トーキング
「ヤシュ、か」
「少なくとも外見的特徴は一致するわ」
丘の中腹に設けられた本営の大天幕、いわゆる魔法のテントであるそれは外観がこじんまりとしているのに対して中身は騙し絵のように広い。百人、二百人を裕に収容できる広さがあり、集められた魔将達が入ってもなおスペースには余裕があった。
中央に置かれた巨大な机、その上にはラァやマルショワリー、エドワードといった北部方面軍の面々が作成したアルカン大樹林の地図が置かれている。昨日、今日の産物ではなく長い年月、それこそ100年以上を費やして完成した珠玉の作品だ。
その周りに置かれているのは樹林内に生息するモンスターを含む原生生物の写しだったり、生息域や生態に関する情報を詳細に記した資料だったりする。他にもどこが危険地帯だとかを書き込んだ資料の束が山のように積まれている。
その席をぐるりと囲んで集められた魔将はざっと40人ほど。主に中、から上級の魔将達だ。その中にマルショワリーとエドワードの姿はない。ラァに代わって北部方面軍の指揮を行っているからだ。下級魔将達がいないのも似たような理由からである。
列席する魔将達はラァの言葉に動揺を見せる。あるいは納得顔でうなずいた。中には何を話しているのかわからない、と困惑顔を見せる輩もいる。主にここ20年で中位魔将になった面々だ。
「偵察中にオークの一団を奴らが、惨殺した光景を見たわ。その姿からヤシュと断定したのだけど、早計だったかしら?」
「いや、概ね小生も同意するところだ。伝承頼りというのがちぃと嫌なところじゃがな」
「そればかりはしっかたなねぇだろ、バシュラ。俺らはヤシュについてほっとんど知らねーんだから」
苦言をこぼすバシュラを諌めるようにインパントが発言する。すでに欠損した腕は元通りに修復され、敗れた袖口から他とは光沢が違う真新しい腕を覗かせていた。それをひらひらと彼はバシュラに向かって振り、その意識を糾弾から議論へと戻させる。
「——むしろ今はヤシュについて知らない連中のために色々と説明するべきじゃーない?」
そう発言したのは中級魔将であるハーロッシュだ。スカンク型の獣人で、プレイヤーでもある。赤く染色したリーゼントと尻尾が特徴的で、常にリーゼントの手入れを忘れないほどまめな性格である。
今回の襲撃で負傷したのか、片目に眼帯を付けている彼は少し居心地が悪そうに自分に敵意の眼差しを向けてくる魔将から目をそらす。単純に中級魔将である彼が最上級魔将であるバシュラにタメ口をきいていることが許せない手合いの怒りと不快を帯びた眼差しだ。
「ヤシュとは何か。どういう存在か。まずは相手のこーとをよーく知ってから議論を始めるべきじゃない?」
それらを跳ね除け、ハーロッシュは議論を進めるように促した。バシュラはうなずき、そうだな、とラァに報告を続けるように言った。
「ヤシュの特徴は主に三つ。魔法に対する耐性、力量差を無視した攻撃の貫通、そして闇に紛れる隠密能力。この内、前者二つは戦闘時に、後者は移動や奇襲の際に効果を発揮する能力ね。で、このヤシュだけど、なぜか声を出すことはないわ。より正確にはクスクスという笑い声以外に発生することがない」
インパントやラビ・ラビの報告からして、それは事実だろう、とラァは結論づける。彼女自身がヤシュの仲間を地面に叩きつけた時も奇異の目で睨むことはあっても、彼らは吠えたり叫んだりといった行動には出てこなかったのだから。
発声しない生物というのはそれほど珍しくはない。現実世界で言えば鹿やキリン、オカピなんかがそれにあたるし、魚やザリガニだって発声することはない。むしろ音によるコミュニケーションを行っている生物が珍しいまであるくらいだ。
「弱点があるとすればそれは極端に光を嫌っているということ。実際、陣地を襲撃したのは夕暮れ時で、私の部隊を襲った時も彼らは闇から攻撃を仕掛けていたもの」
そして闇から両目を覗かせることはあっても、出てくることはなかった。日光への生理的な嫌悪か、あるいは単純に日光を浴びたら死んでしまうのか。そればかりはまだ結論づけることはできなかった。
「そしてこのヤシュの最も重要な点はこれらが今世の起源とした生物ではないということ。有体に言えば原初の時代、まだ創造神が現れる前の太古の時代の生物である点よ。そうね、身近なところで言うと龍人とか、プロタゴニストがわかりやすいところね」
龍人とはその名そのままに龍と人とのハイブリットである。主にメルコール大陸の東部の種族であり、大孌帝国や津海皇国の王族、貴族はこれにあたる。ここで言う龍とは真龍を指し、アルカン大樹林の水源を汚染した白の真龍の御同類だ。
対してプロタゴニストはプレイヤーの名前である。原初よりもさらに古い、黎明の時代を生きたデュミナスを起源とする精霊種で、実力は掌国随一との呼び声も高い。同じ最上級魔将ではあるが、ラァは一度として彼女に勝ったことがなかった。
そういった古強者の種族や名前を出され、それまでのほほんとしていた新参の魔将達も表情を変える。真剣な眼差しになり、前のめりの姿勢でラァの言葉に耳を傾けた。
「——ここまでがヤシュについての概要よ。より詳しいことは実地で調べるでもしないとわからないわ」
いっそ、試しに何体か捕獲してみようかしら、などと彼女は嘯く。冗談のつもりだったが、魔将達の何人かは乗り気なようで、すでにその方法について隣同士で相談を始めていた。
「てことは、奴らのコミュニケーション方法とかもわからないってことか?」
議場がざわつく中、インパントはラァにそう質問した。対するラァはそうね、と申し訳なさそうに返す。
「視線、挙動、匂い、接触。音以外での情報伝達って色々あるけど、そのどれかをヤシュが行っていた確たる目撃証言はないわ。一応、マルショワリーとかエドにも聞いてみたけどね」
ラァと同じように偵察に出ていた彼らの部隊も道中でヤシュと遭遇した。そこそこの被害を受けて撤退したと彼女は報告を受けている。
「それにしちゃ統率って言っていいのかぁわっかんねーけど、だいぶ落ち着いてたぜ、あいつら」
「それは僕も同じように感じたな。なんていうか、虚無というか、自分がないというか」
インパントに追随してハーロッシュが援護射撃を行う。他にも複数の魔将が似たような発言をこぼした。
「うーん。やはりなんとも。ひょっとしたらあれらは全部使い魔で、とか?」
ラァ自身はそれほど使い魔に詳しいわけではない。というか召喚魔法とかの専門家ではない。使役や召喚といった魔法の専門家はむしろ、会議中にもかかわらず繭のように丸くなって惰眠を貪っているラビ・ラビだ。




