懐柔作戦
相変わらずこの州は閑散としているな、と自前の竜馬に乗りながらシドは思った。普段着ているローブではなく完全武装、その上に麻衣のマントを羽織り、亜人軍懐柔部隊の先頭を走っていく。大きく街道を迂回する羽目になったせいで月も朧な夜更けになって彼らは12州の境界線を越え、今見渡す限りの雪原を走っていた。
「才氏シド。本当に我々だけでよかったのですか?」
シドにそう聞くのは彼の背後を走る法典の才氏カルフマンだ。鼻が長い痩せた男で、どこか神経質そうにも見える。レベルだって20もない。彼が心配気味に後列のマント集団を見る。その中には他にも氏令が二人いるが、それを足してもカルフマンの背後には10人もいない。
レベルの上では80台の大府が多く、中にはレベル100を超える将軍もいた。通常の護衛としてはこの上なく頼もしい戦力と言えた。だがカルフマンはそれでもやはり我が身の心配から逃れることはできない。
「辛抱してくれ、才氏カルフマン。あまりぞろぞろ連れていくといらない警戒心を与える」
「そうは言ってもやはり、ですよ。四小邦国群あるいは帝国の陰謀だなんだと言われるこの亜人軍の蜂起に首都のみならず各州で混乱が広がっております。こんな回りくどい手を使わずとも各州から軍を集め一気呵成に叩けばよかったのでは?」
「それをやると今度は各州の防備が手薄になる。混乱がより一層強まる。何より今以上の犠牲が出る」
それはそうですが、とカルフマンは口元を尖らせた。カルフマン自身の考えもわからないではなかった。早期に反乱を鎮圧することは急務だ。しかし亜人軍と正面衝突をすれば今出ている犠牲を軽く超える犠牲が出る。そればかりかいらない疑いの目を今回殲滅した亜人種と同じ種族から向けられる可能性もある。これから起こるであろうさらなる動乱を考えれば国内に禍根を残すことだけは避けたかった。
「それゆえの懐柔策。しかし我らの説得に応じますかな。現在懐柔候補に上がっているのはゴブリン、オーガ、トロル、ケンタウロス、スノーエイプ、サテュロスの六種族ですが、その内ケンタウロスは曲者と言わざるをえません。彼らは聡明だ」
「最悪ケンタウロスは懐柔しなくてもいいよ。ゴブリン、オーガ、トロルあたりは離反して欲しいかな。あいつら数多いし」
レベルなんてものが存在するこの世界でもやはり数は偉大だ。そして自分達よりも数で勝っている連中が同士討ちをしてくれることほどこちらにとって嬉しいことはない。互いに互いを殺し合う光景を想像し、シドは下卑た心からくる下卑た笑い声で肩を震わせた。
嫌な人だなぁという目でカルフマンが見つめてくるが、シドは気にしない。そんなシドの背後から艶やかな女の声が聞こえてきた。
「寡兵で以って多数を討つ。あくまで時間稼ぎ。まったくもってひどい。ひどい人よね」
「議氏ファム。音もなく背後に立たんでください」
「あら失礼。でもこれはワタシの性分。言うなれば切っても切れない性よ」
聞くだけで酔いしれそうな耳が気持ちよくなる艶かしい声、しかし発している本人は腐食した包帯に身を包み、ボロをまとった女だ。黒鋼色の小手がボロの隙間から見え隠れし、背中には長い棒状の杭を背負い、肩には高貴な雰囲気を漂わせる鷹がとまっている。
時折包帯とボロの向こう側から見える瞳は赤、青、緑、と絶えず変色し、包帯からは邪悪な気配がただよっている。これがヤシュニナ創立以来の氏令の一人、王鷹の議氏ファム・ファレルと言われても疑いの目を向けたくなる。
「ファム、俺は人じゃない。イスキエリだ」
「でもまだせいぜい200年の若造でしょ?まぁプレイヤーのイスキエリなんてみーんな若造だけどね。その仮面の下に髭が生えてないから『白』のクオレとか『灰』のミスランディアとかにいっつも弄られてるの、知らないとでも?」
「誰が教えたんだよ」
「え?エルシエル様。十年前くらいにあの御方のお茶会にお呼ばれした際にそんなことを言っていた気がするわ」
まじかよ、と肩を震わせるシドだったが、それはカルフマンも同じだった。クオレ、ミスランディア、エルシエル、その名はこの世界においては神話的存在だ。国家の上層部にいてもまず聞くことはない破格の名前が日常的に出されてはただの人間であるカルフマンは身悶えするしかない。
そんなカルフマンを無視してシドとファムの会話は続く。そして両者の会話を打ち止めるべく馬を走らせたもう一人の氏令の言葉で一向はその日の行軍を停止した。
✳︎
クオレ、ミスランディアについて:多分登場するとしてもずっと後です。どちらもシドと同じイスキエリですが、シドとは比べ物にならないくらい強力な存在であり、またエルシエルはそれ以上に高貴な存在です。多分この三人の一人だけでリドルがいないヤシュニナは滅ぼせるとも思います。ワンチャン、セナが勝てるかなレベル。




