第七管制区
「統一戦争」。
三年前の戦いを後世の人々はそう呼んだ。かつては「あの戦い」、「あの戦」、「あの大戦」と特定の名前を付けられずに呼ばれていた戦争に名前が付くと言うのは歴史にその出来事が刻まれた証である。歴史に刻まれるほど重要な出来事だと後世の人々が認め、判断したというのはその当時を生きた人々にとって己の行動が刻まれたことと同義である。
歴史とは重く、国家、民族、宗教、文化の要である。歴史なき国家に正当性はなく、歴史なき民族は烏合に過ぎず、歴史なき宗教はカルトに過ぎず、歴史なき文化は略奪の証左である。ならばこそ人は自分達の正当性を誇示するために歴史書を記し、自らが自らの信じる存在に属する、ある種のアイデンディティを確立させるのだ。
それは文字を持つ文明に限らない。文字によらずとも装飾品や建築、絵画などで自分達の正当性を残すことは可能で、かつて地上に在った多くの文明はそのようにして後世に自分達の存在を匂わせ、爪痕を残してきた。
とかく史に残るのは偉業であったり、残酷な事件、出来事であったりがほとんどだ。何々国の王に誰々がなった、とか、丸々という人がほにゃららを開発した、とかだ。その時点、その当時、ただの点として見た場合にとりわけ輝いている点、それが歴史的偉業、事件、あるいは出来事だ。
では常態化している事件、出来事というのは歴史に残るのか?
例えば盗難、例えば暴行、例えば虐待。一世を風靡するようなセンセーショナルさもなければ、後世に再評価されるような学術的価値もないそんな不毛な事件、出来事は役所の記録室にはあるだろうが、10年、20年もすれば破棄されて誰の目にも止まらなくなる。人の生き死にがかかっていようと、ただ邪魔だからという理由だけで破棄されるのだ。
いつも起こっているようなことに人は見向きしないし、思いを馳せたりもしない。ただ当事者達の記憶にだけは残り、彼らが死ねばその秘めたる記憶はなくなり、伝承者はいなくなる。
つまり、大長城で日夜繰り広げられている戦いとはそういう戦いだ。毎日どこかで誰かが死に、誰かが泣く戦場、彼らの死は数字として処理され、おそらく後世には「帝国の西部から侵略してくる夷狄と戦った」くらいしか教科書に書かれないだろう。
かつての中国の万里の長城、あるいは神聖ローマ帝国のウィーン城壁、日夜侵入してくる夷狄との戦いは歴史で表すには膨大すぎて、簡素な一文によってまとめられる。人の記憶にはその一文だけが鮮明に残り、そこで誰が死に、誰が生きたかなどはどうでもよくなる。
——事実、どうでもいいのだ。
「大長城の稼働率は最盛期の50パーセントほどです。帝国軍が抜けた穴をずぶの素人で埋めているわけですから、当然ですが」
先頭を歩く鼬人の士官の言葉にシドは周りへ視線を向けた。
言われる前から気づいていたことではあったが、実際の担当者に面と向かって言われると状況のひどさがより克明に感じられた。
第七管制区の玄関口に到着してから周囲を観察していたが、周りを見ればいつもどこかしらで事故、事件が起きていた。槍立てが倒れて槍が折れた現場に出くわしたり、先端が折れてる矢が矢筒の中から見つかったり、鎧が錆びていたりというのはまだかわいい方だ。
大長城それ自体は複雑なからくり、もとい機械であり、跳ね橋やエレベーター、果ては大型のゴンドラだったりが内部では稼働している。市井に出ればその生活を一変させるような数々の発明品、それをすべて軍事に注力した帝国の縮図とも言える。
問題となっているのはそのメンテナンスだ。
帝国軍人は優れた専業戦士にであったと同時に高い築城、陣地作成能力を持った工兵でもあった。さらにその中にはより特化した工兵もおり、彼らによってこの大長城、もとい城塞都市のあらゆる機械類はメンテナンスがなされていた。
ヤシュニナが高速船の開発技術で帝国を上回るように、帝国は大型船の建造技術でヤシュニナを大きくリードしている。同じようにヤシュニナが細かな宝飾技術、それを可能とする研磨機の作成を生業としているように、大型機械の生産、製造は帝国の得意分野だ。
