思想狂い
夜、アルカン大樹林の入り口付近で掌国軍は野営をしていた。彼らが大樹林の入り口に到着したのはその日の昼頃、季節を考えれば森林内部に入るのは翌日がいいだろう、と判断されたからだ。
森林の周辺だけあり、溢れ出た瑞々しいさによってその周辺は濃い青が広がっており、久方ぶりの新鮮な野草に馬達はガツガツとそれに群がる中、束の間の休憩もなく兵士達は野営のためのテントの設営を始めた。
荷馬車から降ろしたテント類、薪や干し草といった可燃物が大地に並べられていく傍ら、万が一に備えて馬房策が立てられていく。時を立たずして着々とテントが設営されていくのを尻目に見ながらラァは真っ先に設営された本営のテントへと入っていった。
多種多様な種族が共存するアングマールだけあり、テントの大きさもちょっとしたサーカス団のものくらいのサイズがある。ずらりと並んだ指揮官や参謀達の顔ぶれは見知った者から知らない者までてんでバラバラだ。自分の席に彼女が座って数分経った頃、やや遅れて入ってきたインパントが席に座ると、ようやく会議が始まった。
もっとも、実態は会議というよりかは報告会に近い。落伍者はいないか、兵士達の体調は万全か、装備に破損や不具合はないか、そんな作戦を始める前のさまざまな確認だ。
次々と各部隊の指揮官達から報告が上がる。その光景はラァにかつてのレイド戦前の作戦会を回想させた。ボスの弱点属性、行動パターン、味方の編成といった様々なことを議論したあの時、議論が白熱しすぎて丸一日がかりの大論争になったこともあったか、とほおを綻ばせている間に、ラァの報告の順番が回ってきた。慌てて席から立ち上がり、彼女は自分の部隊についての状況報告を行った。
いけない、いけない、と席に座り直し、次々と上がる報告に耳を傾ける。過去は過去、今は今だ。きちんと聞いていなければ思わぬ落とし穴があるかもしれない。
「——現状報告はこんなもんだろか?ま、久しぶりの行軍にしてはいいできだな。落伍者も少数、装備類への破損も軽微ってなぁ」
上座に座り、会議の司会を務めるのはバシュラだ。じじ臭い彼が総指揮官なのだからこの会議が辛気臭く感じるのも道理というものだ。
その辛気臭さに耐えかねたか、それとも何か言いたいことがあったのか、不意に席の端の方から手が上がった。テント内の全員の目線が挙手した人物へ向けられる。
「なんだ、カヌー」
カヌーと呼ばれたその人物ははい、と返事をして立ち上がる。ラァの知らない人物で、魔法使いなのか大きなとんがり帽子をかぶっていた。ブカブカのローブを着ており、席順から見て下級魔将といったところだろう。
外見は浅黒い毛並みが特徴的なライオンの獣人で、たてがみがないことから彼女であることがわかる。瞳は赤色で、すらりとした長身の麗しい女性だ。女豹にも見えるが、れっきとした女獅子である。つまり女性である。
「実は、わたくしの部隊から樹林について報告があがっておりますの」
「ほぉ、そりゃどんな内容だ?」
頬杖をついていたバシュラは一転して身を乗り出し、カヌーの話に集中する姿勢になった。他の魔将達も同様にカヌーの報告に耳をそばだてる。
「テントを設営し始めて間もない時のことです。なんでも、森から視線を感じる、と」
「視線?そりゃ、獣の視線か?」
「取り立てて報告するような内容ではないと思うのだけど?」
バシュラは首をかしげ、ラァは冷淡に言い放つ。獣など、アルカン大樹林では珍しくもない。獣が怖いから、誇張して言っているように彼女には感じられた。
「それがその、視線を感じた兵士達が言うには視線を感じて振り返ってみても、ただ樹林がザワザワとそよぐだけで何もいない、と。まるで木々の闇に溶けてしまったかのように忽然と気配までもが消えてしまったと言うのです」
「へぇ。なるほど。そういうことなら、俺も部下から似たような報告を受けたな。何かに見られているような気がするってな」
