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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
生存戦争
246/310

山河の先

 ヤシュニナは首都ロデッカの行政区にある首都防衛局官舎、その一角に防衛副隊長の執務室はあった。


 彼の部屋に入るとまず薫ってくるのは異様なまでのヤニの匂いだ。有体に言えばタバコ臭く、それが視覚的にもわかる。なぜなら部屋に入ると、灰色の煙が大量に空中を浮かんでいて、煙で目が痛み大粒の涙が滲むほど蔓延しているからだ。


 鼻と目を蝕んだかと思えば次に訪れるのは耳を劈くような爆音だ。室内の壁が防音であったがために廊下にまで響いてこなかった円形の板から上がるよくわからない奇声が内耳を通り過ぎ、刺激が脳までダイレクトに響いてくるのだ。


 知る人ぞ知るデスメタル、皇帝のけつをファックしろと言って憚らない罵詈雑言、破廉恥極まりない爆音の連続は鼻と目の試練を乗り越え、初めてここを訪れた人間を完璧にノックアウトする。ぐにゃりと顔が奇形で歪んだニュービーは倒れたが最後、ヤニくさい大男によって介抱されるのだ。


 それがある種の魔窟、防衛副隊長にして凶気の刃令(イヌカ・キェーガ)ジルファの執務室である。


 その日、ジルファは普段と変わらず、デスメタルのレコードを聴きながら、ヘビースモーカーもドン引きするほど大量のタバコを吹かしながら仕事に取り組んでいた。灰皿の上にはここ数日のうちに吸って吐いたタバコの残骸、もとい灰と吸い殻が山を気づいていて、それらはジルファが吸ったタバコの灰を落とすと崩れ、書類の端にこぼれた。


 デスメタルの奇抜な激音、腹の底を打つ重低音に身を震わせながら仕事に勤しむジルファは一枚一枚の書類に目を通し、サインをしていく。刃令(キェーガ)である彼の職務は主に司法関係だ。中でも警察関係の仕事を彼は担当することが多い。


 一般的に警察の仕事とは国内の治安維持だ。犯罪を犯した人間を捕らえ、検事に引き渡す簡単なお仕事だ。ジルファの仕事は端的に表現するならばその検事に引き渡す際の書類諸々に許可印を押すことである。


 地味、まさしく地味の極みである。だが管理職など大概地味だ。ましてジルファは防衛副隊長、現実で例えるなら警視副総監と特殊部隊の指揮官を兼任しているような職だ。そのため、書類へのサイン以外にもするべき仕事は多くある。そのひとつが目下の課題である警察と軍の棲み分け問題だ。


 ヤシュニナにおける警察というのは軍部と混同されやすい。それは首都が置かれている第二州と禁足地扱いの第一州を除くすべての州で治安維持を軍が行なっているからだ。軍部がもつ力、それは言わずもがな軍事力である。他方、一般市民からすれば警察も軍事力の象徴と言える。


 一般的な近代国家、少なくとも19世紀ぐらいまでの水準に国家が成熟すれば治安維持を行うのは警察、軍は外部の敵だけを見ていろ、と棲み分けはできるのだが、ヤシュニナをはじめ多くの「ヴァース」内の国家はその棲み分けができていない。治安維持を行うのは決まって軍部の下部組織、もしくは軍そのものだ。帝国などがいい例だろう。


 ヤシュニナにおいては第一、第二の治安維持を首都防衛部隊が、それ以外の州の防衛は軍が担うことが決められているからまだ問題は少ないが、それでも首都防衛部隊を警察機構と考えず、軍と考えるきらいはある。現に四年前の十軍の戦いや、三年前の首都防衛戦では首都防衛部隊が軍として扱われ、奮戦してみせた。


 この二つの事例が原因で余計に首都防衛部隊は軍として見られるきらいが強くなってしまった。それまでの街中の頼れる用心棒、道を聞いたら明るく教えるナイスガイというスタンスでイメージ作りに勤しんでいた努力がすべて水泡に帰してしまったのだ。