例えばネジ一本取って見ても、そもそもヤシュニナにはネジという概念がないのに対して、帝国にはそれがある。なんでもかんでも釘どめ、接着のヤシュニナとは違った製造の理があるということだ。
「ネジっていうのはいいもんですねー。これはうちでも導入すべきですかねー」
前を歩く鼬人の士官は気の抜けた声音でそんなことを言うが、心のうちでは実用化したいなと思っていることだろうとシドは推測した。技術士官の腕章を付けていたから、というのもあるが、何よりも彼の目が対抗心で燃えていた。表面上は取り繕っているが、内心では悔しくて悔しくてたまらないのだろう。
鼬人の言う通り、帝国内の技術には目を見張るものが多くある。それは造船技術やエレベーターの技術もさることながら、人間という「SoleIU Project」内においてステータス的に劣っている種がより高度な技術を追い求めた証左として工具や固着具の類は強度、大きさ共に驚きの水準だ。
「——蒸気機関でも発明すれば、すぐさま産業革命だな」
「蒸気ってなんですか、先生!」
「すごい技術ってことですよ、殿下」
脇を歩くグリームヴィルゲットの問いをシドは適当にあしらった。他ならぬ外の世界、現実世界の歴史をこの「ヴァース」の住人が知るべきではない。まして他国の王族ともなればなおさらだ。
カンカンドンカンと男の汗と血潮が立ちこめる命の鉄火場に来てもグリームヴィルゲットはグリームヴィルゲットだ。出立だけはシドに言われて男装だが、それ以外の性格面はまるで変わらない。ジロリと周りの男衆が咎めるような目を向けるが、彼女は無視して物珍しいそうにピストンやワイヤーを見物していた。
「あまり好き放題されるのも困るんですが?」
「少府チュコラ、すまない。だが決して君達の仕事を邪魔しようという意図はないんだ」
「総督がお連れになった方ですので心配はしておりません。ただそれはあくまでも事情を知っているもののみの話でして」
他は違う、とチュコラと呼ばれた鼬人は気まずそうに作業に従事している兵士達を覗き込むグリームヴィルゲットを見た。はっきり言えば部外者、それも自国の人間とは明らかに容貌が違うよくわからない女が仕事場に突然入ってくれば誰だって警戒する。
いや、ただ警戒するだけならいい。中には邪魔だ、と言って手を上げる人間がいるかもしれない。特に新米兵士ならば尚更だ。
「少府チュコラの懸念はもっともだな。——殿下、その辺りで。あまりにもおいたが過ぎますと、ガンドレッド男爵の元へ送還しますよ?」
ガンドレッド男爵、グリームヴィルゲットの執事としてロサ公国からやってきた老男爵の名前を出され、彼女は静止した。そして回れ右をしてシドの元まで戻ってくると、借りてきた猫のようにおとなしく彼の後ろに立った。
「危険が多い現場なのです。どうかご自重ください」
「それはそうですが。ではあとで先生があれらの機能について教えてください!すごく気になります!」
あとで担当の人間に言っておきます、とだけシドは返した。無論、彼自身が説明するよりも専門家に任せた方が有意義だからだ。
シドが教えるのではないと聞かされ、グリームヴィルゲットは不満げに口をへの字に曲げる。むくれた彼女を見てシドは思わず肩をすくめた。まさか自分のことを万能の超人だとでも思っていたのだろうか。仕組みは説明できてもどうやってそういう働きをしているのかをシドは知らない。下手なことを言うよりも専門家に任せた方がいい、という彼の心情をグリームヴィルゲットは解さなかったようだ。
その後、両者の間にはわずかながらの会話があったが、それは世間話がほとんどでこれと言って特筆すべきことではなかった。二人が会話を続ける中、一行はとある部屋の前で止まった。
「ご足労いただきありがとうございます。軍令シオンはこちらでお待ちです」
チュコラはそう言って、装飾もない鉄扉を開いた。




