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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
生存戦争
260/310

逃散者

 ロデッカ郊外、夜のこと。


 コリト・ヌーヴォラをはじめとした帝国の工作部隊はロデッカ郊外に用意したセーフハウスという名の小さな一軒家で帝国へ帰宅する準備を始めていた。必要最低限の荷物を鞄の中に詰め込み、財布の中の銀貨、銅貨も往来に必要な最低額にとどめた。俗に言う夜逃げの準備である。


 過日、ノックストーン紹介の三人組に尋問され、コリトらは自分達の正体と目的を洗いざらい白状させられた。何から何まで洗いざらいだ。子供に反国家的な思想を植え付けようとしていたとか、思想扇動を画策していたとか、ことごとくすべてを純粋な暴力への恐怖によって吐かされた。


 すべてを聴き終えた三人組は直後、天へ向かって上がって一条の天柱を見とめると、コリトらをほっぽり出してその場から去ってしまった。結果的に見逃される形になったわけだが、自分達ではどうしようもないイレギュラーな存在がヤシュニナを普通にぶらついていると知って同じ国にとどまれるほど彼らの神経は図太くはなかった。


 彼らに尋問された際に右腕を文字通り変形させられたコリトは癒えぬ傷跡を残したまま、ぎこちない手つきで鞄の中に荷物を詰めていた。セーフハウスの裏手では持っていけない秘密資料を燃やしている彼の仲間の姿がある。次々と燃やされていく資料を見つめていると、自分達がヤシュニナでやってきた工作活動が一つずつ無に帰していっている状態をまざまざと見せつけられているようだった。


 一体どこで何を間違ったのだろうか、と過去を振り返って思い当たる節がないわけではない。


 あの五人組、いや六人組に助けを求めたのが終わりの始まりだったのかもしれないし、運悪く魔銃使いの侵入を許したのが原因だったのかもしれない。あるいはもっと以前、三年前の帝国軍によるロデッカ襲撃の際に自分達の命可愛さにロデッカから逃げ、彼らに助勢しなかったことが原因なのかもしれない。兎にも角にもコリトらのロデッカでの、引いてはヤシュニナ国内での工作活動は終焉を迎えた。


 ただ本国に帰ってもどうにかなるとは限らない。聞く話では戦争に事実上敗北し、領土を半分にさせられた帝国では大規模な貴族階級の削減とそれに伴う領地の合併が行われていると言う。反感を持った貴族は大勢いたが、100年以上にわたる平和はかつての戦士の血を腐らせるのに十分だった。抗弁は剣によって塞がれ、なけなしの拳は盾によって弾かれた。


 帝国貴族の凋落、それに伴い、これまでは必要職とされてきた給仕や使用人、馬や犬の調教師、お抱えの仕立て屋、御用商人といった者達も多くが職を失い、路頭に迷う結果となった。ヤシュニナやエイギル、北方のロサ公国などが潤う一方で、帝国は灰色の時代へと突入している、と聞いている。


 戻っても職はなく、むしろ更に過酷な生活が待っているとすれば、いっそこの国に定住してしまった方がいいんじゃないか、と荷物を詰めながら一人、コリトは考えていた。ヤシュニナと言えど、文字の読み書きができる人間は首都かイエリ・アル・ヴァレアに住む人間くらいなもので、どこへ行っても重宝される。利き手がダメになったとしても、左手で文字が書けないことはなかった。


 「やはり逃げ——うわぁあ!!!」


 コリトが一人、ぶつくさと離反の計画を立てていると、突然セーフハウスが揺れた。地震か、と周りを見る。しかし窓から見える木々が揺れているようには見えなかった。


 なんだなんだ、とコリトをはじめ諜報機関の構成員達は慌てふためき、とにかく状況を把握しようと小屋の中から飛び出した。


 夜天、星の明かりだけが空に輝いていた。月はなく、あたりは静まり返り、フクロウの鳴き声、獣の唸り声、雪が枝葉から落ちる音すらしない完全なる静寂が訪れた。


 外に出たコリトはまず困惑したいくら暗くともロデッカの背後に聳える山脈が見えないなんてことはない。そも今日は新月ではなかった。だと言うのに周りは暗く、星々は歪なまでに輝いていた。


