夜話
夜、与えられた部屋の中で一人、ワイングラスを傾けるシドは変わることのない星空を見つめていた。真実を言えば星空が変わることがないというのは嘘だ。季節によって見える星は違うし、一万も経てば以後一切見えなくなる星もある。
星の見方は時代と共に変わる。古い星座を廃して新しい星座に変えてしまったり、マイナーな地域の星座を歴史の影に埋もれさせたり、かつては吉兆の証だった星を凶兆の証にすり替えたりなどだ。星に与えた名前もいつかは忘れ去られ、どこの馬の骨とも知れないあんぽんたんが命名権を得たりする。
昔は自分達の周りを回っていると考えられていた星々が実は太陽の周りを回っていたんだと判明したり、惑星だと思っていたものが実は惑星に満たない準惑星だったとわかったり、彗星の尾には毒がないと解析されたりととかく星々についての話題は尽きない。尽きないのはただ新しい話題が上がってくるわけではない。忘れ去られた話題がふっと湧いて出てくることもあれば、話題が忘れられてしまうこともあるのだ。
同じことが人の営みにも言える。かつては一世を風靡した芸やネタが十年どころか五年も経てば通じなくなることがある。昔はこう習ったけど、今は全く違うことを言っている。呼び方が不適切だと言われて直されることも多々ある。何がなんて言わないが、忘れられたり、修正されたり、新たな事柄が判明したりというのはよくあることだ。
——ヒトの営みとは星の辿る運命そのものである。ヒトとヒトの触れ合いは星々の衝突である。すなわちすべてのヒトは星である。
ヒトは未来がわからないから、過去を踏まえて予想することしかできない。古い人々はその術を遥かな天空の星々に求め、星々から教えてもらおうとした。他ならぬ自分達の片割れに救いを求めたのだ。今となっては実に無為、実に無謀とも言える行動だ。自分の未来を自分の分身が知るわけないだろう。
けれどヒトは未来を求めた。未来の未知を既知としたかった。自分の求める未来を得たいと願った。ある種の傲慢、あるいは愚行とも言える恥ずべき行為だ。
それもまたヒトの歴史、ヒトの営みである。
「だから乾杯だ。乾杯だ。愚かしい未来に、愚かしい俺の未来に」
ワイングラスの中身を飲み干すと、ひどく血生臭い後味が舌の上に残った。星になんて祈るからこんなまずい酒になるんだろうと考え、もう一杯注ごうとした矢先、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。開いているぞ、と返すとああ、という低い声と共に数メートルはあろう巨躯の鋼の怪物が入ってきた。
身長換算3メートル以上、肩幅は扉よりも広く、アルマジロを思わせる鉤爪が生えた左右の鉄腕は見るものに恐怖心を与え、トカゲとも亀とも形容できる太い両足にも同じような太い爪が生えていた。鋼の怪物と称したがそのその表現は妥当ではない。彼を示す正しい言葉は鋼の竜、あるいはロボットが適切だろう。
背中に翻るマントは戦闘時は翼となって大空を舞う補助具となり、両腕の爪は折りたたまれてビームカノンのための銃口となる。リザードマン型のロボット、それが鉄竜の師父ディコマンダーである。
彼の来訪はシドにとって予想外のことで、目を丸くした。てっきりグリームヴィルゲットが来たのかと思っていた。その表情を見れただけでも満足なのか、ディコマンダーは鼻で笑った。無論、機械生命体である彼に鼻はないが。
「少しいいか?」
「そりゃ、もちろん。どうしたよ」
「ああ、ちょっと話したいことがあってな」
シドは空いている席を薦めたが、ディコマンダーは断り、代わりに部屋の奥にあるベッドに座った。彼の重さでベッドが曲がったが、シドは気にしなかった。それよりも脳裏でなぜディコマンダーが訪れたかを考えていた。
「シオンに話したこと、あれは本当にやるのか?」
「ああ。そのための手札もいくつかある。少なくとも衛星三国を潰すことは可能だと思う」
「それだけか?俺に言わせれば戦力分析がなってないな。アダール、ゼルピス、イムガムシャ。どれも強国だ。それを簡単に倒せるって?」
「まーそうだな」
