戦後会議
ヤシュニナ歴154年8月9日、ロデッカの一角に設けられた仮設議事堂内にて、司令会議が行われた。まずはじめに行われたのは帝国の処遇についてだ。
会議が始まるより8日前の8月1日、ポリス・カリアスに駐屯していたヤシュニナ軍に向けて、帝国から和平交渉の使者が訪れた。それにより、ヤシュニナは帝国との一時停戦を受け入れ、現在にいたる。ほとんどの氏令達が海外へ出払っている中での戦後についての会議ということで不満の声を上げる氏令達も続出したが、界別の才氏シドと羽飾りの軍令シュトレゼマンの二人が断固として国内に残った氏令達で決めるべきと主張したことで、帝国とアスハンドラ剣定国にいる氏令以外という条件で、この会議は開かれた。
最初に声を上げたのはシドだった。和平交渉をするにあたって、シドが主張したのはただ一点、ポリス・カリアスのヤシュニナ領編入だ。なぜ、という疑問に対してシドは帝国のかつての地図を広げてポリス・カリアスの位置を示した。
「ポリス・カリアスはご存じのとおり、オルト地方とアスカラ地方の結節点にある都市です。堅牢な城塞都市と豊かな港湾都市という二つの側面を持つこの都市は帝国の陸路と海路、この二つを支え、またその中心となった帝国の心臓部でした」
でした、というのは事情が変わったことを示している。広大なアスカラ=オルト帝国においてすべてをすべて聖都ミナ・イヴェリアに集約することができなかったから、設置されたのがポリス・カリアスだ。もとは流通と統治の簡便化のための都市だったが、現在となっては商業都市として大いに隆盛を極めた。
帝国がアスカラ地方を失った以上、その重要性は半減した、と言っても過言ではない。帝国にとって単なる商業都市というだけでは持っている重要性が格段に落ちるからだ。反商業主義的体制である既存の帝国政府であるならば、ポリス・カリアスなど無利子、無担保、無分別状態でゴミ袋に放り込んで適当に放り投げたいくらいだろう。その点を主張するシドに対して、クターノ王国から帰国した金の議氏ガランが「ならばポリス・カリアスを我らはどのように使う」と質問を出した。
「この拠点を用いて、我々はオルト地方、アスカラ地方は元より、はるか南方の国々と交易を行います」
シドは即言する。
ヤシュニナの主な交易相手は東方大陸の西岸部国家群とアインスエフ大陸東岸部の諸国家の他に、アスハンドラ剣定国よりも南方にある亜人種国家群がある。常ならばエイギル、アスハンドラ剣定国を経由する形で大陸沿いに向かっていたが、20年前から同国家群との交流は縮小している。
理由は主に二つあり、一つは直接の外敵要因であるセルファの存在だ。アスハンドラ剣定王国本土がある半島とミナス・イムス島の間を従来は通っていたが、セルファの襲来によりその航路は閉ざされ、大きく迂回する形でしか亜人種国家群のある地域に航行することができなくなった。
二つ目の理由はそもそもからして行くメリットが少ないからだ。亜人種国家群との交易によって得られる南方の貴重な香辛料や薬草、魚類の干物、織物といった物産の数々は大変に魅力的ではあるが、そもそも距離が遠すぎること、そしてエイギル協商連合で雑に買い叩かれるせいで行っても得るものが少ない。何度となくエイギルとは交渉を重ねているが、彼らは引くこと知らず、必然的にエイギルを経由して南方へ向かう商人の数は減っていった。
「ポリス・カリアスを手に入れれば通行料金を払わない形で補給点を確保することができ、南方へ向かう商船の数も必然的に増えると思われます」
「セルファは?確か軍令リドルが奮戦なさっていることは聞いておりますが」
「セルファについては当事者ではない私はなんとも。ただ従来の迂回路を使う場合でも、商業的損失が減るならば喜んで使う商人は多いのではないでしょうか」
うーむ、とガランは唸る。他の氏令達も困り顔だ。南方航路についての利便性を説いても効果は薄いと判断したシドはでしたら、と前置きをして次の主張を行なった。
彼が次に主張したのはオルト地方とアスカラ地方双方に対して交通の利便性と流通の安定を確保できる、というものだ。有り体に言えば流通の支配権を握ることができるという話だ。
オルト地方とアスカラ地方双方の街道はどちらもポリス・カリアスへつながっている。両者の結節点とはポリス・カリアスであり、逆を言えば同都市に通じる道以外でオルト、アスカラの双方がつながっている道は存在しない。
シドが主張したのはこの街道構造を利用し、オルトからアスカラへ、アスカラからオルトへの流通を支配するというものだ。いきなり分断されたアスカラ地方の諸国家群はもちろん、オルト地方もまた物資の不足は発生する。ないものをあるものに変えるのが流通ならば、大規模な物資不足が誘発している今はチャンスである。
「理屈はわかりますが、才氏シド。それはかつての帝国と同じ席にヤシュニナが座るということでは?」
苦言を呈するシュトレゼマンにシドは頭を振った。