 「——やぁ。諸氏。やぁ。愚劣なる侵略者共!!今宵の月は綺麗ですかー!!!???」


 その静寂を描き破り、甲高い女の声が響いた。いっそ「おーっほほほほ」と頭の悪い高笑いをしているのがお似合いな声が天上から響いた。


 見上げると暗闇の中、まるで月のように輝く一人の女が浮かんでいた。銀色の短髪、目立つ八重歯、紅玉の瞳、その容姿にコリトは心当たりがあった。


 「まさか八重歯の警督(ヤトラ・レーレン)イブ・リー!?防衛軍の重鎮じゃないか!?」


 「ははははははははは、そのとーりってちょっと待て!訂正しろ、防衛軍じゃないくて防衛隊よ!軍人じゃないの、こちとら!!」


 ピシリとイブ・リーは指先をコリトに向けた。直接向けられた紅玉の瞳に思わずコリトは身構え、その鮮烈な気配に圧倒された。


 単騎襲撃、単騎がけ。しかしそれを為す実力が彼女にはあった。首都防衛隊の重鎮という表現は決して大袈裟ではない。彼女一人で帝国の一個軍団と相対しえるとする報告も上がっているほどだ。


 曰く、たった一人で海賊を壊滅させた。曰く、一薙ぎで竜の群れを引き裂いた。曰く、九人みさき(ナーズグール)の心臓を喰らった。曰く、曰く、曰く。あげれば切りがないほど様々な噂がつきまとう人物、それがイブ・リーだ。


 その真偽は不明だ。彼女についてわかっていることはあまりに少ない。プレイヤーであること、そして凶気の刃令(イヌカ・キェーガ)ジルファの副官であること、吸血鬼であること、これだけだ。


 そしてつい今さっきわかったことがあった。その強さは本物だ、ということだ。


 彼女を見て間もなく、構成員達は四方八方へと逃げ出した。自分のところへ来るな、と祈り彼らは逃散する。ただ一人、その場に取り残されたコリトはゆっくりと降下してくるイブを怯えながら見つめた。


 「おや、あなたは逃げないの?」

 「ひ」


 「ああ、腰が抜けたんだ。それにしても、なにその手」


 コリトの変わり果てた右手を指差し、彼女は笑う。カラカラと悪意ではなく、ただただ純粋に面白いから彼女は笑った。よほどおかしかったのか、涙まで目尻に滲んでいた。


 苛立ちと羞恥で恐怖も忘れ、コリトが赤面していると彼女は少し悪いことをしたとでも思ったのか、まぁいいわ、とこぼすと赤い光をコリトに浴びせた。殺されると思い、コリトは反射的に両手で体を隠した。


 「これでどう?」


 気がつくと彼女の放った光は止んでいた。そして不意に懐かしい感覚が右手に走った。動かそうとしてみると確かに動く。恐る恐る右手を見てみると、そこには潰され、帽子がけにされたはずの右手が元に戻った状態で確かにあった。


 「一体誰がそんなことをしたんだか。まぁいいわ。それよりも、あなたは帝国の工作員、で間違いないのよね?」

 「いえ、いや、はい!」


 恐怖と驚きからケツを突かれた雌鶏のような声がコリトの口から漏れた。そう、とイブは返す。まるで興味がなさそうに、逃げようが居ようが関係ないという様子で。


 地面に降り立ったイブはその足で小屋の中を物色する。コリトが詰めた荷物を鞄をひっくり返して全て出したり、本棚を漁ったりしていた。その背中は無防備そのもの、しかし彼女を後ろから刺しても死にそうにはなかった。


 「あ、あの?」

 「なに?」


 物色する手を止め、イブは振り返った。長い眉毛、綺麗に切り揃えられたまつ毛、宝石をあしらったような紅玉の瞳、肌は生絹のごとく白く滑らかで、ぷっくりとした唇は食べごろのいちごのような色合いだった。


 「逃げた連中を追わないんですか?」

 「ああ、いや。別に。だって逃げられないもの」


 「え?」


 「ここはあたしの領域(テリトリー)、死級であるあたしの絶対領域。ねぇ、出口のない鉄の棺桶からどうやってネズミは逃げ出すの?」


キャラクター解説


 イブ・リー)ヤシュニナ氏令国主等防衛軍副隊長補佐、八重歯の警督。レベル147。種族、死級吸血鬼。好きなもの、紅茶、クラシック、ジャズ。嫌いなもの、タバコ、ヘヴィメタル、デスメタル、ロック。


 聡明な人物。戦闘狂であるジルファに代わって部隊を指揮することがある。小綺麗な衣装を好む。上品な人物ではあるが、戦い方はジルファやリドルからは「汚い」と称されるほど残忍で、鮮やかさの欠片もない。約160年前の指輪王攻略戦に参加した。一線級最上位のプレイヤーであり、十本勝負でリドルに勝ち越したこともある。

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