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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
210/310

断章——リリウスは笑わないⅦ

 雨が降っていた。その日は朝から雨が降っていた。傘が欲しいな、と思うくらいの大雨だった。ざぁざぁと降り注ぐ雨は側溝から溢れ出し、車道を走る馬車が跳ねた水が歩道にまで飛び、俺達のいく先にざばぁとかかった。泥水がかからなくて良かったなぁ、となどと談笑しながら俺達はある宿屋の扉を叩いた。


 俺達の所属しているレギオン、「七咎雑技団」のレギオンホームに程近いこの街はかなり大きな都市で、煉瓦造りの建物が摩天楼を形成している、味わい深いノスタルジーを感じさせてくれる。宿屋と言わず、ホテルという表現が的確な大型の宿泊施設もいくつかあり、俺らが尋ねた宿屋もその手の宿泊施設である。


 扉を叩いた時、まず出てきたのはホテルマンと思しき長躯の男だ。俺らの中で一番大きいキースには劣るが、身長は180センチを超えていたので十分な高さである。身長が1メートル程度の俺から見ればどちらも巨人だ。いや、そんな話をしている場合ではなかった。


 俺達を見てホテルマンは一礼をして「いらっしゃいませ、ご宿泊ですか」と聞いてきた。聞けば建物の二階に大きなレストランがあるのだと言う。評判がいいらしく、宿泊ではなく、食事目当てで訪れる人間もいるのだとか。そういう客もいるのか、と納得しつつ俺達は明確にホテルマンに人と会いにきた、と答えた。


 どなたにでしょうか、と聞いてくるホテルマンに俺らはシドさんに教えてもらった部屋番号の人間だ、と答えた。名前が知らなかったからそう答えるしかない。確認します、とホテルマンは背を向けてラウンジに入っていった。しばらくするとホテルマンが帰ってきた。確認が取れました、と俺達をエレベーターホールへ案内し、ホテルマンは「10階のグランドルームとなります」と答えた。部屋番号を言わなかった、ということは10階全部がグランドルームとやらなのだろうと俺らは理解して、降りてきたエレベーターに乗った。


 エレベーターと言ったな。そう、エレベーターと。あらかじめ説明しておくが、エレベーターはエレベーターでも慣れ親しんだ電動式のものではない。俺らが乗っているのはハンドル式の人力エレベーターだ。ぐるぐると時計回りで回せば上に、逆なら下に行くという旧世代の遺物、最初にエレベーターに乗った俺が一番ハンドルに近かったが、高さが足りなかったので仕方なく四蒼(スーラン)がぐるぐるとハンドルを回し始めた。誰がハンドルを回そうが、エレベーターに巻きつけられた鎖を巻き取る音は変わらないようで、ジャラジャラという音を立てて上に向かっていった。


 そして最上階である10階に到着した時、ガシャンという音が鳴り、少しだけエレベーター本体が揺れた。扉が開き、薄暗い廊下を抜け、部屋のドアを叩くと音もなくそれは開いた。


 警戒しつつ中に入り、周囲へ目を向けるとリビングと思しき空間に黒衣の吸血鬼は座っていた。赤い絨毯、赤いソファ、赤いカーテン、赤いワイン。赤、赤、赤。赤一色の空間に野郎は足を組んで鎮座し、俺らが入ってくると手に持っていたワイングラスをガラス製の机の上に戻した。


 「——来たか。匪賊の分際で私を待たせるなど。まぁいい。それで例の家畜の肉はどこにある?血の薫りはけほどもせんが?」


 俺達が現れて開口一番、奴はそう言った。その言葉にキースの鼻息が荒くなった。憤りを覚えるのは当然だが、まだ早い、まだ。


 俺は奴にこう質問した。リリウスの肉を手にしてどうするんだ、と。奴は一瞬真顔になり、おどけたように肩をすくめた。まるで何を言っているんだ、馬鹿かお前は、と言われているようで向っ腹が立った。


 「決まっているだろう。よりよい肉を我が主へ捧げるための研究に役立てるためさ。あれは最高傑作だと思ったのだが、今になって思えば失敗作だったな。忌々しい白霊(レイス)に攫われたとはいえ、我が元を離れることをよしとしていたのだから。次からは……」


