アンチャーティット・ヒストリー
圧倒。不足の事態が起ころうと適宜対処できているなら、圧倒と言って差し支えない。
各所でテオス・インレを相手に圧倒する七咎雑技団はまさしく、英雄的と言えた。その勇名に違わぬ圧倒的な実力によって彼らは再び目覚めた五体の巨獣を蹂躙した。
次々と断末魔をあげるテオス・インレ達の存在を把握しつつ、シドはやや低空を飛行して市内のあちこちに向かって目を向けた。無論、探し物を探すために。
すでに夜となり、該当ひとつない市内は暗闇の中にあった。しかし魔法使いであるシドにとっては散策する上でのハンデにはなり得ない。杖の先に明かりを灯しギュンギュンと建物の間を進み、大通りを過ぎ去っていくシドは携帯に写っている座標の地点に辿り着くと、Noteをともなって「ワイルドウィンド」を使って転移を行なった。
ギュンという空間の歪みと共にシドとNoteは見知った場所へ放り出された。その空間は湿気がひどく、蒸し暑い。空気を吸おうとすれば喉に餅がつっかえたような独特の息苦しさを感じる。それもそのはず、今シド達がいるのは紛れもなくリングベルトの地下なのだから。
より正確に言えば今日の昼頃、Noteが閉じ込められていた物置部屋のような部屋だ。その証拠にシドが近くの箱を漁ってみると、彼が仕掛けたアミュレットが入っていた。少しばかり物の位置が変わっているが、それはきっとNoteの脱出を知ったジヴォガヴォや白夜炎上といった悪性レギオンの連中が色々と荒らしていったからだろう。その証拠にいくつかの箱は壊されていた。
「とりあえずはちゃんと移れたか」
「ねぇ、シド君。すぐに飛べるんだったら、わざわざ座標の位置までくる必要なかったんじゃない?」
大して運動もしていないのに情事の後のように腰をさするNoteはアミュレットを回収するシドに怪訝そうに彼の行動の意図を聞いた。シドのスキル「ワイルドウィンド」はマーキングした場所に転移するスキルだ。わざわざビーコン代わりに置いてきたアミュレットと座標が重なるようにしなければならないなんて制約はない。
それでもシドがジヴォガヴォを倒してすぐにしきりに街の中を飛び回り始めたのには意味があるはずだ。普段は決して多用しない「冥府眼」を常時展開し続けてまで何かを探している仕草だったのは只事ではない。
「冥府眼」はいわゆる鑑定スキルの一種だ。鑑定スキルの中でも最上位に位置する希少なスキルで、その精度はアイテムの等級、キャラクターのステータス、体力、魔力といった基本的な情報を知るだけにとどまらず、使用頻度の高い技巧や魔法の種類まで知ることができる。使用の際は一定量の魔力を消費し、使い続ければその分だけ更に魔力が消えていく。
今は切っているだろうが、使い続ければ使い続けるほど魔法使いとしてはディスアドバンテージになるスキルを一時間近く使っていたというのは尋常ではない。なんの確証をつかんだのか、この物置部屋に戻ったということはこの近くに彼のお目当ての品があるということだ。それがシドがどうしても見つけなくてはいけない物であるという証拠に回復薬と魔力回復薬を併用して飲んでいるばかりか、魔力量を一時的に増幅させる特殊な薬をはじめ、複数の強化系薬品を飲んでいる姿を見ると、そのやる気具合が窺い知れる。
ひとしきりの薬を飲み終え、空になった瓶を近くの箱に捨ててシドは動きはじめた。Noteもそれに追従する。追従する以外にできることがなかった、と言えばそれまでだが、彼の思惑が気になっていたことも事実だ。
Noteの知るシドは決して他人を無謀な賭けに巻き込もうとはしない。少なくとも彼女はシドと何度となく喧嘩したことこそあれ、見捨てられたことはなかった。当然ながら死地に一緒に行ったことも。
そのシドがレイド攻略でもするかのような体勢で自分を連れていく。はっきり言って異常な事態だ。異常で、それでいて面白い事態だ。
「楽しそうだね、シド君」
「まぁね。これから会うやつにちょっとだけワクワクしてるんだ。そいつはひょっとしたら、すごいやつかもしれないからさ」
