アンダーカバー
「エスティーさん、シドさんから連絡です。随時戦力を各所に振り分けてくれ、と」
「人選は?」
「任せる、と」
つまり全部一任する、仕事の押し付けとはこういうものを言うのだろう。はぁ、と盛大なため息をつき、インレと戦えないことを口惜しく思いながらもエスティーはその指示に従い、ホームに残っていたレギオンメイトらのケツを蹴り上げ、彼らを市街へと送った。
そういった裏仕事がひと段落しておっさんのようにあー疲れたとぼやきながら肩を回す彼女はそれでも意識は市街に向けたままだった。その黄緑色の瞳は常に市街で暴れるインレにそして、激闘を繰り広げるレギオンメイト達を見つめていて、決して彼らから目を離すことはなかった。
戦いが佳境に入り、こちらの優勢がはっきりとしてくると、それまで張っていた緊張感がどっと崩れ、ふぅと柄にもなくエスティーは肩の力を抜いた。突然の騒動、それは否応なしに弛緩した空気を張り詰めさせ、かつてない敵の存在はエスティーらの興味をそそり、もたらした被害は燻っていた炎を再び燃え上がらせるのに十分だった。
それも終わってみれば燃え滓がちょっと熱くなっただけだと再認識させられる。確かに恐ろしい敵ではあった。七咎雑技団の主戦力たる攻略組を駆り出してようやく収拾がつくほどには強敵であった。それでも終わってみればあっけないもので、脱力感と同時に再び心の奥底から倦怠感が湧き上がっていた。
プレイヤーは不死の存在だ。不死で不老、何度死のうと蘇り、何度でも挑戦できる。その果てがレベル150、最強の二文字を冠したプレイヤーの頂点である。自分の歩んだ道の果てに立った時、高揚したものだ。ここが到達点、ここが自分の最強の証明だ、と。
そしてその最強のままにエスティー達は数多のレイドや高難易度クエストを攻略してきた。時には敗走し、時には恥辱を味わった。しかしそのすべてを最終的に彼女らは攻略し、打ち倒してきた。この世に倒せぬものはいない、と豪語して余りあるほど充実した毎日、だがその充実感も日に日に萎え、一つ、また一つとレイドダンジョンやクエストをクリアしていくに連れて日々がつまらないものになっていった。
そう、つまらないのだ。レベル1からレベル100までの成長過程で何度となく面した敗北も、逃走も、恥辱も今となっては退屈な毎日を彩り焦がすスパイスだった、と気付かされる。気づいた時にはもう何人もエスティー達の前には立ち塞がらず、道を開けるが如く平坦な飾り気も特徴もない道が延々と続いていた。
「いっそ、退めてもいい、と思うほどにね」
プレイヤーは不死だ。そしてこの世界と外の世界を、量子空間内のあらゆるネットワークの集合場所であるステーションを自由に行き来できる存在だ。ゲームとは飽きたら退めて、別のゲームに手を伸ばすものだ。最初の一ヶ月や二ヶ月は退屈だろうが、ある程度充実してくれば途端に面白さが増す。彼女が最初に「SoleiU Project」の世界に降り立った時がそうであったように。
これまで何度もゲームに飽きたプレイヤーというのは見てきた。やることがない、これ以上の伸び代がない、つまらない、等々。理由はどうあれ、そのゲームで味わえる快感と鬱屈の天秤が大きく鬱屈に、ストレスに傾いたがゆえに彼らは引退していった。「SoleiU Project」も例外ではない。かれこれエスティーは40年近くこのゲームで遊んでいるが、遊べるコンテンツはもうすべて遊んだ気がする。残るはキルギア大陸の開拓と人類最終試練と渾名されるアインスエフ大陸のあのクエストぐらいで、そのいずれも七咎雑技団の今の戦力では絶対に攻略不可能だろうとエスティーは考えていた。
「インレも、期待はずれだったかな。最初見た時はわーすごいって思ったものだけど、今となってはねぇ」
