。かくして、掌国と界国の戦争は新たな局面を迎えようとしていた。
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