ショット
わずかな静寂が走った。その静寂はひどく不愉快で、まるで夏場の雨天後に吹く生暖かい風が運ぶ汚臭のような陰鬱さを感じさせた。
「一泡吹かせる?お前、それマジで言ってんのか?」
たかがインレで、とシドは言外に付け加える。インレは確かに強力なモンスターだ。レイドランクのレイドボスとしては上位に位置するだろうし、それが五体となれば確かに強力な戦力だろう。だが結果はどうだ。七咎雑技団の集中巧撃を受け、すべてのインレは討伐された。
同時にハンドレッドの主だった面々もシドやエスティーによって排除された。どこで復活しているかは知らないが、少なくともすぐに戦線に復帰できない程度には遠い場所にリスポーン地点を設定したに違いない。
つまりハンドレッドの元からの戦力は大したことはなかった。それをインレで補おうとしたが、そのインレも七咎雑技団の敵ではなかった。一泡吹かせるも何もない。砂上の楼閣も甚だしい。そんな目的とすら言えない自分勝手なエゴでああも暴れられてはたまったものではない。
「憤っているなら、十二分に目的は達成されたわけだ。うん。実にいい」
「俺はともかく、レギオンメイトの何人かは憤っているだろうな。もちろん、Noteも。で、そんなつまんない目的のためにわざわざインレを目覚めさせて、お前はこれからどうする?」
「おいおい。何を言っているんだ?ちゃんと映像を見ていたか?俺にはまだインレが残っているんだぜ?」
ドアマンの言葉にぎょっとしてNoteはさっきまで写されていた映像を思い返す。ドアマンが地下坑道で卵を見つけた時、確か卵は六つあった。対して孵ったインレは五体。数が合わない。孵化の過程で潰れたでもなければ、ドアマンはまだインレを一体、確保しているということになる。
それを彼がどこで放つかによって状況は変わってくる。市街で放つか、それとも市民達の避難先で放つか。どこで放つのが一番効果的か。ドアマンにはこの話題を切り出した時点でわかっているはずだ。
緊張から表情が強張るNoteに対して、シドは少しだけ呆れた様子で盛大にため息をついた。
「いや、お前持ってないだろ。あるにしても卵だろ」
「あ、バレた?そうとも、ないとも。あったら、今頃は市民らめがけて放ってるし、そもそもアレは俺が支配できるような代物じゃぁない」
ケロッとした様子でドアマンは肩をすくめた。緊張感のない二人のやりとりにさっきまで身構えていたNoteはズルッと前のめりに倒れそうになった。
「特大な嘘もバレたし、結局当のレギオンマスター様は一泡吹かせた感じもしない。俺のせっかくのギャグは不発か」
「随分とあっさり手を引くんだな」
「こちらとしてはもう少し粘りたかったが、事情が変わった。ハンドレッドの連中も満足しただろうしな」
「満足?」
「ああ。連中は悪性レギオンであり、同時にプレイヤーだ。戦いたかったんだよ、七咎雑技団と」
さらりとドアマンはこぼすが、つまり今回の事件は悪性レギオンの残党が起こした手前勝手な抗争ということだ。それが数百数千の犠牲を生んだ事実にNoteは憤りを覚え、殴りかかりたくなった。
「そういうわけだ。俺はここでおさらばさせてもらうよ。それじゃあ」
身を翻し、ドアマンは暗がりの中へと消えていこうとした。Noteがその後ろ姿を憎々しげに見つめていると、不意にシドが一歩踏み出し、ドアマンめがけて雷撃を放った。彼が放った魔法は直前で外れ、近くの壁に命中した。
「なんだ、シド。もう話せることはなーにもないんだが?」
「いやいや。まだ聞いてないことあるだろ。お前が持ってる卵、どこにある?」
一瞬、ドアマンの表情が固まった。それまでは余裕綽々としていた彼が始めて真顔になった気がした。もっとも、例によって例の如く表情なんてわからないのだが。
「まったく、だから七咎雑技団でなくアルブスリープあたりを狙おうと言ったんだ。七咎のレギオンマスターは聡すぎる」
直後、ドアマンは杖を振りかぶり、白雷を放った。シドの周りを囲む剣によってそれは防がれ、お返しとばかりにシドは紅蓮の刃は飛ばす。
魔法の応酬を皮切りにドアマンが抑えていた魔力が解放され、無数の紫色の炎がシドめがけて降り注いだ。それは彼が手に持っていたランタンの炎と同じ色だった。