 聞いてもいないことをその後の奴は捲し立てた。細かいことは覚えちゃいないし、聞いちゃいない。きっと、心底腹立たしいあれやこれやをつらつらと自慢げに話していたのだろう。俺の周りのパーティーメンバーの怒りのボルテージが俺同様に高まっていくのを肌で感じながら、俺は最後に、と前置きをして質問を口にした。


 俺の最後の野郎に対する質問、それは今になって考えてみるといささか、陳腐だったかもしれない。野郎を見ていたら自然とそれが口に出たんだ。だってそれは質問とかでもなく、純粋な俺の願望だったのだから。リリウスのことをなんだと思っていたんだ、というだけの平凡な答えが分かりきった、ただ俺らが戦う決心をつけるためだけに酷い答えを望んだだけの問いだったのだから。


 「——家畜だよ。家畜以外の何がある。さんざんぱら家畜と言ってきたではないか?貴様ら雑種は、記憶力が悪いのか?」


 まったく、と奴は頭を振った。ああ、腑が煮え繰り返る。思い出すだけで腹がたつ。この上なく、最悪の記憶だ。いっそこの話ももう終わらせてしまいたいほどに。


 でも、ここで話を終えてしまってはつまらない。結末なんてありふれているだろうに、自分の話したいという欲求が怒りを高波のごとく押しつぶし、俺に結末を語らせる。


 「こんな話はこれきりにしよう。それで?どこに奴の肉がある?出せ、出すんだ」


 隣に立っていた焞一郎(ジュンイチロー)を小突き、俺は彼にアイテムボックスから例のものを取り出すように指示を出した。渋々、あるいは苦虫を噛み潰すような表情を浮かべ、焞一郎は虚空が布に包まれたあるものを取り出した。


 それが取り出された時、野郎は身を乗り出し、大きく息を吸った。セナさん曰く、吸血鬼は息を吸う必要はないらしい。呼吸という動作を必要としない不死者だからなんだとか。つまり野郎が鼻腔を膨らませた理由は深呼吸をするためとかではなく、布の内側から漂ってくる薫りを嗅ぐためだ。それだけで何が入っているのかわかるというのだから吸血鬼の五感の鋭敏さは変態の領域に達していると言える。思えば、セナさんはロック・ミュージックにハマっていた。鋭敏な吸血鬼の聴覚や触覚であんなガンガンドッシャーンみたいな音を味わったらどれほどの快感になるのだろうか。


 「んー。いい。なるほど多少死臭は混ざっているが、まぁよしとしよう。その布包みをそこのテーブルに置け。中身を拝見しようじゃないか」


 野郎はオークションで競り落とした絵画のお目見えに立ち会った好事家のような表情で一枚一枚、丁寧に布を剥がしていく。他人をイラつかせることに関して、俺は野郎の上をいく奴を見たことがなかった。きっとこの後の人生でも見ることはないだろう。


 だからこそ、そうだからこそだ。そんなムカつくやろうが眉を顰め、不快感を表した瞬間は爆笑した。あの時、あの場所で爆笑できなかったから、今爆笑しよう。野郎がソレを見た時は笑うよりも前に俺はコーギーに指示を出さなくてはならなかったから。


 コーギーが魔法を発動させると、ソレは爆発した。かつて悪性レギオン(ノーマ)の一派が用いた人間爆弾、生きた人間そのものを爆弾に変え、自爆特攻させるという卑劣極まる魔法の同系統、肉類を爆発物に転化させる魔法をコーギーが発動させた瞬間、爆炎が俺らと奴の間に生じた。


 事前の打ち合わせ通り、俺とコーギーは爆炎が熾ると同時に防御体勢を取った。俺は盾を、コーギーは魔法を駆使し、爆炎から他の四人を守る姿勢に移った。


 爆炎が黒煙に変わった時、グランドルームは天井と床だけ残してその他一切が跡形もなく吹き飛んでいた。体積に比例して爆発は強くなる、という付与魔法ということだったが、たかが豚のロース肉ひとつでここまでの大爆発を引き起こせるなど、予想だにしていなかったから、素直に驚いた。グランドルームの大きさは、そうだな。一般的な25メートルプール二箱分の面積と考えてもらっていい。市民会館にあるような大きなプールだ。それが二箱分、床だけ残して跡形もなく消し飛んだ。


