界国の戦い
掌国軍の波状攻撃を受け、界国軍は混乱していた。予想外にも攻撃に打って出た彼らの勢いに押され、最前衛の戦力が瓦解するのは必然で、味方の部隊長が何人も討たれていく状況を見ていることしか、現場の兵士にはできなかった。
泣き叫ぶ悲鳴が本陣にも届き、直臣達がどよめく中、しかし総大将であるオルテガは余裕の姿勢を崩さなかった。伝令を帰らせ、深々と自分の椅子に背を下ろし、彼はほくそ笑んだ。それが異様に写ったのか、部下の一人である狼の獣人が苦言をこぼした。
「オルテガ様、前線は瓦解しております。早急に兵を退かせるべきでは?」
「ぁあ?なんだ、臆病風か?敗北主義かぁ?」
「いえ、そんなことはありません!しかしこのままでは当初の目的も果たせないまま、本陣まで敵が迫るやもしれません!!」
慌てる部下をからかいながら、オルテガはわーってるよ、と彼を落ち着かせる。本陣が置かれている場所は白喪連山の山肌に開いた大空洞の真ん前だ。対して戦場はすぐ目の前にあり、確かに勢いそのままに掌国軍が迫ってくれば本陣は壊滅するかもしれない。
しかしそれは杞憂だ。本陣の正面には最精鋭の部隊を控えさせているし、その正面にも兵力は充実させている。今なお、大空洞からは続々と兵員を投入している中、勢いだけで本陣に刃を届かせるほど、オルテガの守りは脆くはなかった。
「とはいえ、最初の激突で正面の連中が吹っ飛んだのはちっとばっかし予想外だったな。まぁ、いいさ。のこのこと入り込んできた連中を絡め取って潰せばいい」
事実、最初に突撃を敢行した昆虫人の率いる部隊は瞬く間に周囲を界国軍によって取り囲まれ、その兵数を着実に減らされていた。昆虫人の両脇を固めていたスカンクの獣人と火だるま男の部隊も同様である。
それを続く赤いナーガの突撃により破壊され、さらに全身を甲冑で包んだ大斧使いの突貫がダメ押しとばかりに持ち込まれはしたが、現在の前線は戦術もへったくれもない潰し合いが起こっている。おおよそ数による優位が生きる、オルテガにとってまたとない戦場だ。
数の優位があるなら、下手な戦術は必要ない。ただじわりじわりとなぶればいい。古今東西、数の優位があるならば、ひたすらにゆっくり着実に相手の兵力を削る堅実な戦をするだけで勝ちは拾える。しかし、その危機的状況にあって、常に戦場の中心で暴れ回る掌国軍の一部の部隊は、全くと言ってよいほどに勢いが衰えないことにオルテガは怪訝そうに眉をひそめた。
「敵の部隊長というか将軍、いや魔将だったか。随分な戦闘力だな。見ろよ、うちの精鋭が細切れになっちまった」
「プレイヤーというやつですか?」
「知るかよ。八元帥の中にもあれくらいできるやつはいる。問題はそんな奴らが見渡す限り、けっこういるってことだな」
こいつは早めに狩っておかねぇとなぁ、とオルテガは次の一手を加える判断をくだした。彼が動かす駒はこの軍において邪霊の次に破壊力を有する部隊、すなわちジャイアント兵団である。
中核を成すのはヒルジャイアントと呼ばれる丘や荒れ野を棲家とするスタンダードなジャイアント種族で、それをさながら戦車に随伴する歩兵のようにして多数のオークやオーガが支える。ジャイアント達の平均身長は18メートルと非常に大柄で、彼らは一様に分厚い鎧を着込んでいた。すでに兵団長のギ・ゴンバを含め、そのほとんどが大穴から顔を出し、部隊の編成を整えていた。
本来は攻城戦を得意とする部隊で、その真価は壁声にある。巨人には劣るが、それでも並の城塞であれば彼らがただ迫るだけで叩き潰せるし、押し倒せる。そんな大兵力をただの平地での潰し合いに使うことに一抹の勿体なさを覚えながら、オルテガは昆虫人の部隊めがけて、ジャイアント兵団を突貫させた。
ジャイアント兵団が進むとなれば周りの兵士達はそれに巻き込まれないように道をあけるのが常だ。随伴するオークやオーガですら彼らの左右に張り付くことはあっても、進行方向を歩くことはない。ゆえにその登場は敵に明確な危機の到来を示す演出であると同時に、事前の行動で到来を予期させる予兆ともなってしまう。
——必然、予期できるのなら対策もできるということではある。
兵団長、ギ・ゴンバを筆頭にジャイアント兵団が出陣する。その左右をオークとオーガの混成部隊が固め参陣する。野山がうごくがごとき威容、ただの一歩で地鳴りが起こり、続けて彼らが走り出すと地響きが起こった。