「面倒だな」
ぐるりと杖を回し、シドは空間を捻る。捻じられ、歪んだ空間の表層にドアマンの炎は吸い込まれ、直後、それは彼めがけて跳ね返された。
「反射魔法か」
「いーや、空間支配の応用さ。混沌属性のなぁ!!」
通常、シドのようなエレメンタラーないしエレメンタリストは単一の属性に特化していて、ウィザードのような多種多様な魔法の行使が困難になる。シドでいえば厄災属性に特化したため、それに至る過程で収めた属性魔法は十全に使えても、それ以外の属性魔法はてんで使えないのだ。
その理由が概念属性の習得過程にある。厄災属性に限らず、すべての概念属性は習得のために二種類の上位属性を習得する必要がある。厄災であればその上位属性とは「霧」と「乱」である。ここで重要なのが上位属性はどれだけキャラクタービルドを頑張っても最大四つまでしか習得できず、概念属性は一つまでしか習得できないという制約だ。ただし、ここで言う習得とは十全に使える、言うなれば実践レベルで使えるという意味であるため、詠唱さえちゃんとしていれば使えるには使える。
そのシドが混沌属性を、厄災属性と並ぶ概念属性を実践レベルで使えている理由は彼が持つ六本の剣の一つにある。智公の剣と呼ばれるその剣は極めて特殊な固有能力を有しており、それは習得している概念属性と隣接する概念属性を取得できるというものだ。
厄災属性を構成する上位属性は「霧」と「乱」だが、この二つはそれぞれ「霧」が混沌を、「乱」が戦争の概念属性を構成する上位属性でもある。つまり、ファラムサングを保有している限り、シドは外付けではあるが、三種類の概念属性を使えることになる。他にもいくつか、概念属性を複数使う手段はあるが、彼にとって一番楽な方法がこれだっただけのことだ。
それゆえに彼は渡り合えるのだ。同レベル帯の強者達と。
「は。なるほど。だがそんなに早々とネタバラシをしていいのか?確かに俺は補助寄りだが、お前ほど中途半端なキャラクタービルドはしてねぇぞ?」
それは事実だ。シドが概念属性を三つも使えるイレギュラー的存在とはいえ、所詮彼の魔法使いとしての技量はレベル130後半止まり、よくてドアマンと対等で拮抗こそするが、凌駕は望めない。加えて、彼の固有武器「テアルカストーシャ・デフューツェ」は元々厄災属性を扱うのに適した杖だ。その点で言えば、杖が持つ強化機能は厄災属性以外の概念属性には付与されない。
だが、Noteは知っている。シドの切れるカードがなにも三種類の概念属性ではないことを。そして彼の最も恐ろしい点はその魔法であることを。
両者は杖を槍のように持ち、殴り合いを始めた。その都度、シドとドアマンは間髪入れずに魔法を放つ。厄災のオーラを放つシドに対して対策しているとばかりにドアマンは解呪を行う。よほどの知見でなければできない素早い判断だ。たまらず笑顔を浮かべるシドは紅雷を放射状に放ち、同時に自分もドアマンめがけて杖で殴り込みをかけた。
魔法使い同士の戦闘、それが指し示すところはただの魔法の撃ち合いではない。この「SoleiU Project」において最も今ポピュラーな戦闘スタイルは「殴り魔法」である。つまり、魔法使いが敢えて接近することで相手に圧をかけ、対応する手を遅らせようというアグレッシブなインファイタースタイルである。
そのため、シドもここ十数年で自身のキャラクタービルドを順次環境に合わせて調整し、今の高い近接格闘能力を得るに至った。いわば彼の剣技を兼ね備えたスタイルは「殴り魔法」スタイルを先鋭化させたものだと言える。「殴り魔法」スタイルが元々魔法使い相手のための戦闘スタイルだったこと考えれば、いかにシドが剣士や槍使いといった前衛職よりも魔法使いを恐れていたかが伝わってくる。
「ちぃ、けどなぁ!!」
打突を避け、身を翻したシドは宙に浮遊する剣達を重ね合わせ、放たれたドアマンの紫の炎を防いだ。シドの打撃をいくばくか食らってもドアマンは平然と立ち上がり、さらには反撃する元気まで見せている。
それは彼が補助役だからだ、とNoteは読んだ。