 煙を払い、俺を先頭に、マダム・フィッツジェラルドを最後尾にして俺達は様子を伺った。しばらくすると瓦礫をかき分ける音が聞こえてきた。間違いなく野郎だ。事前に打ち合わせていた通りに、マダムとコーギーの二人が俺達に支援魔法を掛ける。筋力増強、状態異常耐性付与、防御力向上、速度向上、継続回復効果付与エトセトラ、エトセトラ。ほどよく支援魔法を受けたところで俺が先行して黒煙を切り裂いて野郎の注意を引いた。


 予想通りと言うべきか、野郎は黒煙の中から現れ、俺に向かって手刀による突きを放ってきた。凝固した血液を両手に纏い、殺傷力を高める吸血鬼固有のスキル「血叢(ブラッド・コード)」により、保護された一撃は重く、鋭い。支援を受け、タンク職として全力で向き合ってもなお、野郎の一撃は俺の全身を打つ一撃だった。


 俺が野郎の攻撃を受け止めると攻撃役のキースと四蒼が左右から強襲する。キースも四蒼も最初から本気モードだ。技巧(アーツ)を纏った斬撃と突きが野郎の体を捉え、そのクソドス黒い腹を切り裂いた。想像以上のダメージだったのか、霧となって距離を取ろうとする野郎に対して、すかさず焞一郎は手玉サイズの粉袋を投げつけた。紐がほどけ、中から白い粉が飛び散る。ソレを浴びた瞬間、野郎の霧化が溶け、絶叫を上げながら奴は瓦礫の上でのたうちまわった。


 焞一郎が投げた粉袋の中に入っていたのは「法儀礼」と呼ばれる儀式魔法によって清められた塩だ。吸血鬼の霧化を解除するには細かい粒を大量に混ぜればいい、というシドさんのアドヴァイスに則り、レギオン内の神官系魔法職の面々に頼み込んで、用意してもらった品だ。霧化が解除できる時間は二秒とないらしいが、法儀礼済みということもあって効果は予想以上だった。


 血走った目で野郎が焞一郎を睨んだ時、すかさず俺は両者の間に割って入り、野郎の注意を俺に惹きつけた。邪魔だ、と手刀を放ってくる野郎の攻撃を技巧で防ぎ、タイミングよくその攻撃を弾き返した。仰け反ったところをキースと四蒼が再び強襲する。


 そのパターンはもう見たとばかりに野郎は素早く体勢を立て直し、その衣服から二本の巨大な腕を生やした。初めて見るようで、実は違う。最初に野郎とファンゴルンの大樹海で遭遇した時、野郎は体を再生するだけではなく、衣服まで再生して見せた。吸血鬼に限らず、上位種族の何体かは持っている物質創造スキル「接木(ゴース)」だ。魔力(MP)を消費し、衣装はもとより、武器を生成することもでき、場合によっては第二、第三の手足を生み出すことも可能だ。まさしく今、目の前でやったように。


 放たれたキースと四蒼の攻撃を二本の腕で受け止め、彼ら二人を投げ飛ばそうとした時、コーギーの火矢が腕の手首を貫いた。無詠唱で放たれる無数の火矢、吸血鬼の弱点となる火属性の攻撃を浴び、苦しそうに上空へ退避する野郎は再び霧になって逃げようとしたが、どういうわけか、一瞬霧化した奴の体はすぐに元に戻り、カカシのように空に釘付けになった。


 焞一郎が粉袋を投げつけたわけではない。俺達も最初は何かの罠かと思った。しかしその後の戦闘でも奴が霧化しようとした瞬間、その体は大きく歪み、野郎は慌てて体を元にもどした。


 「なんだ、ふざけてんのか?」

 「そんなわけない、と思う」


 キースの独り言に四蒼が反応を示す。答えになっていないが、確かに四蒼の言う通りだ。ふざけているわけではないだろう。あれだけプライドが高い吸血鬼が自分の尊厳を陥れてまでふざける理由が思い当たらない。となると何かの作戦だろうか。


 そう思った矢先、ふと俺は頭上に目を向けた。鼻先に落ちた水滴、それまでは崩れかけの屋根が遮っていたおかげで感じることのなかった滝のような雨が、俺達の先頭で天井が崩れたことで俺達に降り注いだ。


 ——そうか、流水か。


 シドさんから教えてもらった吸血鬼の弱点の一つに確か流水というものがあった。吸血鬼は水の中だとうまく実体を形成できないのだと。上位の個体になればそれほど影響は受けないらしいが、それでも多少は効果があるようで、セナさんが風呂嫌いな理由もそれだ、と言っていた。