おそらく、平地であればもっと簡単にやられていたはずだ。インレがここまで善戦できたのはひとえに市街地での戦いになったからだろう。民間人を助けながらではさしもの七咎雑技団の猛者達と言えど、苦労するし死にもする。
「でも、わからないのよね。あれだけ強力なモンスターをわざわざ無意味に暴れさせた理由が。まるで捨て駒。ねぇ、そう思わない?」
ベランダの隅、欄干の影に向かってエスティーは話しかける。直後、水面のように影の表面に波紋が起こり、ぬらりと澱んだ目の男が現れた。
目元以外を赤と黒の布で隠し、全身を覆う黒タイツを着込み、両手の左右を特異な形状の、例えるならヘッジホッグのような針が生えたトリケラトプスの角と嘴を思わせる形状のガントレットをはめた異形の男。彼は低く、くぐもった声でエスティーに話しかけた。
「いつから気がついていた?」
「んー。それって言う意味ある?こうして表に出てきた貴方がどういうわけか出てきたしまったんだから」
「そう邪険にしないでもらいたいな。こちらとしては自前の隠形が割れたのだ。気にもなる」
「企業秘密」
そうか、とこぼしたその刹那、男の影が揺らぎ、次の瞬間セナの足元からにゅるりと現れ、その特異なガントレットを彼女の顔面に叩きつけた。
「怖っ。なになに脳筋ムーブ?」
「ここらで七咎雑技団には痛い目に遭ってもらおうと思ってな!」
呆れた、と刀の柄でガントレットの一撃を防御し、あまつさえ男の脛を蹴り飛ばすエスティー。鹿尾は心底辟易とした様子で欄干の上に飛び乗るとそれまで納めていた太刀を抜き放った。
「たかが悪性レギオンの一つや二つ、うちと戦争するのに足りるって?」
「驕りだな。インレの脅威は終わらぬ。まだまだなぁ!!」
「どういう」
意味だ、とエスティーが問うよりも早く、けたたましい絶叫が市街の方角から聞こえてきた。視線だけその方向へ向けたエスティーは自分の目に飛び込んできた光景に驚きを隠せなかった。
——それは巨大な獣だった。インレの殻を破り、現れた蝶の羽、ハエの胴体、トカゲともウサギとも判別つかないキメラだった。さっきまでは決して飛ぶことはなかったインレが飛翔し、その影を市街に落とす。紛れもなく最悪で予期せぬ展開、再び産声を上げた巨獣は手始めに七咎雑技団の面々めがけて、その巨大な前足を振り下ろした。
「第二形態?いや、ていうかそんなんじゃない」
「ご明察の通り!あれは第二形態などではない。すなわち、羽化!そう、あの姿こそ真なるインレ、真なる獣の正体よ!」
「随分とお詳しいことで」
「ぁああ!!そりゃそうさ!なにせあれこそが俺達の切り札、あの姿こそ、俺達が待ち望んだインレだからなぁ!!」
さっきまでの湿った雑巾のような雰囲気が嘘のようにテンションを上げてベラベラと捲し立てる男、いや白夜炎上の言葉を半分スルーして、エスティーは刀を正眼で構えた。明らかな態度の変化、意識を向けてくれたことを喜ばしく思っているのか、覆面越しでもわかるほど顔をあからめる白夜炎上に彼女は切り掛かった。
「しぃ!!!!」
「つ!!」
両者の武器が交錯する。再び湧き上がった熱気に、闘争本能に身を任せて、かつての表情を取り戻したエスティーはその手に握った太刀を振るった。
*
本編には書かないと思うので、両者の戦いの決着についてここで話させていただきますが、この後すぐに白夜炎上は右腕を切られて、返す刀で左足の太ももを狙った地面と垂直方向の突きによって足を固定され、もう一本の刀を抜いたエスティーに右足首を切断されました。
色々とあがきますが、両者の戦いはものの1分足らずで決着しています。それくらいレベル130以上の戦いとなるとハイスピードですし、エスティーと白夜炎上の間には実力差があるということでもあります。エスティーと互角に戦おうと思ったら、白夜炎上は最低でもレベル140台後半になる必要があります。