シドの言い分は決して嘘ではない。現在の彼が使える戦力、そして衛星三国の持つすべての戦力を比べた時、勝てる要素がある、とシドは結論づけた。イムガムシャに対しては兵の質で、ゼルピスに対しては知謀で、アダールに対しては純粋な兵力で勝てる。少なくともシドはそう判断し、シオンにその旨を伝えた。
しかしディコマンダーは彼の予想を否定した。他ならぬこれまでシドに連れ回され、160年以上の長きにわたって付き合ってきた同士である彼はシドの考えを机上の空論となじったのだ。
「理由を聞かせてくれないか?俺が失敗する、という根拠を」
「ああ、無論だ。お前の——」
語られた理由にシドは目を細めた。その金色の瞳に影が落ち、聞き終わった後にシドは「なるほどな」とこぼした。それは彼が自らの非を認めたという証左に他ならなかった。そうでもなければシドはおそらく一度笑ってから「なるほどな」と言うだろう。
ディコマンダーの指摘に対してシドは真摯に向き合った。他ならぬプレイヤー同士ということもあって、シオンに悪巧みを持ちかけた時以上に真面目な面持ちで考え込むそぶりを見せた。
「可能性としては高いな。指輪王なら有り得なくもない」
「俺達が知っている指輪王は二人だ。レイドボスとしての指輪王と神話に、つまりフレーバーテキストとしての指輪王だ。お前が言っているのは後者か?」
そうだ、とシドは返した。
この世界がゲームの世界であり、フレーバーテキストの通りに指輪王が行動する、思考するとわかっているならばディコマンダーの指摘は最もだ。指輪王の神話、かつてはただの細工神にすぎなかった彼がいかにして二代冥王になったかを語り、その覇道を突き進めたかという神話を読めば、ディコマンダーの言う通りに指輪王は動く可能性が高い。
狡知という言葉はこの世界では指輪王にこそ相応しい。初代冥王は悪辣なロマンチストという評価が相応しいが、指輪王は猜疑心のある激情家という印象が強い。
「もし、指輪王が攻め込まれるリスクを考えるなら、対策として動く可能性は高いか」
「さぁ?俺にはわからんな。なんなら界国までひとっ飛びして見てこようか?」
フェイとかに任せるよか信頼できるだろ、とディコマンダーは提案するが、シドは即座に首を横に振った。160年前なら「じゃぁそれで」と言えたが、今のシド達には一個の命しかない。下手に強駒を動かすのは躊躇われた。
「——わかった。修正しよう。ディコマンダー、悪いんだけどこれから一ヶ月やるから衛星三国についての情報をできるだけ集めてくれ」
「あいさ、了解!いやー懐かしいなぁこの臨場感!大規模攻略とかする前はいっつも俺とかトロヴァの旦那で地図作成とか地形効果の把握に勤しんだっけなぁ」
「トロヴァは今ここにいないからなー。ああ、そういえばあいつからの手紙はないな」
「死んでんじゃね?」
そりゃねーよ、とシドは「王の標」というマジックアイテムを取り出し、光点の一つをタップした。
「Unloggedじゃないだろ?だからきっと今も世界のどこかで生きてるんだろうぜ」
「久しぶりに見るな、そのアイテム。最後に見たのはいつだったっけ?」
さぁな、とシドは返した。ディコマンダーの立っている位置からではその時のシドの素顔を覗き見ることはできなかった。
「王の標」はレギオンマスターにのみ与えられる特殊アイテムだ。このアイテムによってシドはレギオンの名簿に登録されているすべてのプレイヤーのゲーム参加状態、つまりログイン状態かログアウト状態かを把握できる。そしてこの世界、「大切断」後の「SoleiU Project」においてログアウト状態というのは真実、生死不明ということだ。
ログアウト状態ならば「Unlogged」と表記され、光点は赤くなる。表示される文字も赤だ。そしてちらりとディコマンダーが盗み見た「王の標」に写っていた光点は半分以上が赤だった。
*
ディコマンダー)レベル147。種族、上古遺物竜。好きなもの、飛行、変形。嫌いなもの、特になし、強いて言うなら非道。
ヤシュニナ氏令国の師父の一人。シドの副官ではなく、ファム・ファレルの副官。大長城に出向中で、たまたまシドに同道した。彼の種族、上古遺物竜は変形能力を有しており、飛行形態になればマッハ4.8という驚異的な超速度で移動が可能。空中戦において彼を凌駕する存在は少ない。自称、飛行種最速。




