本気
バシュラが笑みを浮かべた頃、戦場の別の場所では新たな動きを見せる存在がいた。
迫る黒い猿めがけて鋭い突きが繰り出されるとその体が大きく膨らみ、爆散する。残るのは血みどろ、爆散した黒い猿を踏みつけ、蛾顔の男は周囲に見せつけるかのようにその無様な有様の頭部を群がる黒い猿の群れの中に放り投げた。
ぼとんと自分達の輪の中に落ちた生首を黒い猿達は凝視する。元々丸い目をより丸くするかとインパントは邪推したが、そんなことはなく、相変わらずの無表情を黒い猿達は彼に向けた。
怒るでも、悲しむでも、笑うでも、吠えるでもなく、無表情。そればかりか平然としていて微動だにしない。まるで石像が動いているようだ。
やりづらいな、とインパントはない舌で舌打ちをする。厳密には舌でなくストロー状の口器なのだが。
感情が読めない相手とこれまでの人生で戦ったことがないわけではない。むしろ、一線級プレイヤーなんてそういう奴がほとんどだ。無表情ならまだ優しい方で、仮面を被ったり、頭がなかったり、そもそもその場にいないなんてこともザラにある。
しかしそういった表情がわからない人間は別の場所を読めば思考はなんとなくわかる。武器の握り方とか、声音とか、足運びとか、魔法の鋭さとかが最たる例だ。
より強者になればそういうわずかな機微も隠すようになってしまうが、少なくとも目の前の黒い猿からそういう気配は感じない。レベルもせいぜい30から40程度。目立った特殊能力と言えば魔法が効かないことと、肉体強度を無視した攻撃ができることぐらいだろう。
この「SoleiU Project」というゲームは非常にリアルなゲームだと言える。そのリアルさを端的に表現しているのがどれだけ強かろうと眉間を打たれたり、心臓を刺されたり、首を切られたりといった人間で言う急所を攻撃されれば死ぬということだ。
もちろん、例外もある。特別な種族、それこそバシュラとかリドルとかは例え首が跳ぼうが、心臓を刺されようが死なないが、それはあくまで種族の特性というだけで、彼らにもこの法則は当てはまる。あくまでも同じ土俵の上での話ではあるが。
その点を考慮すれば黒い猿は間違いなくルールブレイカー的な存在だろう。自分のちぎれた腕の一本を見ながらインパントは自嘲する。
しかし、それだけだ。強い生物ではとてもない。まして一部の強者がようやく到達できる境地に目の前の畜生が到達しているとは到底考えられなかった。
目の前の黒い猿から感じるのは一種の虚無だ。生物というよりかは生体兵器と表現した方がいいかもしれない。生物としての機能を制限した虚無の発現。いったいどんな裏背景があるのやら、とインパントは群がる猿達を切り捨てながらため息を吐く。
その背後ではブチギレたラビ・ラビが自前の専用ゴーレムを繰り出して無双していた。芝刈くんと呼ばれるそのゴーレムはフードカバーに似た半球状の特異な外見をしていて、その表面からは鋭利な刃が無数に飛び出していた。ギュンギュウンと機械的な音を発しながら周りの黒い猿達を片っ端から巻き込み、フードポロセッサーよろしく刻んでいくその光景は圧巻を通り越してもはや非人道的の一言に尽きた。
ラビ・ラビが芝刈くんを投入したことで、兵士達はギョッとして我先にと丘の上に走った。巻き添えを食って自分達が「粉」にされてはたまらない。
結果的に戦場に残ったは腕に覚えがある魔将や準魔将といった実力者だけだった。彼らは自力で黒い猿を討伐しながら、討ち漏らしを路傍の小石を蹴り飛ばすかのようにルンバへと投げ捨てる。回転する芝刈くんは投げ捨てられたそれらをご自慢の鎌で刈っていく。
触れるたびに黒い猿の胴体がサイコロ状に切り刻まれあろうことか鎌の上で跳ねて踊った。楽しげにお手玉で遊ぶかのように黒い猿の体は芝刈くんの表面を踊り、空を跳ねる度にだんだん小さくなっていった。
えげつねぇ、とその光景を遠目に見ていたバシュラは苦笑する。すでに周りの黒い猿はあらかた仕留め終わり、残敵掃討に移っていたため、彼の仕事はなく傍観に徹しながらその視線をふと足元のまだ息をしている黒い猿に向けた。
容赦無くその頭蓋を踏み潰し、ふぅむとバシュラは顎をさする。突然現れたその生物、戦っている最中は全く気にも留めなかったが、いざ落ち着いて見てみるとその容姿には聞き覚えがあった。
暗闇と同化している漆黒の体毛、猿に似た外見、人に似て胸だけ薄い体毛、クスクスと言う笑い声。だいぶ古い記憶ではあったが、確かにバシュラはそんな生物に心当たりがあった。それは彼以外の魔将も同じで、何人かは立ち止まって切り刻んだ死体の見分をしていた。
「こいつぁ」
「——バシュラ!」
その名前を口にしようとした時、前触れもなく彼の前に降り立つ人物がいた。
褐色の肌、空色の長髪、扇状的な衣装のその人物は珍しく息を切らしながら彼の前に現れた。はぁはぁと息を整える彼女は立ち上がったバシュラと自分の周囲を交互に見る。そして何があったのかを察した様子で、表情を曇らせた。
「——ラァ。お前の報告はこの猿共についてか?」
「そうよ。実は」
「ああ、皆まで言うな。少なくともここではな」
なぜ、と言いかけてすぐにラァはバシュラの意図するところを察したのか口元を片手で隠した。自分の意図が伝わったことに安堵し、バシュラはくるりと振り向いて陣地に目を向けた。
3日かけて整備した本営の陣地、それを丘のふもとの兵士村に限ってとはいえ粉々にされてしまった。兵士が多数死んだというのもあるが、設備の破損が何より大きい。
居住用のプレハブ小屋をはじめ、ようやく確保した水分確保のための濾過設備、炊事場、トイレその他色々。最悪、トイレや炊事場は突貫作業でいくらでもどうにかなるが、水分確保のための設備を派手に破壊されたのは痛手だった。最初の巨石による奇襲で大部分は壊れたようで、予備の部品なんてものはないから、修理ができないのだ。
大変だぞこりゃ、と腰に両手を添え、寂寥感を漂わせながら彼は盛大なため息を吐いた。
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