そして現代へ
ヤシュニナ歴154年12月21日、ヤシュニナの首都ロデッカの地下ドックへ通じる階段をシドは降りていく。ふと隣を見やると何もない。つい1世紀半前に連れ添った相方の影がないというのはいつになっても慣れないもので、どうしても物悲しさと寂しさを感じてしまう。ただ影が落ちないだけでこうも世界の色というのは違うのか。
灰色ならぬモノクロの世界、それは例えるなら白黒映画が出る前の無声映画を見ているような気分にさせる視覚以外に頼るものがない世界だ。音もなく、無味乾燥、触覚は鈍化して、鼻はつまって働かない。そんな世界に一滴、彩りを垂らすだけで極彩色の美しい世界が見れるなら、その一滴を人は求めるだろう。
その一滴は例えるなら、寄生先だ。すなわち宿主だ。
Noteという少女はシドにとって宿主だった。親友以上の存在であり、彼女がいたからこそ色々とバカなことができたし、傲岸不遜で支離滅裂、とにかく不真面目な日常を過ごすことができた。そんなかけがえのない宿主はもういない。直接シドが手にかけたというわけではないが、彼と彼の仲間の無力さが彼女を殺したのだ。
宿主を失った寄生虫は遠からず死ぬか、新たな宿主を見つけようとする。シドは後者を選んだ。宿主あっての寄生虫、シドのような人間は生涯誰かに寄生し続けなければ生きられない。
それがヤシュニナ、それがNoteの系譜だ。身も心もすり減らして、めいいっぱい「足長おじさん」を演じて国をここまで大きくし、今シドは新たな武力を手に入れようとしていた。
階段を降り切り、眼下を覗きシドはほくそ笑む。地下の秘密ドックに隠された巨船は一年近く前に訪れた時よりも完成度は増していて、その威容は「冥府眼」を使わずとも伝わってきた。
シドが降りてきたことを察して、船上で作業員達に指示を出していた男が会釈をしながら近づいてきた。その男は作業用のつなぎの上にさらにフード付きの雨かっぱを羽織り、ガスマスクまで付けた異様なファッションをしていた。
「ドアマン。進捗はどうだ?」
「順調だ。『炉』の運転もこれといった支障なく進んでいる。外装の耐熱性も申し分ない。今すぐにでも実戦配備できるくらいだ」
ガスマスクを取り、のっぺらぼうの素顔を晒してドアマンはニカリと笑う。いいね、とシドは笑い返した。しかしそんな悪役のような笑みを浮かべる二人めがけてギュンと空気を切り裂く音を発しながら、レンチがすっ飛んできた。ドアマンは当然避けたが、彼の隣に立っていたシドは気づくのに一瞬遅れ、盛大にレンチの一撃を受けて吹っ飛んだ。
「なーにが、今すぐにでも実験配備できるだ、バカ野郎!『炉』が動いても他が調整できてなきゃ意味ねーんだよ!」
そう言ってわかったかー、とシドの胸ぐらを掴んでジヴォガヴォはギャンギャンと抗議する。はい、はい、と白目と涙目を忙しなく行き来しり回されるシドを覗き見ながら、間一髪でレンチを躱したドアマンは、しかし白夜炎上の座布団になっていた。
彼らが取り組んでいる巨船はまさしく、新時代の兵器だ。既存の軍事常識はこの一隻によって覆り、多くがその威容の前にひれ伏すことになるだろう。だが、その運用コストは膨大、各種細かな調整も済んでいるとは言えない。事実、ヤシュニナ国内が戦果に見舞われている時、この船は遠洋航海に出ていて、その時もさまざまなトラブルに見舞われた。
全体を覆う表面の特殊耐熱装甲は元より、シルディオンの不足のせいで魔法回路もてんで足りない。「炉」が持つ熱を外部へ放出する放熱機を正常稼働させるためにシルディオンをはじめとした軽量金属や導体を多く使ってしまっているために、それ以外の空調や換気、果ては内部冷却の機関まで今は取り外しているくらいだ。
「ま、まぁ。東岸部三国との取引は順調に進んでるから、遠からずシルディオン不足は改善されると思うけど」
「それだけじゃぁねぇんだよ、馬鹿野郎、このファッキンアンバサダー!!一度、中入ってみろ!サウナだぞ、サウナ!バーニャかってんだ!」
「バーニャカウダー?」
「言ってねェ!!とにかく!シルディオン増やしたからって冷却機械がわんさか取り付けられるってわけじゃぁねぇんだぞ!」
悲痛な叫びをジヴォガヴォはもらす。かつて、シドによって焼きだるまにされたことがよほどショックなのか、トラウマなのか、あそこは地獄だー、と咽び泣く有様だ。
そんなジヴォガヴォの悲痛な叫びを慮ってか、隣で耳を傾けていた白夜炎上も愚痴をこぼした。ドアマンやジヴォガヴォ同様につなぎを着ているが、彼だけは背中に異形のガントレットを背負っていた。
「俺からも言わせてもらうが、シルディオンの配線を見直す必要があるな。ここで座布団になっているのっぺらぼうにもう一回図面を引かせろ。俺の見立てではもうちと効率化できると思うぞ?」
「えー、それってつまり今できているものの装甲をひっぺがすってこと?」
「そうとも言える。実際、艦長を務めてたヴィーカさんがそうするべきだと主張しているんだ。予算はかかるだろうが、まぁ兵器開発などそういうものじゃないか?」
うーんとシドは気の良い返事を返さなかった。彼が主導して進めている新兵器開発計画は今でこそ国家プロジェクトだが、それ以前はシドや計画の賛同者の投資によって予算を賄ってきた。その額は過日の氏令会議で認可された予算額を大幅に超える。再度予算申請をすれば、この計画を以前から大規模な資金を運用して進めていたことが明るみになり、最悪は横領をしていたとか、国家反逆とかに持っていかれかねない。