補助役、いわゆる回復やバフなどを施すことに特化した魔法使いは総じて打たれ強い。普通の魔法使いが攻撃ばかりで防御は障壁だよりであるのに対し、補助役は自己回復だけではなく、一定以上のダメージを無効化したり、敵の攻撃を弱体化させたりなど器用な立ち回りができる。シドがどれだけ打ち込もうと、それを上回る回復力で立ち上がられてはどうすることもできない。
加えて、ドアマンの種族は「名もなき者」だ。すべてのステータスが高精度の彼ならば、補助役でも一線級の実力を出せる。それこそ下手な同レベル帯のウィザードやエレメンタラーよりも彼の方が総合力で優っていてもおかしくはない。
「ったく。だから補助役と戦うのは面倒なんだ」
自力での回復手段を持たないシドは回復薬をがぶ飲みして体力を回復させるしかない。しかしそれを許すほどドアマンもお人好しでもなければ、優しい人物なわけもない。
シドが障壁を張り、懐に手を伸ばしたタイミングで鋭い一撃が障壁を貫き、シドの右手を貫いた。貫通魔法。透属性の一撃を受けシドは舌打ちをこぼした。無詠唱だったために威力は落ちるが、右手が動かしづらくなり、戦闘力は半減したと言ってもいい。
「本当にやりにくい」
「どうした?まだやれるだろう?」
「さぁ、てねぇ!」
杖を地面に叩きつけ、煙幕を作り出す。視界が煙で覆われ、前後すら不確実な中、シドの放った雷撃がすべてを貫いてドアマンに迫った瞬間をNoteは見落とさなかった。死角からの一撃、それを躱せるわけがない。雷撃はドアマンを貫き、その刹那お返しとばかりに白雷がシドめがけて降り注いだ。防御などしていないところへ完璧なカウンターが入ったのだ。
「ぐぅ」
「しぃ!!」
「雷よ……以下省略」
いち早く立て直したのはシドだった。放たれたのは強化された雷撃、平時ならば広範囲にわたって用いる魔法を出力を絞って放出したのだ。真正面から受けても大したダメージにはならない。牽制目的であることは明白だ。その隙にシドは瞬時に防御障壁を張り直し、回復薬を飲み込んだ。
体力が回復し、シドの右手の傷も塞がっていく。回復薬は決して即効性のあるものではない。1秒おきに数%の間隔で回復していく代物だ。当座の一時凌ぎにはなるだろうが、それ以上は望めない。そして相手は補助役、ヒーラーでありバファーでありデバッファーだ。加えて種族優位を考えればドアマンに負がある。
だから、シドはこの隙を利用して手早くドアマンを仕留める必要があった。
「でも俺がそれをさせると!?幻想抱くなよ、シドぉ!!」
雷撃を受けてもなお、ドアマンは戦意を失うことはない。意気揚々と自分の周りに魔法の盾を出現させ、シドが放つであろう大技に対応する姿勢を見せた。
「ああ、一撃で終わらせてやるから覚悟しとけよ。貫け……以下省略」
シドも準備を整えたのか、蒼銀の光線が彼の杖先から放たれた。それは速く、鋭く、なによりまっすぐな一閃だった。放たれた光線を受けようとドアマンが繰り出した盾も障壁もすべてを貫いて彼の喉を貫き、なおその一撃は直進した。
突き進む一条の一閃は止まることを知らず、加速して加速して加速しつづける。それは焼くでもなく、刺すでもなく、ただひたすらに貫き続ける。壁も盾も城もそれを阻むことは許されない。
「貫徹魔法。俺の切り札だ。ありがたがって死にやがれ」
この世界の魔法は詠唱句によって構成される。詠唱の組み合わせにはかなりの自由度があり、同じ効果をもたらす魔法でも、別の詠唱句を使っていたりする。つまり自分好みの魔法を作れるということだ。その組み合わせの果てにシドが発見したのが、この貫徹魔法だ。その能力は絶対貫通。明確な対策をしなければ、あらゆる障壁は彼の前では無力と化す。
「く、ぐぁ、これは」
「まだ生きてんのかよ。しぶといなぁ」
「ぐぅ、まったくもって原理もわからん!詠唱句の糸口すら、わからない!は!面白いな、これは」
「じゃぁもっと喰らわしてやるよ」
無数の青い閃光がシドの杖先から光る。それは貫徹魔法の連射攻撃だった。防ぐ手立てもなく、次々と穴を開けられていくドアマンはなぜだろうか。不思議と喜びの笑顔に浸っていた。
*
シドの魔法
貫徹魔法は基本的に防御不可能の亜音速攻撃魔法である。専用の対策をしないと防御不可能であり、シドの切り札でもある。初見殺し性の強い魔法である性質上、シドは情報の流出を恐れて滅多に使わない。




