作戦会議
その日、8月の中頃になり南半球の蒸し暑さも重なってアングマール掌国の首都テオ=クイトラトルは猛暑だった。バビロンの街並みを思わせる賽の目通りの路肩に植えられたグッパージャスの木に留まっているホウキゼミすらウィンウィンと鳴かず、鳥達も木陰に身を潜めて羽ばたこうとしない。
目抜通りを歩く人影は少なく、歩いているのはもっぱら生物とは程遠いロックビースト系の種族ばかりだ。大半は木陰か家内に避難し、ひぃひぃと舌を出している。
必然、通りに活気はなくむんむんと湯気が湧き立っているのが宮殿からも見えた。通りが燃える中、涼しく空調が行き届いた宮殿内の会議室はしかし同じくらいの熱気で包まれていた。
「アルカン大樹林!!ちーと戦うに厳しい場所だが、本当にそこでやるって言ったのか、レーヴェは」
「事実よ。小生の目んの前でそう言うたわ。算段もある口振じゃったわな」
「正気とは思えないけど。まぁ、それはそれとしてその作戦ってのは?」
「うん、まぁそういうだろうな。一応、草案はもらってきた」
ほれ、と言ってバシュラは会議室の長机にまあるめた羊皮紙を転がした。代表してそれを受け取ったのはラァだった。受け取り、中を改めたとき、彼女はギョッとして眉を顰めた。
「これは……ガチ?」
「ん?ガチよ、ガチ。なんじゃい、なんか変なことでも書いてあったか?」
「えーっと。一応読み上げるわね。『森燃やせ』だそうよ」
その場全員が一斉に吹き出した。もしくは椅子から転げ落ちた。居並ぶのは歴戦の魔将達、アングマールの武力の象徴と言って差し支えない英傑達だったが、やはり彼らでも素っ頓狂なレーヴェの大言にはずっこけずにはいられなかった。
ある種の無茶振りであり、無理難題とも言える。わかりやすく言えばブラックな命令だ。それでも森林地帯で戦うとなればそれが有効な手段であることは理解できる。
アルカン大樹林は大陸南部の何割かを占める大規模森林地帯だ。樹上数十から数百メートルの巨木が延々と続き、その樹冠の下を上を幾多の獣達が闊歩し、飛翔している。総じて獣達のレベルは高く100を超えている個体もザラにいる。
アングマール掌国にとっては数年に一度の周期で森林外縁部のモンスター討伐を新人育成も兼ねて行っているため、馴染みも深い。そのため、恐ろしさは重々理解している。
「アルカン大樹林で戦うっていうレーヴェの命令の根拠はわかる。つまり、アレだろ。ゲリーラ戦がしてーんだろ?」
一番最初に落ち着きを取り戻したのは上級魔将であるインパントだ。蛾に似た容姿の昆虫人で、四本腕のタキシードに袖を通していて、フサフサの胸毛は襟からはみ出てジャボタイに見えた。
上級魔将であり、プレイヤーでもある彼は王であるレーヴェを平気で呼び捨てにする。そのためか、煬人がちらほらと混じっている下級、中級の魔将達は不快そうに彼を睨んだ。インパントはそんな彼らの視線を気にも止めず、話を続けた。
「フェイのやつの話を聞く限りはそうするしか対抗策はねぇ。北部戦線の城壁だって巨人共よか低いんだろ?なぁ、ラァ」
「まー。こっちは高さ30メートル、向こうは最低50メートル、最高で100メートル以上。どう足掻いたって足りないわね、高さ」
言われるがまま、ラァはうなずく。やはり上位のものに敬語を使わないそのスタイルに下級、中級の魔将達は顔をしかめた。
「アルカン大樹林ならそこそこ有利に戦える。連中の位置を把握しづらいっていう欠陥はあるがぁなあ」
「それはそう。けど、やりようはいくらでもあるわ。使い魔を使うなんて定番でしょ」
ラァが杖を一振りすると空色の鳥が生まれた。彼女の魔法によって生み出されたその鳥は会議室を一周すると、止まり木代わりにラァの杖の先端に留まった。
使い魔は数ある情報収集方法の中でも一般的な手法だ。多少の魔力消費で多くの情報が手に入る。費用対効果に優れている上、索敵に特化した魔法使いであれば一度に数百、数千の使い魔を操作し、情報収集をすることも可能だ。
「ラァの言う通りだ。小生らにとって大樹林はそう不利な地形というわけでもない。まぁ、多少の懸念は残るがな」
バシュラの視線が長机の上に敷かれた地図上に乗っている猫の置物へ向けられる。それを察し、ああ、と魔将達は理解した声をこぼした。
「化け猫共への対処はどうするんです?」