 帝級であるセナさんでさえ水の中にいることを毛嫌いするのだ。ならば彼女よりも下位の吸血鬼である野郎が降り注ぐ雨水を受けてまともに吸血鬼としての能力が使えようか。いや、できないと俺は確信し、野郎を雨の中で戦わせるように他の五人に指示を出した。


 雨の中での戦闘ということもあって、俺達は戦い方を変えざるをえなかった。吸血鬼に効果がある火属性の魔法が使えなくなったことはもちろん、雨で濡れた瓦礫の上で飛び芸人のような戦闘を強いられることになった。キースや四蒼はまだいい。元々アクロバティックな戦闘を得意としていた四蒼はもとより、キースも雨の中での戦闘に戸惑う様子は見せなかった。


 問題は俺と焞一郎だ。俺は盾役として野郎の攻撃を引き受け、踏ん張らないといけないところが、地面が滑って攻撃をいなせるだけの余力がなかった。焞一郎は単純に戦闘能力が低く、彼の使う「ロビンフッド・ガン」という名前のボウガンは刺突武器扱いで吸血鬼の部分霧化能力のせいで効果が期待できず、牽制以上の戦果は期待できなかった。仕方なくアーマードナイフを取り出すが、それだって致命傷になる武器ではなかった。


 そう思った矢先、新たな支援魔法が前衛の俺達四人を包み込んだ。かけられた効果はスリップ防止効果。氷上などの滑りやすいフィールドで戦う際に用いられる魔法だ。マダムグッジョブと、サムズアップで返し、再び俺は普段と変わらないパフォーマンスができるようになった。焞一郎は焞一郎で目や物質化した腕などを集中的に狙い、野郎の周りをちょこまかと駆け回り、その注意を右に左にと逸らし続けた。


 「クソ虫どもが、ちょこまかと忌々しい!」


 思わぬ奮闘がよほど頭にきたのだろう。野郎は激昂し、四方へ向かって物質化した角錐を飛ばした。俺達が防御や回避に徹した隙をつき、野郎は再び上空へ逃げた。そしてその形態をみるみる内に変化させ始めた。


 首は馬のように伸び、歯茎は剥き出しに、目からは炎が迸り、体はどんどん肥大化し、五本の指は一本一本全てが剣の形状を取った。背中から膨らみが生じ、翼の骨格が出現する。脚は股関節が消失し、浮遊する二本の鋭角的な剣脚に生え変わった。臀部からは蝙蝠の翼がごとき、鋭い副翼が生え、それは鉄のごとき光沢を放っていた。


 大雨の影響などどこへやら、第二形態へと変身したや野郎は天に向かって説教し、無数の赤い角錐を出現させ、それを俺ら目掛けて放った。


 「トーチ、頼むぞぉ!」


 言われなくても、と俺は前に出て防御体勢に移る。直後、俺の体は宙を舞った。即落ち二コマとなじってくれて構わない。だが、やろうが放った角錐の一斉掃射はその一撃だけで余裕で俺の防御を貫き、その背後にいたパーティーメンバーに甚大な被害をもたらした。


 それが吸血鬼の第二形態「真成体(オルトゥス)」なのだとシドさんは言っていた。上位の吸血鬼、つまり騎級の吸血鬼であれば誰もが使える深奥の技であり、必殺技なのだ、とかなり興奮気味で語っていた。単純なステータスの上昇や形態変化に伴う攻撃手段の増加はもとより、スキルの中身も変化するのだと言う。


 確かにな、と起き上がった俺は瓦礫の中、崩れたホテルの瓦礫の中から起き上がって天を仰ぐ。ついさっきまでは簡単に防御できた角錐の射撃が今は防御不可能の一撃に早変わりしたばかりか、数えるのも馬鹿らしい数に増えて襲いかかってくるのだから、同じスキルによる攻撃とは思えない。


 「クソ、やってくれるぜ」

 「マダムが回復領域を張るの遅れてたら、死んでた」


 「感謝なさい」

 「はいもちろんですとも」

 「クソ、ナイフ折れた」


 パーティーメンバーの五人も無事だ。継続回復効果のおかげでふっとんだ体力(HP)もじわりじわりと回復してきている。まだまだ負けたわけじゃない、と意気込む俺らに対して、突如天から黒い鞭が振り下ろされた。


