ウサギ達は斯く笑う
外に出て、ではなくベランダから乗り出してシド達がリングベルトの方角を望むと、市内の各所から火の手が上がっていた。燃え上がるのは紫色のおどろおどろしい幽鬼のごとき炎、ただの自然発火でないことは明白で、その証拠に先ほどから炎が爆ぜる時に獣の咆哮が聞こえてきていた。
炎の中、街内の尖塔が根本から崩れ、沈んでいった。建屋が中から爆ぜ、大量の土煙が上空に舞い散った。獣達の咆哮に混じって、人々の叫び声も聞こえてくる。明瞭ではないが、確かに恐怖によって追い立てられた彼らの声が風にのって、シド達の耳にも届いていた。
何が起こっている、とシドが思案するよりも早く、すでに何人かのレギオンメイトは武器を片手に走り出していた。自由を標榜し、この世界で夢を叶えることを標榜するプレイヤーならではの感情的な行動、それは責任を負うことなど毛ほども考えていない人間達ならではの突発的な行動だった。彼らの後ろ姿を見ながら、いいな、と羨む一方、そんなシドの目端にとんでもないものが飛び込んできた。
それはリングベルトのとある家屋、その屋根を貫いて現れた巨大な昆虫の足だった。爪は三つ、前腕は毛深く、何人もの人がそれに絡まり身動きが取れない中、煙の中から伸びてきた長く赤く太い舌をべとりと螺旋状に絡ませてアイスクリームバーを舐めるがごとく口腔へと引き摺り込んでいく様には吐き気すら覚えた。特にもがき苦しむ一般人の表情を見た後では尚更だ。
煙が舞い上がると同時に獣がゆっくりとその輪郭を現した。巨大な獣、それは例えるならキメラと呼ぶのが相応しい。ウサギのような頭部とハエともハチとも取れる胴体を持つ醜悪な獣だ。ウサギのような頭部と言ったが、牙をギラギラと輝かせたウサギがいるわけもなく、アレをウサギと認識したのはその長く白い耳を見たが故だ。胴体は毛むくじゃらの六本足が生えていて、手足を動かすとびくびくと腹筋が揺れた。それが一層気色悪く、見るものに嫌悪感を抱かせたのは言うまでもない。
「——なんだ、ありゃあ」
シドの口からポロリと漏れた疑問符にエスティーは目を細め、Noteは目を輝かせた。シドがモンスターを見てあんぐりと口を開け顎を外しそうになったのは彼の巨大な大蜘蛛、グランドマザーと呼ばれる八王の一角、ユヴァと遭遇した時以来だ。あの時はそのあまりの大きさに、より具体的に言えば数千メートルを超える巨躯に驚いたが、今回は大きさに驚いたのではない。
目の前に広がる惨劇の根源、すなわち巨大な白頭の怪物という未知を前にして、かつてない高揚がシドを支配していた。挑むべき未知、倒すべき邪悪を目にすればレギオンマスターの仮面を脱ぎ去り、ただ一人のプレイヤーとして挑みたくなるのが性だ。
「シドが知らないってことはなるほど、未知、ね」
エスティーも同じ気持ちなのかカチャン、カチャンといつの間にか腰に履いていた二振りの太刀を鞘から抜いてはしまい、抜いてはしまいを繰り返した。彼女も見たことがない怪物を前にして浮かれている様子だった。
「つっても、本当になんなんだ。あれは。見た感じランクは『フィールド』みたいだけど」
「そう、だね。フィールドランクだから、えーっとステータス補正が1.3倍だっけ?」
「『ノーマルランク』よりかは楽しめそうだな。レベルも150。それが五体!」
遥かな市街ではシドの言う通り、五体の未知なる獣が暴れ散らかしていた。一体でも大ごとだろう「フィールド」ランクのモンスターが五体、それもレベル150とくれば心躍らないプレイヤーがいるだろうか。しかも未知のモンスターとなれば尚更だ。
だが同時にシドはもちろん、エスティーもまた違和感を覚えていた。違和感と言うよりかは疑念に近い。それは単純に暴れている怪物がどこから出てきたか、という話だ。
「順当に考えれば例のなんだっけ?怒髪天炎上、が裏にいるってことなんだろうけど」
「白夜炎上、ね。でも変ね。あれは戦士であってテイマーじゃない。あんなバカでかモンスターを五体も抱えておく余裕があるわけがない」
一般的にテイマー、つまるところの調教師が一度に抱えることができるモンスターの数は「テイム可能レベル総量」に左右される。「テイム可能レベル総量」とはその総量レベル分のモンスターを使役する値である。例えば、仮に「テイム可能レベル総量」が400であった場合、レベル100のモンスターを四体まで使役できる。逆にレベル1ならば400体まで使役可能だ。すなわち、このレベル総量が多ければ多いほどより強力かつ多様なモンスターを使役できるということだ。
その点で考えると仮にレベル150のモンスターを五体も使役するとなればレベル総量の最低値は750ということになる。だが、それだけのレベル総量を得るには少なくともシドの知る限り、超高難易度ダンジョンに挑み神話級素材をふんだんに使った「鞭」を用いた上でキャラクタービルドのすべてをテイム一筋にする必要がある。有り体に言えばテイマー特化にしなければ不可能という話だ。
「もしくは超、超、超貴重なアーティファクトの類を発見する、とかかしら?」
「アーティファクトねぇ。うちにもその類の『パランティーア』があるけど、あれだって見つけるのに大分苦労したんだぜ?なんなら、ほぼ見つかったのは偶然というか棚ぼたというか」
仮にテイム特化のアーティファクトがあったとして、それでも750レベル分のモンスターを使役するとなれば一個では足りない。アーティファクトとは「SoleiU Project」内の人間が思っているほど便利な代物ではないからだ。
いわゆるアーティファクトは道具や素材、武器にカテゴライズされる一方、等級分類がないアイテムを指す。それは非常に貴重かつプレイスレスで、世界に一つだけというパターンがほとんどだ。だからテイム特化のアーティファクトを拾ったとしても、それが複数、悪性レギオンの手元にある状況がシドには考えられなかった。
「あのモンスターにしてもやっぱり謎だ。テイム云々はさておいて、あまりに異質がすぎる。昆虫系モンスターにしたってもうちょいまとまりが」
「お、インレじゃん。めずらし」
え、と二人はほぼ同時に振り向き、遅れてやってきた桃色の毛玉を凝視した。戦闘体勢に入っていた二人に唐突に睨まれ、ギョッとするNoteの両肩を揺らしながらシドはあれが何か知っているのか、と彼女に問うた。ぐらんぐらんと前後に首を揺らしながら、Noteは「もち、の、ろん」と答えた。
「あれは、インレ。大昔のさらに大昔、いわゆる原初四紀の時代に生きていた獣、ま有り体に言えば『真獣』だね!」
笑顔で答えるNoteにシドは盛大なため息を返した。真獣などプレイヤーを長くやっていても早々お目にかかれるものではない。神代以前の原初の時代を生きた化け物、ファンゴルン大樹海に居を構える猫王ノーベルと同等の存在が現れたとなれば、戦いたいと思わないわけもない。
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