エッサーラ平原の戦いⅥ
王炎の軍令リドルのアングリストとシリアの白銀の剣が幾重にも渡って交錯する。奏でられる鋼の音は重く、両者の刃が交錯するごとに烈風が戦場に吹き荒れた。傍から見れば両者の実力は拮抗しているようにも見える。事実リドルもシリアも最初に立っていた位置から全く騎馬を動かしていない。
だがイルカイの目から見れば完全にリドルがシリアを圧倒していた。有り体に言えば彼は遊んでいた。力だって一割も出していない。本来出せる剣速の五厘にも満たない鈍足の剣を振るい、あたかも両者の実力が拮抗しているかのように内外へ見せていた。
それが作戦であることはイルカイも重々承知している。首都ロデッカを出る前に界別の才氏シドがリドル、フーマン、イルカイの三人に伝えた作戦を思い出し、横槍を入れたい気持ちを抑え、彼は突出しすぎた自分の奇兵隊を自陣に下がらせた。
すでにこの場の勝敗は決した。同数勝負であればヤシュニナ軍が負ける道理はない。すでに首領をなくしたオーガ、ゴブリンの二軍は撤退を始めていた。一番遠いトロル軍とフーマンの戦場でも鬨の声が上がっていた。スキル「千里眼」を使い何事かと見てみると断頭されたトロルの族長と思しき首をケンスレイが戦斧の先端に引っ掛け掲げていた。
「よぉし!聞けぇ!今、我が軍の将軍ケンスレイがトロル族族長の首級を挙げたぞぉ!」
イルカイのその言葉に奮戦していたヤシュニナ兵の中から歓声が上がる。それが拍車をかけ、逃走する亜人軍を背後からこれでもかと無数の槍が突いた。倒れていく亜人軍、死屍累々の屍の山を築き、それでもヤシュニナ軍は止まらない。
「たかだか四万!ここでとりあえず殺せるだけ殺せぇ!明日の戦いがそれで楽になるぞ!」
「軍令イルカイ!軍令フーマンより伝令です!あまり殺しすぎるな、使えなくなる、と」
「今の命令中止!ほどほどでいいぞぉ!」
そうだった、と戦の酔いから覚めたイルカイは自らの頬を叩いた。このまま敵軍四万を潰しても良かったが、それでは後々の作戦で使えない。いくら軍団技巧があると言っても少なからずこちらの損耗も大きい。イルカイの見える範囲でだが2000人は死んだだろう。
それに対して目算でこちらが殺した敵の数は一万弱。特にイルカイの騎兵と軍団技巧で吹き飛ばされた死者が多い。騎兵も横撃を続けたせいで100騎ほど減ってしまった。
「軍令リドルは?」
「もう本陣に戻られています。敵方の大将も退いた、と」
「ありゃ、いつの間に」
気がつけばさっきまでリドルとシリアが戦っていた場所に両者の姿はなかった。ただ二人の争いに巻き込まれた両軍の兵士の骸が転がっているだけだった。
「とりあえず俺も本陣に行く。捕虜は丁重に扱え?これから役立ってもらうんだからなぁ」
「かしこまりました。部下にも徹底させます」
直属の副官の熱い意志を感じつつ、イルカイは数名の騎兵と共になだらかな丘の頂上に置かれたリドルの本陣へと竜馬を走らせた。
本陣テントの中に入ると対照的な二人がチェスをやっていた。リドルとケンスレイだ。砂塵一つなく小綺麗な白いコートに身をつつむリドルと血潮を浴びたままのケンスレイというなんとも珍妙な組み合わせだ。そんな両者の対局をフーマンがあくび混じりに眺めていた。
「はい、王手」
「やっぱやめようぜこのゲーム。俺が勝てん。クソゲーだクソゲー」
負けたリドルがゲームの内容について悪態を言い始めた頃合いを見計らってフーマンが両者の間に置かれた将棋盤を取り上げた。そして代わりに机と地図、即座にとりまとめたと思しき被害報告書をリドルの前に置いた。
「とりあえず被害報告だけど死者は45人。負傷者は384人、その内重傷者は117人ってところだね。軽症者にしたって指がなくなるとか目が潰れるとかそんな感じ。まぁ重症者は即時戦線復帰は無理かな」
「ざっと500人ですか。こちらの損失って奴は。1日の被害にしちゃ多くありませんか?」
「そりゃしょうがないさ。元々これくらいの犠牲は覚悟でシド君が立てた作戦だからね」
骸骨マスクの向こうのニヤケ面がこの場に集まった四人の脳裏に即座に浮かび上がり、重苦しいため息がこぼれた。本来だったらもう少し動員できる兵を12州の境界線監視および防衛に割いているせいでこの場に集まった戦力でやりくりせざるを得なくなった元凶の顔面を一人百発は殴りたい、と全員が全員思いつつフーマンは報告を続けた。
「一応装備の面ではまぁ大丈夫かな。穂先が折れた槍の予備もあるし、食べ物と飲み物はもちろん余裕がある。まー向こうさんが食料を焼いてくるなんていう搦め手を使ってくれば話は変わるけど」
「不吉なことをあまり言わないでください、軍令フーマン。フラグっていうらしいですよ、それ」
フーマンの不謹慎な発言をケンスレイは嗜める。ごめんごめんとケンスレイに謝りつつ、フーマンは話を続けた。
「で、とりあえずだけど順調ってところかな?囮役しかり兵の損耗率しかりって感じで」
「相手の行動もまぁある程度予想通りだったな。唯一援軍を全く出さなかったことは今でも悪手だったと言わざるを得んが」
「ゴミ掃除だったんでしょうねぇ。俺だって信じられませんよ。騎兵がすんなり入るわ。大将首がぽんぽん取れるわ。対応が後手後手すぎるわなんて。逃げた2万7,000と捕虜の4,000、以外は全員死んじまったってことでしょ?ド偉い損失じゃぁないですか」
しかもその死んだ9000人の中には亜人軍の三種族の首領も混ざっている。統率を欠いた亜人軍がどのようにして明日から動くのか、フーマンにもわからなかった。
「とりあえず明日は持久戦の構えで。ひたすら守って適度にちょっかいをかける感じで。例の白い女が出てきたらリドル君が対処ってことでオーケー?」
「ああ、構わん。だがさっさとシドにも急いで欲しいな。せいぜい1週間が限界だぞ?」
そんなリドルの願望を知ってか知らずか、シドと他数人の氏令がその日の夜12州に入った。
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