 反射的に俺は技巧とスキルを併用してその攻撃を防ごうとした。それが不味かった。振り下ろされた黒い鞭、いや黒い斬撃は俺の防御行動も、コーギーの防御魔法を紙屑のように切り飛ばし、そのまま俺達を深淵の闇に飲み込んだ。


 そして俺は死んだプレイヤーがそうあるようにセーブポイントで目を覚ました。


 ——はずだった。どういうわけか、雨の音が聞こえる。さーさーという小気味いい音だ。何より浮遊感を感じた。自分の体が地面とは縁遠い場所になるのに、手足は重力を感じる不可思議なあの現象、なんでだろう、と目を開けるとはるか眼下に路上が見えた。


 うわぁ、と可愛げもなく騒いでしまった。すると腰回りにさっきから感じていた感触がきつくなり、たまらず嗚咽をこぼした。


 「ちょっと、ちょっと。助けてやったらこんどはゲロ?ゲロ袋ない?」


 その声に俺は吐き出しかけた胃酸を飲み込み、思わず顔を上げた。雨に濡れ、きらめくほど美しい銀髪、透き通るような肌、吸血鬼特有の赫色の瞳を輝かせ、彼女はそこにいた。


 セナ・シエラ。吸血鬼の彼女は傘もささず、着ている黒いドレスがずぶ濡れになっているのにも構わず、俺ともう一人、コーギーを抱えた状態でビルの屋上に立っていた。


 「げほ、え、なんだ?」

 「生きてる?」

 「生きてるわね、私たち」


 他の面々の声が後ろから聞こえてくる。首をひねると、大の字なって倒れるキースらともう一人、見知った人物が彼らを足元に転がしていた。


 レステル・カイザーコール。つい先日セナさんに蹴り飛ばされた残念な人がどうやらキースらを助けてくれたらしい。もっともそれはセナさんの指示だったに違いない。だって、そう考えないとレステルさんが俺らを救ってくれる動機がないから。


 「さーてと。あんたらさー、シドに聞いてないの?吸血鬼の手品について」


 中腰になって俺らを見下ろすセナさんはちょっとだけ怒っていた。躾のなっていない子供にやきもきする母親のように腰に手を当て、口をへの字に曲げていた。彼女の問いにおずおずとキースが「聞いてはいますよ」と答えた。


 吸血鬼の手品、それは「魂魄封緘(ベント)」のことだ。シドさん曰く、上位吸血鬼はその全員がダンジョンのような特殊フィールド以外で全力を出す場合はこの魂魄封緘というスキルを使わなくてはいけないらしい。これを用いることでノーマルランク、つまり俺達プレイヤーや一般的なモンスター連中相当の力分の数値になるはずのステータスが、本来の力のままダンジョン外、彼らの領域外で活動できるようになるのだと言う。


 要はハンディキャップがない状態のプロ野球選手が草野球に突如現れるようなもので、なるほど確かに俺達では叶わなかったわけだ、と話を聞いた時は納得したものだ。一見するといいことづくめのように思えるこのスキルだが、弱点があり、それは身近なところにダンジョン外から出ることによって受ける諸々の影響を肩代わりしてくれる物品が必要だということだ。物品自体はネックレスでも指輪でも人形でもなんでもいいらしい。そしてそれが破壊されれば吸血鬼はモロにダンジョン外に出たことへのペナルティを受け、ステータスもノーマルランク並になるのだと言う。


 だから最初の爆発でそれを破壊しようと俺達はたくらんだ。物品自体の耐久値は最低ランクらしく、小突けば破壊できるとシドさんが言っていたから爆発させればなんとかなる、そう思っていたし、これまでも破壊したつもりで戦ってきた。


 セナさんにそう説明すると、彼女ははぁ、と大きなため息をつき、呆れたように俺達に哀れみの目線を向けた。頭の出来が残念な子供が「1+1=3」と言った時の母親のような、心底落胆したという表情を固定したまま、再び彼女はため息をついた。


 そうこうしている内に俺らの所在を嗅ぎ分けたのか頭上に野郎が現れた翼なんか使わなくても飛べるくせにバサバサと鳴らして、クソがよぉ、と吐き捨てたくなった。


 「はっ、匪賊らしいな。伏兵がいたか。だがたかが二人程度の加勢で覆しうる状況では、ん?」


 野郎は上空から俺ら一人一人に値踏みでもしているかのような気色悪い目を向ける。盆栽の剪定、あるいは牛肉の艶比べの対象にされているようで非常に不快だった。そもそも目から炎が出ているので誰を見ているのかはわからなかったが、なんとなく炎の揺らぎ方で誰を見ているのかはわかった。


