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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
生存戦争
273/310

出兵式

 9月の初め、アングマール掌国の首都テオ=クイトラトルはいつにない活気に満ちていた。大地そのものが懸想をしたかのように色めきだち、肌から発せられるその熱は悶々と霧状に市井へ広がり、歓声が昼夜を問わず、テオ=クイトラトルの玉天の真下でこだました。


 居合わせるのは群衆、そして彼らは宮殿前広場に集められた掌国の精兵を取り囲み、歓喜の声と歌で以てその勇壮たる出立の百戦錬磨の将兵に賛辞を送った。曰く、英雄である、勇壮である、練磨である、至宝である、遂である、と声高に叫ぶ。


 暗紅色の都市のほぼすべての住民があつまったかのように錯覚するほどの熱狂に包まれ、囲まれた数万を超える兵士達はしかし、緊張した表情を崩さない。強張った表情、堅く握りしめた槍の長柄、精兵たる矜持と自負が彼らにはあり、この場に参列できた誇りは石膏のように固まり、骨子となった。


 遠征軍全軍から選び抜かれた生え抜きの兵士達、その彼らの先頭に立つのは軍団を束ねる高位の指揮官達だ。彼らは各々の騎獣にまたがり、宮殿とその手前に設けられた壇上を見続け、時に歓声を上げる群衆へ向けて手を振るなどのサービスアプローチを行っていた。


 指揮官の一人、ラァ・スーは多くが黒や赤の美しい毛並みの騎馬や竜馬に騎乗する中、一人場違いな白い馬に騎乗していた。馬の王、シャードフに連なる家系、その健脚は一夜にして百万浬を走り、祖は遥かなる「ラント」へ旅立ったという。


 おおよそ、騎馬の国でも見られない麗艶なる気風を漂わせる名馬ではあるが、そのような由緒正しい騎馬に騎乗しているラァの表情は落ち着かない。有体に言えば仏頂面で、ひどく不機嫌であることが端々から感じられた。


 彼女の不機嫌の源は自分達を取り囲む数十万の群衆にある。多種多様な種族、民族の彼らは声高に自分達を救国の英雄だとか救世の軍隊だとか叫ぶが、そんな素晴らしいものではないことは彼女自身よく理解している。それでも民衆にとっては指輪王との戦いは彼らが言う通りの印象を受けるのだ。


 「民衆にはもちろん、俺様達が戦争する理由を教えんぞ。士気が上がるし、余計な手間ってのを考えなくて済むからな」


 つい数週間前の御前会議でレーヴェはそう言った。実際、長命のものが多く済む大陸南部において、彼の言っていることは正論だった。二度にわたる指輪王の勃興とそれにより引き起こされた数多の悲劇は深く大地と歴史に刻まれ、例え見識を積んだ博士であろうと、指輪王との戦いを支持するだろう。


 絶対悪。指輪王とはその代名詞である。ゲームのフレーバーとして指輪王のことを調べたことがラァには一度だけあったが、なるほどこの世界の住人の誰もが嫌う悍ましさが伝聞からでも垣間見えた。まさしく巨悪、打倒すべき邪悪であるというのがよくわかった。


 過去、160年前の指輪王討伐クエストでその悪辣さは十二分に理解しているつもりだったが、改めてそれ以上の蛮行を記憶する人々というのは自身の理解を数段かっ飛ばして、思いもよらない激情を見せる。普段は厳かで深慮の極みに達しているとあだ名される一等書記官ジューン・ユーノが論議をすっ飛ばして、ぶっ殺そうと言った時はラァも驚いた。おそらく、ガンジーやブッダですら核ミサイルなり電子放散型ミサイルを打ち込むだろう蛮行をその目で見てきたのだ。そんな反応にもなる。


 その感情を利用するレーヴェのやり方。クソ野郎だな、という感想がこぼれるが、やはり必要ではあった。そうでなければこれほどの熱狂に包まれる出兵式にもならないだろう。元来、出兵式は盛大で熱狂に見送られる形で行うものだが、今日のそれはいつにも増して華やかで、囲む群衆の歓喜の声はそれ以上だった。


 しばらくすると掌国軍の筆頭元帥であるエドワード・アルファアラートが壇上に登り、賛美の演説を始めた。最高の武、諸君らこそ国の誇りだ、とベラベラと宣う金髪野郎の舌を引き抜いてやりたいとすら思ったが、味方で何より勇者っぽい外見に違わず強いので、やめておいた。なにより、普段ならばエドワードではなく次席か第三席の元帥が立つ場に彼が出張ってきたというのが状況の重大さを物語っていた。