以前ならば派閥の力でどうとでもできたが、今は違う。東岸部統一戦争と俗にあだ名される大戦の終結により、ヤシュニナは新たに海外領土を得た。その総督に任命されたシドは国家の支配が弱くなるという理由から、氏令職を返上し、今は界別の総督という役職に就いている。当然ながら彼の派閥は解散し、今のシドは表向きには氏令会議になんら影響力を持っていない。会議内での決め事や議案やらを知ることはできても、口出しできない立場にいるのだ。
「以前だったら、いくらでも予算なんて持ってこれたけど、シオンのバカが国家プロジェクトとして認可させちまったからなぁ」
「お前の視点ではやっぱりあれは愚行か?」
「秘匿性って意味じゃぁね。国家産業のさらなる隆盛とかぐらいにとどめておけば良かったんだよ。国の枠組みに収まるっていうのは自由でいられなくなるってことだからな」
「利ザヤも稼ぎづらくなる、と?」
そーゆーこと、とシドはドアマンの問いに頷いた。投資額を埋め合わせるために新兵器開発で培ったノウハウなどを投資額以上の利益を得るため、でヤシュニナの主幹産業を扱う商社に技術供与を行い、より多くの資金を確保するという手段を取ったのは決して一回や二回ではない。他にもヤシュニナ国内の非正規銀行に裏融資という形で金銭を回し、差額で儲けて資金に転用したりもした。結果として投資額以上の資金を確保し今にいたる。その金額の全体像はシドも把握していない。
言うなれば新兵器開発計画はシドをはじめとしたヤシュニナ内の一部勢力がお小遣い稼ぎをするための隠れ蓑でもあったのだ。それが国家の管理下に置かれるということは役人にワイロでも送らない限り、先に述べたような汚れた資金運用が見過ごされないということでもある。
「いいことだろう。シドさんはともかく、こうして真っ当な兵器開発ができるのだから」
「いや、兵器開発はしてましたやん!ただ、資金集めの方法がグレーだったってだけで」
「ブラックだろ。#000だろ。なぁ、シド。色々あったが、とにかくこの兵器はあと少しで完成する。資金云々、資材云々は端に置いてな。そのあとは例の計画通りに進めるのか?」
うつ伏せ座布団状態のドアマンは真面目な面持ちで頭から血を流すシドにこの先の展望を問うた。シドは瞑目し、ああ、と答える。それこそがこの計画を始めた理由、シドが自分の目的を叶えるための第一歩なのだから。
「界国を潰す。それが今の俺がすべきことだ」
「じゃぁまずはイムガムシャか。面倒だぞ、あそこは」
「そのためのこいつだ。そのための戦舟だ」
上古の時代、かつてエルフと神龍の時代において人間のとある国家があった。その国は17人の偉大なる皇帝を輩出した強大な国家であり、その雷名は「ヴァース」全域に伝わった。シド達が今、復活させようとしているのはその国家の遺産である。
「想像してみろ、このスケールの巨船が大空を覆い尽くす光景を!いや、もっと大きな舟にだってなるぞ、これは!海の時代の終焉、陸の時代ははるか彼方と化す。すなわち、大航空時代の幕開けだ!」
人は陸を制し、海を征き、はるかな空にまで手を伸ばそうとする。この星が所狭しと感じるほどに人の欲望は際限なく肥大化していく。
その中心点にシドはいた。この世界を支配したいとか、世界の常識を書き換えたいとか、世界を作り直したいなんて欲望などサラサラない無邪気な悪童こそが人の欲望、かつて冥王バゥグリアや指輪王アゥレンディルでさえ慄き、驚嘆いした無限の欲望の中心点にシドは立っていた。
空をのぞみ、果ては宇宙にだって彼は手を伸ばす。そんな好奇心と欲望の塊のような少年は無邪気に笑顔を浮かべ、真っ暗闇の天井に手を伸ばした。
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第四章、これにて終了です。ここまでご愛読いただきまことにありがとうございます。
今章はかなりメタ的な、ゲーム的な要素を多く取り込んだ話になりました。レイドとか周回とか日常では決して使わないような単語のオンパレードだったと思います。特に今回では度々取り上げましたが「SoleiU Project」はゲームの世界であることが強調されたのではと思います。
普通は死んだら終わりですし、飽きたからやめようと言って人生が止められるわけもない。今章の敵役だった「ハンドレッド」の面々やエスティーなどはゲームに限らず末期のプレイヤーという意味で当時のプレイヤー達の状態を知ることができたかな、と思います。ハンドレッドの面々は例えるなら、炎上覚悟で荒らし行為をしてやろう、という害悪プレイヤー、エスティーはレート対戦に疲れた戦闘狂といった具合で書かせていただきました。
次回からは第五章に突入します。第五章では本編でもちょろちょろと名前が上がっていた界国との全面戦争へ突入していきます。かつてない強敵、それこそ帝国戦は終盤は個々人の技量差で押し勝つシーンがいくつもありましたが、ここから先はそうはいきません。なにせ指輪王は現在の「ヴァース」で最強の存在ですし、その配下も強者ぞろい。はっきり言って、現在の戦力では太刀打ちなどできないでしょう。
第五章は作中時間から実に三年後、ヤシュニナ歴157年が舞台となります。新たな味方、新たな敵。そして絶対に第三章以上のボリュームになると思いますので、ご期待ください。第四章に登場したキャラクターも多数登場予定です。また、これまでは過去編でしか出てこなかった「七咎雑技団」以外のレギオンに属するメンツも登場します。




