アングマール掌国
アインスエフ大陸南方のメソアリカ地方は大陸南部を二分する白喪連山の西側にある。山の裾野を下り、平野部が続くこの大地はその一帯を占めるとある国がある。
アングマール掌国を称するその国は魔界をそっくりそのまま顕現したような景色が広がっており、一面を枯野と薄暗い空が占めると旅人は語る。集落は点々としていて、首都に近づくに連れてその数は増していき、終わりの大地、あるいは黒の大地と呼ばれる場所までいけば、絢爛豪華な大都会が姿を現す。
黄金の都、テオ=クイトラトルは遠目に見れば、まさしくその名が示す通り、町全体が黄金に輝いているように見える。深淵の闇が凝縮したような大地にありながら、ポツンとひとつ輝く都は輝いて見えるのだろう。
しかし実態はただ常に街中の明かりが消えず、煌々と輝いているに過ぎない。黄金の都というのも外聞に過ぎない。いざ中に入れば、もっぱら目立つの赤い石造りの建物で、薄暗い桃色の空はあまりの明かりのせいでその色が写っているからだ。だから旅人の話ももっぱら嘘ではないが、真実でもない。真昼となればテオ=クイトラトルの頭上にも青空が顔を出す。
その都の北部に居を構えるのは途方も無く巨大な宮殿だ。いったい何つぼあるのかと数えるのも馬鹿馬鹿しい面積を占め、古代メソポタミア文明のジグラットを彷彿とさせる外観をしている。
宮殿は全部で三段構造になっており、長い長い階段が頂上まで続いている。下段には街一つが収まりそうな敷地の庭園が四方に広がり、方位によって生えている植物は全く異なっていた。
中段は無数の部屋があり、華美な装飾や絢爛な造りの彫像が目立つ。下段の自然的な美しさに対して人工的な美を凝縮したような印象を受ける。
上段は中段の華やかさとは打って変わって厳かな雰囲気を漂わせるさっぱりとした造りとなっていた。壁に使われているレンガは細かな意匠が彫られているが、それも決して艶やかなものではない。どこか貞淑な雰囲気を感じさせるデザインだ。
中段が装飾過多ならば、上段は実用性重視で、事実来賓用のホールや、国家の様々な部署がそのスペースの多くを占める中段の建築群に対して上段を占めるのは多くが居住スペースだ。唯一、謁見の間と呼ばれる豪勢な部屋があるが、それ以外は概ね、重々しい印象を受ける部屋が多い。
その一室、パチパチと暖炉にくべられた薪が割れる音が響く部屋で二人の人物が向き合っていた。片方は黒鉄の鎧を身に纏い、長い尾が腰から伸びるリザードマンに近い外見の男、もう片方は白いミニスカートのようなドレスを纏った空色の瞳の少女だ。
二人は暖炉から漏れ出る炎のゆらめきを挟んで対峙し、男は直立しているが少女は簡素な椅子に腰掛け、ズズッと茶色い液体をコップいっぱいに注いで飲んでいた。一息ついたとコップから唇を離した少女はふぅとため息をこぼす。そして顔を上げて自分を見下ろす鎧男と視線を合わせた。
男は腕組みをしたまま、無言で少女を見つめていた。彼が呼吸をするたび、体内の熱によって燃焼した空気が炎となって吐き出され、それは火の粉がフェイスガードから漏れ出た。
「——座ったら?」
気まずそうに少女はこぼす。直立不動のままの鎧男の姿勢が気になったのか、薄ら笑いを浮かべていた。
「いい。それよりもさっさと要件を話せ」
口を開いた男はぶっきらぼうに返す。その言葉の端々から怒りの感情が滲み出ており、機嫌が悪いことがわかった。
「別にそんなすごい剣幕になるようなことでもないじゃん」
「そうか。おい、ゥアーレス。すぐさま、法務官を誰でもいいから連れてこい。不敬罪でこの淫乱サキュバスをぶっ殺すぞ」
「了解。ちょっと待ってて」
「はぁ!?ちょっと待て三流漫才コンビ!ストップ、ウェイト!ウェイトレス!」
扉の前に立っていた青髪白髪の女は待ってましたとばかりについさっきまで自分がもたれかかっていた扉を開き、外へ出て行こうとする。その柔軟さと行動の速さに空色の瞳の少女はたまらず座っていた椅子から飛び上がり、女の足にすがりつこうとした。しかし必死に抱きつこうとする彼女の手はするりとすりぬけ、石造りの床に少女は盛大にダイレクトキスをかました。
石畳につっぷし、ひくひくと尻を揺らす少女。無様をさらした少女を文字通り尻目にしてゥアーレスはすたすたと外へ出て行こうとした。
「わーほんと謝ります謝ります!レーヴェ君とゥーちゃんの隠し子ですきゃるるんとか、拡声魔法で放送してすんませんしたー!冗談じゃないですかーぐぎゃ!?」
冗談になってねーんだよ、とゥアーレスはメンチを切りながら、起きあがろうとした少女の手の甲を鋭く尖ったハイヒールで貫いた。柔肌が貫かれ、手のひらまで貫通したハイヒールの一撃に悶絶する彼女を他所にゥアーレスはさらに追い討ちをかけた。