 平時ならば年に数度の重要な式典、例えば建国記念日や征龍祭の追悼式などにしか顔を出さないエドワードの登場に群衆もあっと湧く。元より顔がよい美丈夫な上、スタイルも抜群、数世紀前のメンズ雑誌でヌード写真など付録にしていれば鼻血を垂らした子女、婦女、喪女の大軍勢が本屋に並ぶような圧倒的なビジュアルの良さも相まってエドワードの演説中もどこからか、黄色い声がいくつも上がり、その中には野太い声も混ざっていた。


 吐きそう、と吐き気を抑えながらエドワードの演説がいつ終わるかと思っていると、不意にさっきまで聞こえていたはずの黄色い声も歓声も鳴り止み、代わりに小さな息遣いが漏れ聞こえ始めた。見るのも悍ましかったので、壇上から目を逸らしていたラァもなんだ、と思って視線を上げる。同時に彼女は息を呑んだ。


 視線の先、宮殿広場から宮殿の正門まで伸びる長い階段を一歩、また一歩と降りてくる赤紅の鎧姿の人物がいた。彼が歩を進めるたび、カシャン、カシャンという音が鳴る。太く長い尾が彼の周りでブンブンと揺れ、階段の左右に設けられた石造りの松明台に一つ、また一つと炎が灯る。


 レーヴェ・ナイヒルヌーム。プレイヤー名だけを言うなら、レーヴェだが、彼は彼自身でそう名乗っている。今はもう会えない友人がその性を贈ったのだと彼は言う。それが誰であるかを知るものはもう少数だ。ラァ自身もそんな話を聞いたことがあるだけで、それが誰であるかは知らない。


 アングマール掌国の恐怖の象徴、絶対権力者であり絶対傍観者に徹していた存在の登場はエドワードの登壇、演説時とは異なり、神にも似た畏怖と畏敬の念を群衆に覚えさせた。


 彼が一歩ずつ下界に近づくことで生じる圧倒的な威圧感、威風の波動を感じ、どよめく民衆は口をつぐみ、知らず知らずの内に両ひざを大地につき、背筋を丸めて平伏の姿勢となった。


 民衆までとは言わずとも兵士達もまた同じだ。指揮官未満の兵士達は片膝をつき、頭を下げ、御空聖礼で以て、壇上へと登壇するレーヴェを迎えた。


 レーヴェが登壇するとエドワードは横へどき、自身の席に座る。彼の隣の席には次席、第三席の元帥達が座っていて、エドワードと同様に居住まいを正し、緊張した表情でレーヴェの演説を見守っていた。


 「——随分と静かだな」


 静かにレーヴェは視線を広場を取り囲む民衆へと向ける。


 「俺様はそんなに望まれない客か?今のお前らを見てみろ。まるでどうぞ供物をささげますから、お帰りくださいって懇願している隷民みたいだぜ?」


 兜の裏側、おそらくは笑っているだろうレーヴェの上擦った声音はよく響き、それは広場に限らずその周囲の市街の隅々まで伝わった。


 決して大声ではない。しかしよく通るその清涼な声に促されるように、一人、また一人と顔を上げる。両膝を上げることはなかったが、顔をあげ、その表情をレーヴェにさらした時彼は、いいじゃないか、とこぼした。


 「そう!大衆諸君!お前らは隷民ではない!俺様の国の由緒正しき国民達だ!よく食べ、よく笑い、よく騒ぐ愛すべき国民達!それが悲しい表情を浮かべ、あまつさえ元首である俺様にかしこまった態度をとる。後者はともかく前者は許せねぇな!そいつぁ為政者失格ってもんだ。好かれる嫌われるはさておいて、な」


 レーヴェは続ける。おおよそ国家元首とは思えない軽快な演説が繰り広げられる。


 「俺様は常に宮殿からお前達を見ている。活気に満ちた目抜通り、日夜喧騒が絶えない繁華街、色めく声ばかりの歓楽街などなど。どこを見てもいい色ばかり!決して暗澹としていねぇこの国の風を感じさせる国民達よ!ゆえにお前達は今、こう感じているに違いない。指輪王の襲来でその賑やかで華やかなる日常が立ち消え、亡国の風が国に吹き荒れるのでは、と」


 大きく手を広げ、レーヴェは火の粉を散らす。一瞬で広場に灯っていた火の色が橙色から薄気味悪い紫色へと変わり、それはまるで悪霊のように不可思議な軌道を描いた。


 「だが、安心しろ。お前達の日常は俺様の目の前にいる勇壮なる掌国軍が守る。保証しよう、それは絶対であると」


 おお、と民衆は安堵の声をもらす。統率され、為政者であるレーヴェに釘付けになった彼ら。ラァは彼らを見ずとも、盛大なため息が溢れる思いだった。

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