 警察が怖い、近寄りがたいというイメージを市民に持たれるのはいいことではない。それではヤクザではないか。広報課に新しいイメージ戦略を考えろ、と命令はしたが、そう簡単に払拭できるイメージならここまでの苦労はない。


 「舐められても困るし、怖がられても困る。この絶妙な塩梅を、ああー塩梅!!!!」


 お気に入りのデスメタルのレコードをかけながら仕事をしなくてはやっていられなかった。怖いは不信につながり、不信は不安を煽り、よからぬ陰謀を生む。いつもニコニコキャピピな警察を目指して努力してきただけにジルファの胃はかつてないほどひっくり返りそうだった。


 ヤシュニナの警察機構は創設されてからまだ日が浅い。前身である海上警邏隊を母体として創設されたのがおおよそ30年ほど前、それまでのヤシュニナの治安維持はもっぱら軍が行なっていた。しかし一部の軍令による不正が発覚したために軍を首都から追い出す形で新たに創設されたのが首都防衛部隊だ。


 軍が作ってしまった悪いイメージを払拭するため、日夜奔走していたわけだが、それも今となっては淡い夢と成り果てた。また一から努力すると思うとジルファは心労でぶっ倒れそうだった。


 「あー。酒のみてー」


 よく冷えたビールが飲みたかった。アルコール度数の高い酒を樽で飲みたいと思った。岩塩をまぶした干し肉やよく漬けられたチーズ、ピクルスを肴に一杯やりたい気分だったが、あいにくとそんな欲求は叶わない。ガチャリと備え付けの棚の中を漁ってみるが、入っていたのは非常食の乾パンだけだった。それも埃をかぶった。


 はぁとため息を吐いて机に戻るジルファは新しいタバコを取り出そうとしたが、あいにくと中身は空だった。大して美味くもないし、後味も最悪の安物だが、量だけはあるのでこうした憂鬱な仕事をこなす時にはよく吸っているが、いざなくなると寂しいものがある。口寂しいという表現が適切かもしれない。


 「酒舗行こ」


 思い立ったが吉日、席から立ち上がり、部屋を出ようとした矢先のことだ。どたどたと慌ただしくこちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきた。


 出鼻をくじかれもやもやとした気分を抱えながらも威厳を保つためにジルファは元来た道を戻り、席についた。ちょうどそのタイミングで扉がノックもなく開かれ、汗を垂らした様子の職員が入ってきた。彼は部屋に入った直後は両耳を塞いでいたが、すぐにアレっとあっけに取られたような表情をして部屋の左脇を見ると、遅れてジルファの前に頭を下げた。


 「ちぃ。なんだよ」

 「刃令ジルファ。緊急案件です。先ほど市内のプライスワード通り近辺の家屋一棟が全壊しました」


 「ぁあ?あー。そう。で?」


 事件は事件だが取り立てて騒ぐような内容でもない。少なくともジルファにまで届くような案件ではなかった。それをジルファに報告するということは、特別な何かが絡んでいることを意味する。それが聴きたくてジルファは入ってきた職員に続きを話すよう促した。


 「はい。目撃者の証言によりますと家屋を全壊させたのは黒髪の少女で、彼女は鴉に乗って消えた、とのことです」

 「鴉?なんだそりゃ」


 「また、全壊する直前にフードを被った五人組が家屋を訪れていた、という報告も上がっております。事件が起きた家屋は元々ムンゾ王国系住民のシェアハウスとして使われており」


 「いや、報告はそこまででいい。あとは書面で頼む」

 「わかりました。では私はこれで」


 あ、それとな、と出て行こうとする職員を呼び止めてジルファは空になったタバコの箱を彼に向けた。


 「同じ銘柄のを酒舗で買ってきてくれない?お金は出すから」


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