具体的にはどこから取り出したのか、銀製のバットで脱いだ自分のハイヒールを叩いて、文字通り少女を石畳に釘付けにした。わーばかばかと少女は大袈裟に騒ぎ、どうにかハイヒールをどかそうと力を入れたが柔な筋力ではどうすることもできなかった。
「きゃるるん以外にもなんか言わなかったかしら?」
「はい、レーヴェ君は自室でSMプレぐふ」
バットで頬をぶたれた。理不尽だ、と少女は残った手を振り上げて抗議するが、直後その手首に銀製の手錠がかけられ、天井に向かって引き上げられた。ぐぎゃーと少女は叫び、なすがままに地面から持ち上げられる。必然、固定された手をひき肉のようにズルズルと穴を引きずられ、彼女の皮や肉がものすごい勢いでブチブチと千切れた。
どうにかして手が裂けないように片足立ちで姿勢を固定するその姿はさながらアイスリングを滑るフィギュアスケート選手のパフォーマンスにも見えた。背中をありえない体勢で曲げて、地面についていない方の足はほぼ並行状態のままプルプルと震えていた。
「痛い痛い痛い」
「あんまり痛がってるように見えないけど?それとも私の目が曇ったのかしら」
「いえ、そんなことはございません、きっちり痛いでございます。肉がブチブチ」
「つまり、私の目が曇ったと言いたいわけ?」
「あ、いえ。そんなことはございません。えへへ。お姉様そんな意地悪いわばやば」
頬をつねるゥアーレスは冷めた目を少女に向けた。
「隠し子の次はお姉様?いったい、いつ私に妹ができたのかしら」
「いえ、それは言葉のあやですぜ。えへへへへへへへへ。ほら、盗賊の頭が女だったら、部下は姉御って言うでしょ?それとおなあぎゃ」
「つまり私が盗賊って言いたいわけ?」
焼け石に水、多弁は銀。この世には言葉についての慣用句や故事成語が多くあり、それだけ古来より人間が十全に扱えてこなかったことがよくわかる。
何を言っても曲解し、あるいは意図して理解を捻じ曲げる輩は過去現在未来を通して尽きることはない。それを痛感し、フェイ・DorT・フォログラムは涙目になってすんません、すいません、ごめんなさい、まじ謝罪、と思い浮かぶ限りの謝罪の弁を口にした。
「——まぁ、いいわ。ここであなたを矯正してもいいけど、それはそれで骨が折れそうだし」
解放されたフェイをボロ雑巾のように部屋に敷かれた絨毯の上に投げ捨てながらゥアーレスは愚痴る。その目は相変わらず笑っていないし、フェイに付けられた手錠は天井を走って、未だに彼女を繋いでいた。
「いやーほんとありがとーございますー」
愛想笑いを浮かべるフェイをぶん殴りたくなる気持ちを抑える男は、レーヴェはわなわなと拳を振るわせていた。彼が装備しているガントレットが感情の起伏に呼応して紅蓮の炎を纏うが、それすらもフェイははりつけたような笑顔で乗り切った。
「それで?なんの用だ。まさかただ」
「いや、そんなわけないって。あたしも流石にそこまでバカ晒しに来たわけじゃないです!」
穴が空いた方の手を前に出して、殴ってきそうな雰囲気のレーヴェをフェイは制止する。さすがにアングマールの王、最強格のプレイヤーの本気パンチを受けては彼女も無事では済まないから必死だ。
さっさと話せと催促するレーヴェにフェイははいもちろん、と緊迫した様子で返す。こほんと咳払いをして彼女は自分が見たものを、灼熱の大地を埋め尽くす紅蓮と漆黒の大軍について話した。
それがなんであるかをレーヴェとゥアーレスはすぐに察したのか、直前までの感情的な仕草は鳴りを潜め、食い入るようにフェイの話に耳を傾けた。彼女がすべてを語り終えた時、最初の緩んだ雰囲気はすでになく、張り詰めた厳粛な面持ちで二人は考え込む姿勢になっていた。
「フェイ、お前が見たそれは指輪王の軍勢、でいいか?」
確認するレーヴェにフェイはうん、と返す。軍勢はもとより、縦になったアーモンド型の図形の中に見えた黒点が刺繍された旗をいくつも見た。「目」を表す旗は古今東西数多くあるが、あれほどシンプルな旗を掲げる軍勢を彼女は一つしか知らない。
旗は集団の象徴だ。例えばアングマールの旗は赤い手のひらが刻まれた黒い旗、ヤシュニナは時々によって変わるが、概ね狼が刺繍されている。騙っている可能性も考えられるが、この大陸において指輪王の旗を騙られる度胸がある人間などプレイヤー以外にいない。そして彼女が見張っていたアインスフォール界国周辺にはそのプレイヤーすらいなかった。
「連中は南下してる。ここに来る途中、ヴォーガ=ラング首長国とか、ローハイム王国とか、ティマティカ州王国にも依って警告はしたけど、どれだけ持ち堪えられるか」
「合従すれば一月はもつとは思うけど、それも希望的観測よね」