カヌーの報告に便乗するように手を挙げたのはインパントだった。同様に何人かが同じ話を部下から聞いた、と手を挙げる。
さすがに謎の視線についての報告がいくつも上がるとバシュラやラァも無視はできない。何か得体の知れないものが森に潜んでいる、と考えるべきだということで両者の見解は一致した。
問題はそれが何か、という話だ。少なくともラァの知る知識に話に聞くようなモンスターや種族がアルカン大樹林に住んでいるという情報はなかった。
「いや、待って」
「なんだ、やっぱり心当たりか」
謎の獣についての議題が上がって30分少々経った頃、煮詰まっていた議場に不意にラァは一滴の滴を落とした。
「ここにくる前、そこのフルフェイス野郎から聞いた話よ。確か、最近アルカン大樹林から多数の獣が逃げてきたって」
「そいつぁほんとうか、エド」
バシュラに名指しで呼ばれ、やや驚いた様子のエドはええ、と即答した。そんな話をしたなぁ、というようなちょっとだけ自信がなさそうな反応だった。
「なるほどな。けど、たまたまってこともあるだろ?」
「レッサーバステットが生息域を追われるって相当なことよ?例えるならそうね。うちの王様が宮殿から出た市井を遊興しているようなものかしら」
そいつぁなるほど確かに、とバシュラは合点がいったのか、諸手を挙げて拍手した。レーヴェのことを知る他のプレイヤー上がりの魔将達も似たり寄ったりな反応を示す。しかし煬人出身の魔将達は緊張した表情を浮かべ、表情筋をこわばらせた。
「ま、いずれにしたって。明日、樹林の中に入ることに変わりはねーのさ。懸念事項が増えたってことでいいじゃねぇか」
「脅威が未知数である以上、行軍の際は慎重にならざるをえないけれど」
「そこはそれ。お前んとこの北部方面軍が頼りってやつだろ」
調子のいいことを言うインパントをラァは睨む。そして睨んだ時、偶然にも視界に面倒臭そうにため息を吐く仮面組二人がいたのを彼女は見逃さなかった。ダン、と中央に置かれていたテーブルを彼女が叩くと、そっぽを向いていた二人は慌てて、正面に向き直った。
会議後、自分のテントに戻ったラァは盛大なため息をこぼした。用意されていた柔らかなクッションに身を埋め、天井を仰ぐ。そして押し殺していた笑い声を彼女は発し、小刻みに肩を振るわせた。
「きひ、ひひひひひひひひひひいひひいいいひひひひ!!!!!!!!」
——未知。得体の知れない脅威。
「いいじゃない。不確定要素、イレギュラー!!ぁぁぁあああああ、すばらしいわ、本当に」
すたりと立ち上がり、両目を開いてひたすらに彼女は状況を賛美する。壊れたオルゴールのようにケタケタと嗤う。
「なんて素晴らしい状況!この、そう、未知!ミステリアス!ミスティーミスティー!!!!」
普段、部下を前に見せている理性的で清廉なラァはここにはいない。トチ狂った戦闘狂、冷徹な数理を探究し、同時に不条理なカオスを好む倒錯した破綻者しかいない。
誰もいないテントの中で彼女は悶え、胸の奥から込み上げてくる激情に耽溺する。待ち望んでいた冒険に、ありきたりな日常との訣別に、それをただ待つ今に感謝しながら。
*
キャラクター紹介
カヌー)アングマール掌国下級魔将。種族:レオーネ(メス型)。レベル67。趣味、魔法研究、大魔法使いラーク・ラークの魔法講義ラジオ視聴。好きなもの、旦那、愛車ヴェリックス。嫌いなもの、龍。
アングマール掌国南部ペルトロ州の出身。掌国主席魔法師であるラーク・ラークが校長を務める魔法大学の卒業生。魔法使いとしての実力はレベル80相当とずば抜けているが、それ以外はすべてレベル相当。
かなり高飛車な性格の人物。家庭内ではかかあ天下。他方、部下への気遣いもできる人物でもあり、高慢さと優しさがいい感じで同居している。子沢山。