「我々が行うのはあくまでも両地方に対する流通であって、統制ではありません。言うなればそれぞれの地域に必要としているものを届ける役回りというところでしょうか。待っていても自然と人と物は来るわけですから、それをほどよく循環させるのは帝国というすべてがすべて帝国のお膝元へ向かう一方通行だった国とはそもそもからして違うものですよ」
「詭弁では?どのみち我々が流通を支配することで弊害が生じ、反発する国は出てくるでしょう。小国家が乱立することはそれだけ関税もかけられわけですから、流通に障害をきたす恐れもある。わざわざ遠くのポリス・カリアスと取引せずとも身内で行うのでは?」
「その可能性は大いに考えられます。いや、むしろ本来はそうあるべきでしょう。商圏は何もポリス・カリアス周辺に留める必要はない。一定数のライバルがいる方が経済成長に刺激を与え、より各商会の活性化につながるはずです」
「なるほど?独占経済を作る意図はない、と」
してもいいのですが、とシドは苦笑する。独占経済が生むのは市場の停滞、成長の停止だ。ヤシュニナがポリス・カリアスを中心とした一大商業圏を築けば、その商圏に入れない西側の勢力の反感を生む。ならば商圏の形成は必要最低限に努め、商人同士の縄張り争い、つまるところマネーウォーの結果に任せるべきだ。何事もフリーランチが好ましい。
商人達がこぞって商業的争いに興じている一方で、国家としてはより実りの多い市場に手を出すべきだ。具体的にはアスカラ地方の商人が手を出しづらい市場に。
「オルト地方をこそ我々はターゲットにすべきです。あの巨大人口地帯を」
「帝国を、ですか。理屈はわからんでもないですが、それは一度弱らせた獅子に餌を与えるようなものでは経済的依存状態を作りたい、というお考えでしたらおやめになられたほうが」
「ご安心を。そんなことをするつもりはありません。帝国の経済状態の改善という点は同意しますが、我々の目的はやはり市場としての帝国の活性化ですね」
かつてはオルト地方に比べ、アスカラ地方の方が人口が多かった。経済規模という意味でも同地方が優っていた。しかしアスカラ地方が分裂し、小国家が乱立したことでその経済レベルもまた同数、同規模に分裂した。必然的に分裂していないオルト地方、すなわち帝国の市場と人口は大陸東岸部では抜きん出たものになった。
戦争で疲弊した国家の状態とは悲惨なもので、貧困や飢餓、経済の屋台骨たる労働力や市場の機能不全が招いている劣悪な環境に陥っているものだ。それではせっかくの人口もただのお荷物にしかならず、労働も商売もないだろう。盗賊を仕入れと称する蛮族のようになってしまってはとてもまともな商売はできない。
ヤシュニナが真の意味で商業国家を自称するならば、市場の開拓は必定だ。そしてそれは手付かずで改造しがいのある土地が好ましい。より具体的には統治をほっぽり投げて市場にだけ手を出せる場所が。
「経済植民地のようなものですか?」
大橋の議氏チェルシコイの問いにシドは近い、と答えた。
「あくまで我々は市場に、作られた市場に乗る形で帝国に介入するんです。市場の維持も運営も、国家の統治も彼らに任せればいい。まぁ、そうなるまでの多少の投資は必要でしょうが。より具体的にはロサ公国と帝国との間での交通網の整備などですね。これで雇用を創出し、経済基盤を作り直すための足掛かりにしたいと考えています」
ロサ公国と帝国間の交通網の整備とは、シドや発破の刃令ヒルデが中心となって進められているトンネル開通事情のことだ。ボラー連峰を貫く形でトンネルを掘り、従来の峻険な山道ではなく安全安心な穴道を使って交通の利便性をよくしよう、という案だ。
すでにロサ公国側ではボラー連峰のどこに穴をあけるかについて調査が始まっており、シドとしては帝国側の調査も行いたいというのが本音である。それが結果的にロサ公国から送られてくる物資を簡単に手に入れ、ヤシュニナの利益につながると熱弁するシドに対して、議場の人間はふむふむと頷き返す。
「計画の内容、もとい提案については理解しました。帝国が西方の脅威に対する防人であることを考慮すればその経済基盤を立て直すことは確かに急務ではありますな。問題が他にあるとすれば、そのポリス・カリアスに常駐することになる市長を誰にするか、というところですかな」
「まぁ、それは後々で構わないでしょう。まだポリス・カリアスがヤシュニナの領土になったわけではないのですから」
「それもそうですな」
その時点で議題に関する討議は一旦締めくくられ、次の議題に移った。
結果的にその日の会議で決められた内容は三つ。一つはポリス・カリアスの編入を前提とした和平条件の提案、二つ目は大陸東岸部の諸国家に大使館を設置すること、そして三つ目は今後の西側の脅威に対抗することを前提としたヤシュニナ軍の一部を西部大長城への駐屯だった。
帝国の弱体化による各種の弊害、そしてヤシュニナの発展。各々の氏令がさまざまな展望を思い描く中、議場を去ったシドはただ一人、陰鬱な表情を浮かべていた。
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