 しかし野郎の視線がセナさんに向けられた時、少しばかりその目を、つまり炎が大きくなり、次いでカチカチと歯を鳴らし始めた。明らかな動揺、あるいは恐れ。ついさっきまで傲岸不遜な態度を取っていた野郎がセナさんを見た途端、虎に射抜かれた野兎のごとく萎縮し、ゆっくりとその高度を下げ、屋上に置かれた貯水タンクの上に降り立った。


 「なぜ、貴方がここに!プレイヤーだから、いやそれだけでは説明がつかない!」

 「何を言ってるか、わからないんだけど」


 当のセナさん本人は困惑した様子を見せる。セナさんに対して慇懃な態度を取り始めた野郎を見て、あ、とあることに気づいて俺は声を漏らした。


 セナさんは帝級吸血鬼、野郎は死級吸血鬼だ。吸血鬼の階級で言えばセナさんは野郎よりも上位にあたる。へりくだるのは当然のことだった。セナさんの命令なら野郎も聞かざるを得ないのでは、そう思った矢先、野郎の一言は俺の希望を打ち砕いた。


 「だが、だが!いくら貴方でも私を止めることなどできますまい!私の主は貴方ではないのだから!」


 どういうことか、と後になってセナさんに聞いてみたことがある。曰く、吸血鬼の世界は死祖を頂点として、帝級吸血鬼がそれ以外の吸血鬼を統率する大臣、あるいは将軍のような立ち位置にあるのだと言う。本質は王侯貴族に近いらしく、帝級吸血鬼同士は基本的に仲が悪く、常に勢力拡大戦争を繰り広げているのだとか。つまり、野郎にとって全ての帝級以上の吸血鬼は尊崇の対象でこそあれ、服従の対象はただ一人というわけだ。


 ただこの時の俺はそんな吸血鬼の裏事情など知ったことではなかったので、ただただ野郎がセナさんに反抗しているように見え、主第一主義の吸血鬼なんだなぁ、くらいの認識しか持ち得なかった。だから野郎が再び上空へ飛んだ時、歯痒い気持ちを覚えた。セナさんでも止められないなら、誰が止められるんだ、あんな化け物を、と軽い絶望を味わった。


 「——はぁ。あんたらの勢力事情とか知ったことじゃないんだけど。とりあえず、お前落ちろ」


 野郎が飛空した直後、セナさんは左手を何かを掴むように丸めた。さながらリンゴを握り潰すように、果汁エキスのジュースを作る動画のように。何かが彼女の手の内で爆ぜて、間を置かずに野郎が俺達の前に落ちてきた。泥水に顔面から浸かった野郎は何が起きたんだ、と訴える。


 投げかけられた野郎の疑問に答えたのはセナさんだ。そも、セナさん以外が答えられる内容でもなかったのだが。


 「ほんと、こっすい真似するのね。ベントで作った『形代』を腹の中に隠しておくとかさー」


 「げほ、ぐへ。いや、そうじゃない!それがわかったところで、どうやって潰したんですか!念動力だとしても帝級で死級の体内に干渉できるのは血を分けた主従だけ!そうでなくては道理が、いや、まさか!?」


 そーだよー、と軽い調子で言いつつセナさんは笑みを浮かべた。その笑みを見た瞬間、野郎は陸に打ち上げられた海水魚のように口をパクパクさせ、歯をガチガチと鳴らし始めた。両者のやり取りを見ていて、薄々だがセナさんの言わんとしていることがわかった。吸血鬼のルール、死級に干渉できる吸血鬼は血を分けた帝級のみ、セナさんはしかしそのルールを無視して野郎の体内に干渉した。頭一つ飛び越えて社長が課長を通さず平社員に命令するかのように。


 「あたしこそは新たなる死祖。死祖什七皇序列6位のセナ・シエラってわけよ。歴史上、二人目となる吸血鬼の死祖!プリメーラ・ヴァンパイアにして、スリングウェシルの正当なる後継者よ!」


 その名乗りが一体どれほどの意味を持つのか、俺達にはわからなかった。今ならはっきりわかるが、当時の俺らにとってはわーすごいくらいの感想しか覚えなかった。ただ一つわかったことと言えば、それは野郎が吸血鬼目線でもありうべからざるズルをしていて、セナさんがその卑劣な所業を弾劾した、ということだ。