そう質問したのは中級魔将であるムシュニシュトラだ。全身が燃えている炎の精霊で、彼の周りには無数のペンデュラムが上下左右前後と問わずぐるぐると巡っていた。
「バステット共はあー。これから議論する。小生はあくまで方針を示したに過ぎんからなぁ」
「他人任せってことですか?」
「そうとも言うのぉ。だが、それこそトップの本懐というものよ。難しいことは部下に任せるに限るわ」
「アホ、そういうこと言ってないで、考えなさい、間抜け」
意味のない自慢から胸を張るバシュラの脇腹を容赦無くラァは杖でこづく。接触と同時に杖から溶液が迸り、バシュラの鎧に風穴を開けた。あぎゃ、とうめくバシュラを他所にラァは上座に立つと意見を募った。
まず求めたのはどのようにして森を燃やすかだ。言うまでもないが、ただ火打石でカチカチとやっても森に火は点かない。元より高温多湿の南半球、本日のアングマール以上の熱気が年間を通してずっと続く常夏の大樹林では湿度が高いせいで火は簡単には点かないし、燃え広がるのは稀も稀だ。
モンスターの間引きを行う遠征などではそれでもいい。むしろ火の取り扱いを注意しないで済むから幸いなことなのだが、戦となれば話は変わる。一気に火を点けなければ上昇気流が発生し、即座に雨雲が形成される。雨が降れば火計の意味はない。すべてがおじゃんだ。
油、燃焼剤、乾いた草、魔法による発火。方法はいくつかあがるが、規模がどのくらいのものになるかわからなければ備品確保のための輜重部隊も首を縦には降らない。実際、上がった案に対して後方支援担当の上級魔将であるフェルマーは苦い顔を浮かべていた。
「こちらの意図する地点に敵軍を誘き寄せる、てのは真っ先に思い浮かぶが、そうなるとこっちも燃えねぇようにしないといかんな」
森を燃やすとなれば問題は他にもある。自分から火を点けて、自分で火だるまになっていては意味がない。バカの究極、贅沢な自殺だ。火を点ける前に自軍の安全を確保しなくてはいけないのは至上命題だ。万が一にも風が向かい風になれば火の手は自軍に向く。
アルカン大樹林は高温多湿、大河もいくつか流れている場所ではあるが、一般的な戦と違って指輪王軍に対して川は天然の防壁にはなり得ない。川を隔てれば火は燃え移らない、と慢心していたら敵側が川を凍らせるなり、干上がらせるなりしてきてその爆炎がこちらに迫る可能性も十分に考えられる。
何より、火計を仕掛けても死ぬのは雑兵ばかりで、高レベル帯となれば、持ち前の体力とスキルで強行突破してくる可能性があるし、邪霊などの火に関連した異形種にとって火は脅威ではない。少なからず、燃え盛る炎の壁を突破し、向かってくる強者がいる。その掃討も考えなくてはいけない。
「なにより、問題は巨人だ、巨人。連中マグマだが、溶岩だかの体なんだろ?俺らが燃やす前に森、燃えんじゃねーの?」
「まーそーよねー」
フェイの話を聞く限りでは大地を歩けば焦土と化すらしい凄まじい熱気を放っている体長50メートルから100メートルの超巨大人型生命体(仮)など相手にしたくない。ましてそれが古いアニメーションに出ていた巨◯兵ばりの数でワラワラと来るのだからたちが悪い。
いっそ、国内の全兵力を結集すればこうやって頭を捻る必要もないのだが、それについてはレーヴェから「ダメ」と言われている。かろうじて最上級魔将、つまりバシュラやラァの戦線参加だけは認められた。それ以上の戦力は出撃は認められていないし、運用もできない。
「うーん、縛りプレイで勝てるような相手ではないでしょうに」
「じゃが、レーヴェは勝てると踏んでおるんだろうよ。実際、ヴォーガやローハイム、ティマティカが束になっても小生らは勝てる。レーヴェの提示した戦力でな」
傲慢にも聞こえるそのバシュラの発言にラァはそうねと返す。数値至上主義の彼女にとってそれは自明だ。1+1はなんですか、と聞かれ10進法ですよね、と返すくらいには自明だ。
「会議を続けましょう。何か、いい案があるかもしれないわ」
*
キャラクター紹介
インパント)種族、鋼翅昆虫人(メタルインセクター・モス型)。レベル142。趣味、香水作り。好きなもの、部下、いい状況。嫌いなもの、勘のいいやつ、疑り深いやつ。
アングマール掌国上級魔将。元赫掌一線級メンバー。粗野で野蛮、しかしどこまでも真っ直ぐな人物。気前のいい気風から部下から慕われている。アングマール内でも珍しい良識派。