いずれの国も国力で言えばヤシュニナ級の強国だ。普段は仲が悪いが、全世界共通の敵が相手となれば嫌々でも連合を組むだろう。しかし押し寄せる火砕流を止める手立てがないように、その程度の防波堤は容易く砕かれる。
ゥアーレスは悲壮めいた表情でため息をこぼし、手元のワイングラスを揺らす。いつの間に注いだのか白ワインが並々とグラスの中に満たされていた。それを一気に呷り、再び嘆息した。
「そこらの国が消えれば次は内海国家群だが、あそこはどれもざっこいからなぁ」
フルフェイスの兜のせいで顔は見えないが、声音から困っていることがわかる。ぽりぽりと兜のフェイスガード部分をかくレーヴェは炎に混じってため息をこぼした。
レーヴェの言う内海国家群とはヤシュニナで言うところの「南方の亜人種国家群」のことを指す。アインスエフ大陸北部と南部をつなぐ「橋渡しの大地」の東側にある小規模な国家群であり、大陸北部の南海岸部に集中している。
多くが漁や服飾、農栽培などを主産業としている牧歌的な国家群で、兵士もそう多くはない。戦争だってここ100年ほどは一度もやっていない。
「そーいや、エンキは?あそこはヴィーノがいるだろ」
「あっちはシド君がメールするってさ」
「今時メールかよ。何世紀の人間だ、あいつ」
「さーね」
電子メールなどレーヴェ達からすれば21世紀初頭でSNSに取って変わられ、電子郵便代わりにしか使われなくなった廃れた伝達手段だ。それを再現したぞ、とヴィーノが随分と昔に自慢して携帯電話もどきを送ってよこしたが、いつの間にかどこかにいってしまっていたため、レーヴェが使う機会はついぞ訪れなかった。
エンキこと聖廟都市エンキもまたプレイヤーによる国家だ。機械仕掛けの天使によって統治されるガラスの都である。もう一つ、アインスエフ大陸には北部西方にエイヴィス王国というプレイヤー国家があるが、そちらは動かないだろう、とレーヴェは踏んでいたため、話題には出さなかった。
「じゃぁ、エンキはなんかアクションは起こすな。俺様が出張るまでもなく」
「メール行ってなかったら何するつもりだったの」
「ぁあ?——暴れる」
脳筋め、とフェイとゥアーレスの二人はジットリとした眼差しでレーヴェを見た。その視線がこそばゆかったのか、レーヴェはうるせうるせと手で払った。
「まぁいい。とにかくそれがお前が来た目的だったんだな、フェイ」
「あい。そうでーす。のであたしとしてはそーろそーろ帰りたいのですがー」
「そーだなー。けどそういうわけにもいかねーなー」
兜の内側でレーヴェが笑った、ような気がした。嫌な予感がしたフェイはしまっていた杖を反射的に取り出すと、壁に向けた。
しかし彼女が魔法を放つよりも早く、ゥアーレスの手に握られた杖がその細腕から杖を叩き落とし、返す刃で手首を切り落とした。フェイは悲鳴一つ上げないが、明らかな動揺を見せる。
「フェイ、わりいがお前の帰国はキャンセルだ。シドにもそう伝えてくれ」
ガチンガチンとガントレット同士を打ち鳴らし、レーヴェはフェイに近づく。
「これから俺様達は戦争状態に入る。戦力をそうみすみす逃すわけにゃあいかねーんだ」
睨む彼女の顎をつまみ、レーヴェは続ける。
「命令だ、戦え」
その時、フェイはクソみてぇな世界だ、と手のひらに穴を開けられた時以上にアングマールに来たことを後悔し、自分をこんな目に遭わせたシドへの憎悪を覚えた。言うまでもなく完全な逆恨みである。
*
アングマール掌国について
建国は約140年前。レーヴェが中心となり、彼らのレギオンホームを中心にして拡大し、メソアリカ地方一帯を領有する大国となった。
基本産業は鉄鋼業とバイオ技術。他国と比べて圧倒的な武器生産力を有しており、内海国家群や南方の国家軍に輸出されている。武具の質はほどほどに高く、大量に生産できるためコストパフォーマンスに優れている。
バイオ技術はアングマールの最重要産業であり、複数の魔法使いによって大量の木材や農産物を短期間に栽培、育成する方法を確立している。国内には生産に従事する魔法使いを育成するための学校もある。
レーヴェを君主とする国家ではあるが、レーヴェ自身は政治に興味がないため事実上、国を納めているのは執政部と呼ばれる部署となる。この執政部のメンバーを選定するのはレーヴェの仕事であるため、執政部の暴走はよほどのことがない限り起こらない。
元トップレギオンである「赫掌」が中心となっているため、その軍事力は大陸南部では最強クラスであり、総合力ではヤシュニナを凌駕する。元々この地には神龍の一柱である夙光龍ザイルジリア・クロイツフェルトが住んでいたが、レーヴェらにより、土地を追われ、彼らを恨んでか時折嫌がらせまがいの攻撃を仕掛けてくる。