 正直な話、美味しいところをセナさんに持っていかれたようで癪だったが、文句を言っている暇はない。立ち上がった野郎は激昂し、セナさんに襲い掛かろうとした。それをさせまい、と俺が両者の間に割って入った。邪魔だ、と野郎は爪を振り下ろす。俺は防御体勢を取ってその攻撃を防ごうとした。


 爪と盾、互いの武器が交錯し、火花が散った。


 「ちぃ!」


 そう、交錯した。火花が散った。


 俺と野郎の力が拮抗した。吹き飛ばされることもなく、俺の膂力と奴の膂力に対抗できた。それはつまり野郎が真の意味で弱体化したということだ。


 起きろ、と俺はキースらに呼びかける。これほどの好機、もはや訪れることは叶わない。ここで倒さなくてはいけない奴なんだ。


 俺の呼びかけに呼応してキースが、焞一郎が、マダムが、四蒼が、コーギーが立ち上がる。立ち上がった俺らを見て、野郎は近寄るな、と連呼する。傲岸不遜な態度はどこへやら。種が割れた手品師の末路とはこうも惨めなのか。


 「アザド・ウェラフルフ・ガザデー。天罰だと思って受け入れなさい。それにこっちも後輩にいい顔したいじゃない?だから、あたしの顔を立てると思って死になさい」


 めちゃくちゃを言うセナさんへの怒りを滲ませながら、俺らへの命乞いを野郎は続けた。名前は知ったが、口にしたいわけもない。野郎は野郎で、奴は奴だ。名前なんて残すべきじゃあない。


 キースと四蒼の二人が駆け、野郎を串刺しにした。吸血鬼と言えば串刺し、なんとも芸術的なことだ。勢いに乗って俺も奴の体を串刺しにする。血反吐を吐く野郎は必死に逃げ出そうともがいた。けれど逃げ出せない。大雨の影響で霧化もできない。肥大化した体を必死に振るわせるが、それでも動かない。串刺しにすることで継続的にダメージがかかり、その体力をじりじりと削っていった。


 「焞一郎、今は野郎は霧化もできねぇ!ボウガンで穿て。コーギーもだ」


 キースの指示が焞一郎とコーギーの二人に飛ぶ。片方はボウガンの矢を、片方は風の刃を飛ばす。焞一郎のボウガンには「毒、激毒、猛毒」の三種の毒をランダムで鏃に付与する効果がある。それを射たれればどうなるか。コーギーの風魔法はウィザードのそれよりも、エレメンタリストのそれに近い。つまり、威力は並のウィザード系魔法使いに勝る。


 毒でもがき苦しむ野郎目掛けてコーギーの魔法が飛んだ。近くにいた俺達にも魔法の影響が及ぶが、マダムの回復魔法がダメージを優り、緑色の燐光が俺らを包んだ。そもそもの話、第二形態になったということは野郎の体力は半分以下だったということだ。基本、プライドが高い吸血鬼はそれくらいまで減らないと第二形態に変身しない、とシドさんは言う。なにより第二形態になることで弊害もあるのだとか。


 「クソ、痛い!痛い!痛い!体が裂ける!ぅぉおおおおおお!!!!」


 その一つが属性攻撃に対する脆弱化だ。また一部の本来は無効化される状態異常が有効になるのだと言う。そればかりか、肉体の再生に体力を消費するようになり、長期戦になれば俺達にも勝ち目があるんでないの、と彼は言っていた。


 きっとシドさんの発言はベントを用いていることを前提にしていたに違いない。だが今の野郎はどうだ?ベントどころか、ステータスはノーマルランク相当だ。スキルで野郎の体力や魔力に目を向けるが、それはみるみる内に削られていっている。それがいわゆるレッドゾーンに到達した時、野郎は最後っ屁とばかりに上空から無数の角錐を降らせた。串刺しを維持し、継続ダメージを誘発している前衛の俺らには決して避けられない攻撃だ。


 プレイヤーなので俺らは死なない。たとえ死んでも蘇る。そこを野郎は見誤った。危機が迫っているのに逃げ出さない俺達を見てなんでだよ、と野郎は投げかける。俺はもとより、キースも四蒼も答えない。答えると舌が汚れそうだったから、答えなかった。


