分裂精神
それは実にあからさまな態度だった。一国の重鎮が放つ威容もなければ威厳もない。よくぞ聞いてくれた、とこれから詐欺や犯罪の片棒を担がせようとする人間のあけすけな態度を前にしてシドは帰ろうかな、と席から腰を浮かせた。
彼にもジドーを尋ねた理由はあった。しかし目の前の老人はお茶目な隣家のおじいちゃんを彷彿とさせるキラキラした目をシドに向け、決して彼を退室させようとはしなかった。押し合いに引き合い、相手の眼力に負け、シドはため息をつきながら再び席についた。
「より建設的な話し合いができることを望みます。で、何を隠されているのですか?」
「早速ですな。とはいえ、ここまで散々に時間をかけましたし、まぁいいでしょう」
他人事のように、しかし笑みを浮かべてジドーは視線を窓の外へと向けた。春先、ヤシュニナに比べれば温暖な気候の帝国はすでに雪が溶け終わり、帝城内の園では春の野花がつぼみを揺らしていた。
揺れているのはカレリナの花、そしてソロニアム・オイレン。いずれも古い花だ。花言葉などなくとも存在それ自体が神秘の塊であり、おいそれと切ることはできない。おそらくは帝城となるはるか以前から咲いていた花だ。それを見つめるジドーの視線をシドは追った。
「時にシド殿、貴殿は木々の寿命についてご存知か?」
「自然学の話ですか?それとも純粋な植物学の話ですか?」
「後者です。聞く話ではいかな大樹とて毒虫が幾度となく噛めばその寿命が尽きるとか。実に恐ろしい話だと思いませんか?毒虫の一噛みは致命傷でなくとも何度となく噛めば致命傷になりうる」
「話が見えません。まるで侫臣がいるような口ぶりではありませんか。まさか、そのようなものが本当に?」
シドはわざとらしく、大仰に驚いてみせる。目を丸くし、組んでいた両手を解いて正面に向かって広げる彼をやんわりとした表情でジドーは見つめた。さすがに恥ずかしさを覚えたのか、すぐにシドは両手を引っ込め真面目な面持ちで向き直った。
「国内に異分子がいる、そういうことですね?」
「しかり。だがそれは単純な外部の間諜や工作員の類ではなく、どちらかといえば政治的な駆け引きの部類ですな」
「他国の人間に話す内容ではないように思えますが」
「経済を支配されていると言って過言ではない我が国にとって今更、恥部の一つや二つ増えたとて大して変わりはないでしょう。強いて上げるならば、貴国の商会が国内の喧騒に巻き込まれまい、と夜逃げをするくらいですな」
そうなれば帝国は完全に終わる。閉店、店じまい、毎度ご愛好ありがとうございました、とシャッターの前で店長が何度も「ありがとうございました」と連呼する古き悪き因習を量子世界で見ることになろうとは、とシドは天を仰いだ。
しかし、仰いでも天啓が降ってくるわけではない。よい考えは起こらない。ため息を吐き、ジドーの話の続きに耳を傾けた。
「ことの始まりは先月の帝国議会における一部外周貴族、ああ外様の貴族共による国内のヤシュニナ依存を解消しろ、という無茶な要求でした。彼らは内陸部に所領を持つ貴族でして、端的かつ明瞭に、外聞を恐れずに言うならば、貴国の恩恵に預かれなかった貴族共ということです」
「領地が遠ければそうもなりましょう。我が国とて慈善事業で街道整備や田園開拓をしているわけではありませんから」
「だが、彼らは古い毒虫です。脳みその大きさもその程度しか持ち合わせていない。本当ならば貴族の間引きをした時に彼らも貴族特権を剥奪されるはずだったのですが、所領が帝都と近いということもあり、なかなか」
下手に扱えば叛意して帝城に攻め寄せるかもしれない。腐っても貴族、どれだけおつむが残念であろうと、外様であろうと、金は持っているだろうし、それをばら撒いて自前の傭兵団くらい作り得るかもしれない。なにせ、帝国軍の人員削減のあおりを受けて、元専業戦士は山ほど路傍に転がっている。
ジドーにとっては苦渋の決断だっただろう。例え帝城が落とされることはないとわかっていたとしても、無用な国内の争いは避けたかったということだ。
「彼らを宥めるための先の三要求と解釈してよろしいか」
「それもありますが、やはり本命は帝国経済の再建ですな。どうか一考願えないか」
「無茶であることはわかっているでしょう。すでに何度となく説明しましたが、我々が得る利益がないのです。慈善事業でもなし、そうおいそれと技術や資本を提供できるわけがないでしょう」
なんならエイギルあたりに頼めばいい、とシドは冷たく言い放った。しかしその返しは想定していたのか、ジドーは首を横に降った。
「すでにエイギルへ、投資をしてみないか、と誘いはしました。ですが、あいにくととりつく島もなく、貴殿のようにわざわざおいでになることすらなく、ただ返答の手紙があっただけです」
「首領ルキアーノであればそうでしょう。彼の商会がエイギル随一の規模を誇る所以はその危険への嗅覚にある。貴国への投資は危ういと判断し、彼は手を出さなかった。英断だ」
「しかしなんらかの手を打たなければ帝国経済は崩壊し、必然的に人類世界の防人は壊死する。貴国とてそれは望まないはずだ」
「人質、あるいは脅迫か。伯のおっしゃるとおりではありますが、それはそれ、これはこれと氏令会議は返答するでしょうな。最悪、彼らにとって東岸部を失っても問題はないのです。東がだめなら、西と取引をすればいい、と考えるでしょうから」
無体な、とジドーは顔をしかめた。ひどく避難する視線だったが、シドにはどうすることもできないことだった。すでに氏令ではないシドに表向きの権力はない。せいぜいが議会工作くらいだ。
だが、ジドーの言い分にも一理あることはシドも理解していた。帝国の崩壊は単なる一国家の消滅ではなく、東岸部の諸国家を飲み込む大津波を呼び寄せる結果となる。
困窮した国家を救う手段など古代から決まっている。うっすらと笑みを浮かべ、シドは余裕のある表情を作り、ジドーの目を見た。強い信念を感じる忠臣の目を見た。
「——ならば、そう。これは私見としてお聞きください。貴国に提案したい」
「どのような提案でしょうか?」
「——一つ、戦争をしませんか?」
それもただの戦争ではない。
「大陸全土、西も東も南も北も中央も関係ない、すべてを巻き込んだ一大戦争を」




