開戦の狼煙
「とりあえず、敵さんは小生らの方へ向かってきてくれたようじゃのぉ」
「ああ。だが、よかったのか?せっかくの要塞から出るようなことをして」
しめしめと顎をなでるバシュラに昌益は怪訝そうに問いかける。対してバシュラは鼻で笑い、肩をすくめた。
「仕方あるまいて。こーでもせんと連中は小生らを素通りしちまう。殿に雑兵を置かれ、それを倒す頃にはもう後ろ姿だって見えんじゃろうよぉ」
現在のバシュラの手元にいる兵士は13万から2万と少し減って、10万強だ。殿の敵兵が数万程度なら、ものの一日とかからずに殲滅できる自負がある。しかし、それでも殿は殿だ。古今東西において殿を務める兵士や、その指揮官は優秀であるというのが定番で、最低でも一日は時間を稼がれてしまうだろう。
陣地に引き篭り、ただ相手が攻めてくるのを待っているだけではそも、相手の情報もわからない。闇夜に乗じて隠密行軍をする可能性すらある。そうなれば、待ちぼうけどころの騒ぎではない。
「——連中に主導権を与えないようにするにはこうするのが手っ取り早い。昔から言うじゃろう?攻撃は最大の防御と」
「それを防衛戦の指揮官が言うか?」
「はっ。誰が防衛戦の指揮官だって?こっちはレーヴェがいうところの正義の軍隊ぞ?なんぜ、正義が悪の鉞にふるわれるがままでなくちゃいかん?」
瞳を爛々と輝かせ、バシュラは笑う。その隣で、はぁ、とため息をつきながら昌益は近くに控えていた伝令に攻撃指示を伝達した。
指示を受け、まず動いたのはインパントだ。彼の指揮下にいる二千の兵士が波を打って山麓で構える指輪王軍めがけて突撃を開始した。
それに呼応し、インパントの左右の軍勢が動く。いずれも一千ずつでその先頭に立つのはハーロッシュとムシュニシュトラ、いずれも中級魔将で、ハーロッシュはスカンクの獣人、ムシュニシュトラは炎の精霊である。その二人の軍を合わせた総勢五千の軍勢が山麓めがけて殺到し、開戦の火蓋を切った。
迫る掌国軍に対し、界国軍は防御の姿勢を取る。対抗する彼らの数は三千。軍の主力たるオークとオーガは盾を構え、槍を突き出し、ファランクスを形成した。それと同時に黒色のオーラが湧き立ち彼らを包む。
軍団技巧『闇壁』。闇の種族が扱う中位の防御系軍団技巧である。『光盾』や『光壁』など、ヤシュニナや帝国で使用される軍団技巧を使えない闇の種族のための軍団技巧で、能力は発動者全員の筋力、防御力の上昇とそう違いはない。
ゲームの使用上、この軍団技巧は闇の種族以外が使うことはできない。闇の種族ではないものが使えば使用中はもちろん、使用後も断続的な闇属性の蓄積ダメージがあるからだ。逆に闇の種族もまた『光盾』や『光壁』を使えば光の蓄積ダメージを得る。
そして重要な点が一つある。この闇属性の直積ダメージは闇の種族以外に対してのみ、壁に触るだけで発現するという点だ。
闇の軍団技巧ともよばれるそれに対して、掌国軍は赤を纏う。『赤槍』、極めてありふれ攻撃系軍団技巧である。ヤシュニナや帝国でも広く使われている技巧であるが、その真価は発動者に比例して変化する貫徹能力にある。
軍団技巧は集団によって発動する特性上、数が多ければ多いほど力を増す。『赤槍』はその中にあって、貫徹力が強化される。五千人規模となれば、その算出ダメージは軽く兆を超える。
闇の壁と赤い槍は迫るにつれて、両者が奏でる怒号は激しさを増していく。接近する両軍を前にしてもはやこれ以上の能書きはいらない。
両軍が激突する。闇の壁と赤い槍が交錯し、両陣営の兵士がその反動で吹き飛んでいく。前列の兵士が後列の兵士を巻き込んでつぶれ、回転し、ひしゃげていく。敵も味方も関係なく巻き込んだ地獄絵図、両軍合わせて八千人規模の軍団技巧の激突は開戦の狼煙となった。
その中にあってインパント、ハーロッシュ、そしてムシュニシュトラとその直下兵はひたすら前に突き進む。吹き飛んだ味方のことも、敵のことも気にせず、眼前の煙を払い、先述もなにもなく彼らは突き進んだ。