 そして角錐が俺達にぶち当たった時、絶叫とともに野郎は死に絶えた。


 ——物語はここでおしまい。そう、おしまいだ。


 ピロートークもなければ後日談的なものもない。俺、いや私からすれば思い出したくもない思い出なのだから、これ以上話すつもりはない。ただ、そうだな。一つ付け加えることにしよう。


 あの後、つまり今語った事件の後、私達はもう一度やり直してみるか、と再び「SoleiU Project」の世界にのめり込み始めた。元々やる気があった四蒼はもちろん、私やキース、コーギー、焞一郎、マダムといった惰性でこの世界にいた面々の心にも火が灯った。


 きっとそれは、いや確定的にリリウスのおかげだ。もしまた、彼のような人間を見つけた時、必ず助けられるために。


 さて、つまらない話を聞かせてしまった。だからこの話はもうおしまい。そう、おしまい。グッバイ、ワールド。


——プツン。


キャラクター紹介


 トーチロッド・イクエイター)七咎雑技団一般メンバー。レベル117(170年前)→139(現代)。種族、ハイ・キャットマン。趣味、武器の手入れ。好きなもの、子供。嫌いなもの、奴隷商人、ザカルノート・キフィウス・フェラ。


 猫人のタンク役。かなり小さい。警戒心が強く、自己肯定感が低い。彼の槍は「猫の手」というオーダーメイドの武器。本編時も存命。同レギオンのシルヴィーネが経営する孤児院で働いている。


 キース・ガスパーデ)七咎雑技団一般メンバー。レベル115(170年前)→レベル141(現在)。種族、鬼→炎鬼(現在)。趣味、自伝を書くこと。好きなもの、戦い、自死。嫌いなもの、強いやつ、強すぎる相手。


 豪快な性格で粗暴。ほのかな英雄願望を秘めており、自暴自棄になりやすい。自らが英雄的行動を取っているように見せたがる。「大切断」後、メルコール大陸東岸部の「孌」に渡り、同地で雹津龍キフィー・エアルトと殺し合いの果てに結婚する。子沢山。


 四蒼スーチェン)七咎雑技団一般メンバー。レベル112(170年前)→レベル150(現在)。種族、ハイ・イースト。趣味、槍集め。好きなもの、槍。嫌いなもの、飛び道具。


 明るい無口。時折中国語がこぼれる。パーティーメンバーの中で唯一「41」討伐後にレギオンに加入した。レギオン内の有望株。「大切断」後、プレイヤーでありながらレベル150に達した数少ない人物。本編開始40年前にアザドの主人であるザカルノート・キフィウス・フェラ含めた五人の上級吸血鬼と単騎で渡り合い、勝利を収めた。


 焞一郎ジュンイチロー)七咎雑技団一般メンバー。レベル112(170年前)→レベル131(落命時)。種族、コボルド・センチネル。趣味、読書、宝箱探し。好きなもの、古い本、金銀財宝。嫌いなもの、ザカルノート・キフィウス・フェラ、空の宝箱。


 大雑把で陽気な性格。彼の種族であるコボルドはメルコール大陸では差別対象のため、外出時は大きめのフードを被っている。自分を見ても悲鳴をあげないリリウスに最も感情移入していた。本編開始の40年前にザカルノートを探っていたが、奇襲を受けて命を落とした。


 マダム・フィッツジェラルド)七咎雑技団一般メンバー。レベル114(170年前)→レベル130(現代)。種族、ハイ・イースト。趣味、ティーカップ集め。好きなもの、紅茶。嫌いなもの、不味いコーヒー。


 妙齢の女性。優雅な性格。高い状況判断能力を持ち、パーティーリーダーであるトーチロッドを助けている。実質的なパーティーのNo.2。「大切断」後、貯めていた私財を投じてフィッツジェラルド財団を設立する。シドからの援助もあった。シルヴィーネが経営している孤児院のスポンサー。


 コーギー)七咎雑技団一般メンバー。レベル119(170年前)→レベル132(現代)。種族、ハウンドマン(コーギー)。趣味、料理。好きなもの、食べること。嫌いなもの、料理を粗末にする人。


 見た目はかわいいが、声が渋い。ですます口調。控えめな性格。パーティーの魔法攻撃の要。戦闘能力はそこまでだが、とにかく手数が多いため厄介。本編時での動向は不明。40年前のザカルノート討伐に参加した。

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