絶禍の黒翼
それは名乗りをあげ、会釈する。人のように、礼節をわきまえた紳士であるかのように。
ジキルは困惑した。これまで彼が接してきたワーグや吸血蝙蝠達とは違う理知的で穏やかな口調の黒鴉、怒り一辺倒、笑い一辺倒、泣き顔一辺倒ではなく、彼はまるで人が宿っているかのような多彩な表情を見せた。
「おや、どうされました?鳩が豆鉄砲を食ったような表情をされて。ふむ、ひょっとしてラグでしょうか。この世界でそんなもの起こり得るんですかね?」
意味のわからない言葉を意味のわからない存在が意味のわからない様子でベラベラとさえずる。彼は困惑したように首を傾げるが、一番首をかしげたいのはジキルだった。
ワーグや吸血蝙蝠、王鷹ですら喋ることはない。どれだけの知性を有していても人語を介することはなかった。それは上古の獣、世界猫と呼ばれるノーベルでも変わらない。
この世界で人語を介する獣がいるとすれば、それは神龍をはじめとした古い龍や竜の類、あるいは神獣の類だけだ。ならば、とジキルはエリアライを見つめた。目の前で羽の毛繕いをするおかしな黒鴉の正体を察し、ジキルは柄にもなく目を見張った。
「——まさか、本当に神獣なのか?」
「いえ、私はプレイヤーですよ?端的に言うならば、そうですね。アニマルビーイングと呼ばれる種族群に属するプレイヤーですね」
ジキルには預かり知らぬ話だが、プレイヤーの中には人類種や亜人種といった人型の種族以外を選ぶ人間も少なからず存在した。スライムや昆虫系を選択する物好きもいるし、ゴーレムや機械生命体を選べる運のいい人間もいる。その中でエリアライは鴉となることを選んだ。鴉、つまり一介の動物である。
分類上はワーグと同様に亜人種に分類されるが、エリアライの初期種族「濡れ羽鴉」は設定的な話をすれば神獣に近い。そして今の彼は誰に恥じることなく、神獣であった。
「私の話はさておいて、貴殿の話を聞きたいですな。そうですね。まずはどのようにしてこの国まで来たのか、というところから始めましょうか」
エリアライはエンシェロッテの肩から飛び立ち、かぎ爪を装備した両足をジキルの額に引っ掛けた。爪を食いこませ、エリアライがステップを踏むたびにジキルの肌が剥がれた。ぐっちゃぐっちゃと肉壺を踏み締め、しばらくするとエリアライは不思議そうに彼を覗き込んだ。
「リーチャーの中でも下位の個体である貴殿ではなるほどそこまでの再生力はないのですね。その原因は、察するに左目の火傷と全身の切り傷でしょうか。前者はともかく、後者はそれほど深い傷ではないように見えますが、まぁいいでしょう」
ほらほらと言いながらエリアライはジキルの額周りを礫のようにぐちゃぐちゃにする。それは掛け値なしに拷問であった。話すと言わなければ絶命するまでエリアライはこれを続ける。そう直感したジキルはわかった、と言って彼の質問に答えた。
リーチャーと言えど、命は惜しい。心無い悪意の塊ではなく、一個の生命体として生まれたジキルにとってここで意味もなく死ぬのは耐え難い恥辱だった。
「飛んだんだ!鳥に変身して、空を飛んだ!壁だってそれでひとっ飛びさ」
「なるほど、そういうこともできるんですね、リーチャーとは。実に興味深い」
ふんふんと相槌を打ちながら、エリアライはジキルの頭蓋に爪を突き刺すと、それを力任せに前に倒した。ベロリとジキルの額部に相当する骨部が肉の中から現れ、勢いに負けて彼の右目がボトリと地面に落ちた。鼻骨の付け根から額にかけての部分が丸ごと前に倒れてきた、当然ながら血は出るし、体液はこぼれ落ちる。言葉にならない絶叫をジキルが上げたのは当然と言えば当然だった。
顔面が骨ごと剥がされ、一瞬でジキルの視界は暗闇に沈んだ。急いで新しい目を作らなくては、と彼が焦る中、エリアライの抑揚のない優しげな声が彼に耳元に囁かれた。
「他に間諜は国内にいますか?」
その言葉を聞いた瞬間、ジキルは生成寸前だった視覚器官を引っ込め、代わりに口頭機関を生成した。他にはいない、と答えるとその質問にエリアライはふむとだけ返した。
一体どのような表情を浮かべているのか、視覚器官を生成していないジキルにはわからない。しかし決していい状況ではないことは確かだ。下手な命乞いをしようものならエリアライはすぐさま自分を殺す、と確実に断定できる要素しか彼からは感じなかった。
「では次の質問に移りましょう。今回の事件を起こした理由は、なんでしょうか?」
「それは……ヤシュニナの戦力ざぐが」
「おっと嘘はいけませんよ。いえ、全てが全て嘘というわけではないのでしょうが、それが本目的ではないでしょう?」
ジキルの返答に満足がいかなかったエリアライは鋭い嘴で彼の右肩を削ぎ落とした。ドタンと自分の右手が落ちる音が聞こえた。
「ちょっかい、ちょっかいだよ」
「ちょっかい、ですか?」
「そう。エンシェロッテ・クロイツァーへのちょっかかっかあかかか」
ジキルの鼻を引きちぎって、エリアライは彼を黙らせた。
恋慕と呼ぶにはあまりに偏執的にすぎる。もう黙れと言うより早く、エリアライはジキルの口を封じた。相手が痛みに負けず喋り続けていたらと思うとゾッとする。同時にエンシェロッテに尋問させなくてよかった、と胸の内でホッとした。
例えるなら史上稀に見る性犯罪者の聴取を女性警察官にさせるようなもので、そんなものは彼にとって尋問ではなくただのご褒美だ。カチャカチャと鼠蹊部の周りを弄らせこそすれ、労苦にはなり得ない。
「気絶したん、ですか?」
「いえ、黙らせただけですので、痛みが引けばまた喋るでしょう。再生もほとんど終わり始めてきたようです。これ以上は私達では無理ですね、プロに引き渡しましょう」
プロ、つまりは警察や軍の尋問部隊などだ。薬物や特殊能力を用いて相手から情報を引き出す彼らを用いれば即座に聞きたい情報を引き出せる、そう語るエリアライの言葉を聞き、ジキルは汗をダラダラと流した。
まずい、非常にまずい、と。
彼が焦りを覚え始めたその刹那、何が噛み合ったか、エリアライとジキルの間に一筋の黒閃が引かれた。
アニマルビーイングについて
「SoleiU Project」内ではキャラクターメイク時に種族を選び、基本的に最初に選択した種族から全く違う種族になることはできません。初期キャラの種族がエレ・アルカンなら上位種のハイ・エレ・アルカン止まり、オークならばハイ・オーク→ウルク・ハイという進化の軌跡をたどります。
種族選択の際、ごく低確率でアニマルビーイングを選択する選択肢が出現します。アニマルビーイングに含まれる種族群にはエリアライが選択した「濡れ羽鴉」以外にも「ワーグ」や「古猫」などがおり、アニマル・ビーイングはかなりレアな種族となります。