止まらないインパントらの背中を見て味方は高揚し、敵は慄いた。初手の大激突を経てなおも突撃してくる彼らの姿は恐怖でしかなかった。
「全軍とつげきぃいいい!!!!進めるだけ進めぇええええ!!!」
インパントの激に呼応して最初の激突を生き残った兵士達は歓声を上げて走り出す。未だに体勢を整えられない界国軍を蹂躙せんと走り出すその後ろ姿を見ながら、バシュラは二陣目の出陣を用意させた。初手の一撃の戦果を鑑みれば、次手の攻撃はより苛烈にするべきだろう、と彼は結論づけた。
「次鋒はトアの軍を主軸に据えようか。傍は、そうじゃのぉ。ディーとジークで固めろ。速さが大事だからな」
バシュラの指示に従い、上級魔将であるトアを中心に六千の軍勢が走り出す。それを見て居住いを正し、バシュラはすがるような気持ちでその攻撃が成功することを願った。
佇まいこそ冷静だが、バシュラからすればこの連続突撃はここから先の戦闘を決定する重要な一手だ。その理由はしごく単純、こうする以外に真っ当な手段で界国軍を撃破することはできないからだ。
掌国軍は10万強、対する界国軍の戦力は推定10万以上。どれだけの数が眼前の黒い大穴から溢れ出すかわかったものではない。戦場において、数の不利を覆すならば、奇策に頼らざるを得ず、そして奇策は得てして下策、下法の類である。真っ当に戦う準備が整った相手には通用しない。
「初手の突撃で敵の正面戦力に少なくはない被害はもたらし。続く一撃でその傷を広げ、さらなる一撃でその傷を回復不能なものにする。オーソドックスな波状攻撃ではあるが、うまく機能しているじゃないか」
「相手の体勢が整う前じゃなけりゃこんな作戦が通用するかよ。それに連中には斜面というアドヴァンテージがある。できるだけここで潰さんと後がきついぞ」
総じて、坑道戦術を取る場合、最初に顔をだす部隊は選りすぐりの精鋭と相場が決まっている。彼らが真っ先に敵陣に飛び込み、橋頭堡を確保しなければ後続に無用な被害が出るからだ。
初撃の軍団技巧同士の衝突がそれを証明している。五千人規模の『赤槍』を受けてただ貫かれるのではなく、掌国軍にも被害が出ているのはそれだけ界国軍の『闇壁』が強固だったからだ。必然、それを突破すればその先にいるのは精鋭ではない兵士達ということになり、その突破はインパントらにとっては児戯である。
猛然と敵陣を突き進むインパントは自慢の四本腕を振い、群がってくる敵兵を細切れにしていく。相対するオークやオーガ、ゴブリンのレベルは20から30と国家に属している兵士として見れば高い部類に入るが、レベル142のインパントにとっては雑兵と変わらない。
次々と現れては蹴散らされていくオーク達、インパントはそんな彼らには目もくれず、血の嵐を巻き起こす。しかしそれもしばらくすると勢いが衰え、彼とその直下部隊は全く進めなくなった。
「ちぃ。硬いなぁ、おい」
「インパント様!ちょっと、進みすぎですって!」
立ち止まったインパントの周りに彼の部隊が集まり、円陣を形成する。形成された円陣の中、副官であるレジェが彼に話しかけた。
「インパント様!後続がおっついてないでしょうが!!」
怒り心頭、怒り顔になりレジェはインパントに食ってかかる。あどけない少年の姿で、蛾人間であるインパントに説教をかますその姿は戦場というファンタジーの中にあって、際立ってファンタジーであった。
「すまねぇなぁ。けどおっついてるんだからいいじゃねぇか」
そう言ってインパントは剣で迫る掌国軍を指差した。先頭を走るのは騎乗した赤いナーガに率いられた騎兵部隊で、その両脇を黒い出立ちの男とパンプキン頭に率いられた歩兵部隊が追随していた。
「とりあえず、初手はなんとかなったか?」
山麓付近、山肌を貫く形で現れた巨大な大穴を睨み、人知れずインパントは独りごちた。
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