それに対するのはハエ頭の昆虫人が率いる歩兵大隊だ。最初は三千人ぐらいはいたが、今では削れに削れて二千人ほどにまで兵数が減っていた。初撃を担当したからというのもあるが、それ以上に大将が突出し、部隊がそれに引っ張られて敵地の奥深くへ侵入したことが最たる原因だろう。
ギ・ゴンバの率いるジャイアント兵団は瞬く間に彼らに近づき、その手に持った城塞用の大槌を振りかぶる。城壁を打ち破る大槌が振り下ろされるその刹那、不意に光の壁が出現し、彼らが振り下ろした破壊の武器は弾き返された。
「『光盾』か。涙ぐましいなぁ、おい」
現れた光の壁、盾を構える昆虫人の部隊にジャイアント兵団は身震いひとつせず、ふたたび大槌を振り下ろした。数百人規模のジャイアント達が一斉に振り下ろす大槌の衝撃は並の軍団技巧に勝る。二撃、三撃と繰り返すことで徐々に光の壁にヒビが入り出した。
防戦一方の昆虫人の部隊を助けようとスカンクの獣人、火だるま男の部隊が動き出すが、そうはさせじと左右のオーク、オーガの混成部隊がその道を閉ざす。左右それぞれの部隊を率いるのは超人級、プレイヤーで言うところのレベル100を超えた猛者だ。それぞれがそれぞれの部隊長と一騎打ちになり、それまで見せていた突破力が活かせなくなった。それは言い換えるならば昆虫人の部隊が孤立無縁の状態にいるということである。
後から追ってくる赤いナーガ、鋼鉄の大斧使いの部隊も追随はしているが、その到着よりもジャイアント兵団が昆虫人の部隊を蹂躙する方が早い。そう確信し、オルテガは残忍な笑みを浮かべ、歓喜の声で喉を鳴らした。
——しかしその笑みは刹那の瞬きの合間に消え去ることになった。
不意に何かがはるか先にある森林の中で光った。反射光だとオルテガが気付くよりも早く、その何かは戦場をまたぎ、光の壁めがけて攻撃をしていたジャイアントの一体の顔面に突き刺さり、そのジャイアントはたどたどしい足取りのまま、仰向けになって倒れ伏した。
「——はぁ?」
倒れたジャイアントの頭部に突き刺さっていたのはその身長の半分ほどの長さの巨大な木の棒だ。先端には鏃がはめ込まれており、貫通力が高められていることが一目でわかる。
大弩の矢。攻城兵器として用いられるそれは本来は壁に突き刺し、矢の尾部に結びつけたロープを登るという極めて原始的な兵器である。これを防衛用兵器として転用すると、攻城塔の破壊や敵の見張り台を破壊したりするのに重宝される。
「つぅ。なら、それをジャイアントにぶち込むぅ?はっ。いい的だと思ってんのかよ、クソッタレが」
飛翔する鏃は一つではない。続けて無数の大矢が戦場を飛び越えてジャイアント達に降り注いだ。オークやオーガなど、小さい兵士を狙うには大きすぎる鏃も的が大きければ適したサイズであり、その一撃は容易くジャイアントの纏う鎧を貫き、その頭蓋を、腹を、四肢を粉砕し貫通し破壊した。
並の矢ではないことはその破壊力からして明らかだ。分厚い鎧をただの鏃で貫ける道理はない。鏃か矢羽か、はたまた大弩本体のどれかに細工がされている、と考えるのが自然だ。
まずいな、とオルテガは舌打ちをこぼした。
邪霊軍団を除けば、ジャイアント兵団は今の彼にとって最高戦力だ。単純な破壊力はもちろん、攻城戦で有用な彼らをここですりつぶし、今後に控えている戦に勝つことは難しい。
「ちぃ、しゃーねぇなぁ」
オルテガは退却の指示を飛ばす。退却の狼煙があがり、ジャイアント兵団兵団が退くと、続けてそれ以外の部隊も次々と山の上へ向かって撤退を始めた。
「いいんですか。まだやれると思いますが」
「プランBってやつさ。本来の作戦に戻すだけだ。思っていた以上に敵の層が厚い」
「了解しました。俺が部隊を率いて撤退が遅れてる部隊を支援しましょうか?」
「いるかよ。撤退、撤退って言ってんのに突き進んだバカどもの尻拭いなんざ」
はい、とニシュベは一礼し、その場から立ち去った。一人取り残されたオルテガはしたり顔で戦場となった平野を見つめ、振り返りぎわに捨て台詞をこぼした。
「これで終わったと思うなよ」
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