シドがすごいやつと言うなんて珍しいこともあるものだ。リドルかレーヴェ、もしくメリュクスにしか彼はそんな評価を下したことはない。ただトッププレイヤーだから、というわけではなく彼を感嘆させる何かを持っていたからこそ、最大の賛辞としてシドはすごいやつという評価をくだす。少なくともNoteはそう理解していた。
この騒動を、テオス・インレの出現を企んだ人間がその「すごいやつ」なら、これからシドは何をするつもりなのだろうか。戦うつもりではあるのだろう。だがそれは決して死地にはならないという確証あっての戦いだ。
「でなければあたしを連れてくるわけもないし」
「なんか、言った?」
「べーつにー?シド君はすごく上から目線だなって話」
「すごいっていう自分の感情に素直なだけなんだけどなぁ。まーリドルはすごいっていうかヤバいって感じだけど」
それは確かに、とNoteは苦笑を浮かべた。無限に芝刈りをしていると形容すればいいのか、モンスターと戦っている時のリドルはひどく無感情で無我の境地に至っている節さえ感じさせる。
ただでさえスペックが化け物のような彼が、無機質に動いて次々とモンスターを狩っていく姿は人間というより機械のそれに近かった。どれだけシドが心理戦を繰り広げようが、策を巡らそうが、ことごとくをスペックの暴力で解決してしまう彼をヤバいと表現する気持ちがNoteにもわかった。
「——待っていたぞ、シド」
そんなリドルと並ぶほどだとシドが評した男は団欒室と思しき部屋で二人を待ち構えていた。周りからは人の気配がしない点を鑑みると、一人だけのようだ。
「よぉ。早速だけど、自己紹介から始めようか。俺はシド、こっちはNote」
「ご親切にどうも。ドアマンだ。随分と余裕じゃないか。俺はこれでも『ハンドレッド』のレギオンマスターを務めているんだが」
「別に侮ってはいないさ、ほら」
ひゅんとシドが杖を振ると風を切る音がした。直後、それまで透明化されていたのか、はたまたシドが今まさに魔法を発動させたのか、彼を中心として六本の剣が現れ、それは円を描くように彼の周りを回りはじめた。
「幻想級以上の剣で作れる対魔法防壁だ。お前が対魔結界を展開しても、こいつには意味ないぜ?」
「なるほどな」
ドアマンと名乗った男は暗がりからシド達の前に現れ、その表情を露わにした。いや、訂正しよう。顔などなかった。虚、あるいはうど、とにかく彼が取ったフードの下には顔と呼べるものはなかった。あったのは宇宙を切り取って貼り付けた頭部の輪郭。
「名もなき者」
「おお、知っているか。博識なお嬢さんだ」
「そりゃあね」
「名もなき者」はゲーム上で選べる種族のひとつだ。他の種族と違って上位種に進化できないという制約がある代わりにあらゆるクラスに適正があり、どれを選んでも一線級の力を発揮できる一方、外見が見ての通りののっぺらぼうよりもひどい有様なのと日光がだめ、月光もだめという地下で生きることを強いられているような種族弱点のせいで基礎スペックに対して人気がない種族である。
ゲーム上の設定でははるかな昔、原初の時代から生きる存在として設定されていて、その存在を見ることすら稀だ。Noteはともかく、シドも会った回数は数えるほどしかない。彼が会ったのはアドウェナという名前の「名もなき者」で、彼のレギオンに属するキキに匹敵する弓使いだったと記憶している。
「もっとも、俺はプレイヤーだから、そういう設定とは迂遠だがな」
ただ日光と月光がだめってだけで、とドアマンは愚痴る。
彼の人となりは悪性レギオンのレギオンマスターとして見るにはあまりにも真っ当すぎるようにNoteは感じた。普通の人間という印象が先行し、同時にそんな人物をシドが「すごいやつ」認定するかどうか疑問だった。
シドもシドでその口から出てくるのは世間話程度の内容しかない。ドアマンがそれに相槌を打ったり、別の話題を提供したりとこれでは本当にただの友人同士の日常会話レベルだ。
「はっははは、まるで友人みたいだな、俺達は」
「やめてくれ、気持ち悪い。なんだってあんな化け物の飼い主を友人に持たにゃならん」
——どうやらただの牽制合戦だったらしい。
「そろそろ本題に入ろうか。お前らの目的は、なんだ?」
「その前にこちらも聞きたいな。お前は俺の存在をどうやって知った?お前の行動はまるで俺を探しているようだったぞ?」




