大戦佳境・朱嵐厭人
突如として姿を現した帝国軍に、ヤシュニナ軍は虚をつかれた形になり、大混乱に陥った。待ち伏せの兵を設置し、自分達が有利な状態で始まると思っていた中、当然の奇襲を受け、兵士らは統率を欠き、背後からの斬撃によって大地に伏した。
例え歴戦の軍令であってもその混乱を収めるのは容易なことではなかった。元に真っ先に襲われた鏡の軍令マルウェーの部隊は混乱の中、次々と将兵が討たれ、半ば潰走状態になっていた。
「軍令マルウェー!中府ベネリスク、小府コイネー共に戦死!」
「第四弓兵隊は壊滅状態!部隊長以下生存者6名!」
「指示を無視して戦線を離脱する部隊続出、兵の統率が取れません!どういたしますか軍令!」
これが正規兵であればまだ取り返しはついた。少なくとも戦場から逃走するという破廉恥な行動を取る人間は正規の軍隊内にはいない。死守を命じられれば死守の命令に従う。軍隊とはそういうトップダウン式の組織である、とマルウェーは教わり、そうあるように努めてきた。
しかし今、彼の隷下にあるのは正規兵ばかりではない。彼が率いる兵二千の半分は非正規兵、警邏や囚人、義勇兵の寄せ集めだ。逃げ出しているのは囚人兵や義勇兵だろう。背中を討たれるという恐怖が彼らの逃げ足を助長させていた。
「本陣の兵士ヲ基幹として、敗残兵ヲ集めロ。取リこぼすな。陣地ヲ少し後方に下げル。あと、敵兵の数はワかルか?」
「把握しております。総数は決して多くはありません。千人もいないかと」
「なラ、その情報ヲ本営に伝えロ。そして、本営かラ各所に『対処法』ヲ伝聞させロ。軍令シュトレゼマンか、才氏シドであレばすぐに対処なさルはずだ」
「かしこまりました。他に伝聞はございますか?」
そうだな、とマルウェーは思案顔で鼻先を握るが、数秒の後、彼は首を横に振り、伝聞を預けた部下に本営へ向かうように指示を出した。今知りうる情報、仰ぎたい指示はすべて伝え切った。あとは、と彼は急いで撤退の準備をする将校達に目を向けた。彼が他にできることと言えばその手伝いをすることぐらい、そう思って身を乗り出した時だった。
——全身の毛が逆立ち、反射的にマルウェーは空へ飛び退いた。
直後、彼の首があった位置を剣撃が通り過ぎた。
「——ちぃ」
「技巧:奮撃」
飛翔と同時に技巧を発動させ、取り出した彼の大斧が藍色の輝きを放った。マルウェーがそれをそれまで立っていた家屋の屋根目掛けて勢いよく振り下ろすと、家屋どころか、その周辺一帯があらかた吹き飛ばされた。
「なンだぁ、お前!」
怒りがこもった荒い口調で建物ともども吹き飛んだ奇怪な装束の男にマルウェーは詰め寄った。男は竜の頭蓋を模した銀色の仮面を被り、手には帝国北部で見られる切先に近づくにつれて幅が太くなるトップへヴィーの奇剣、グリペルングを右手に握り、もう片方の手には刀身が蛇行した奇剣を握っているアンバランスな二刀流使いだった。仮面を見た時は、最近は仮面を取っていることが多いシドの親戚かなにかかと思ったが、その意匠にマルウェーは聞き覚えがあった。
「龍面髑髏か!帝国のお抱え殺し屋の」
「その十二高弟が序列四位、ダヴィ・ルォである。鏡の軍令マルウェー、その命、貰い受ける。
*
それは説明の必要もなく、氏令を狙った行動、すなわち暗殺の企みだった。狙われたのはマルウェーだけではない。帝国兵が現れた箇所、すべてで同様の惨劇が起こった。
背後からの斬撃によって司令官が失われたことで、統率を欠いた軍隊など塵芥に等しい。指揮権の移譲もできないまま氏令や将軍が死んでいく中、いくつかの戦線では暗殺をものともせず、むしろ兵らの合戦を圧倒する形で熱戦を繰り広げているものもあった。
*
「しゃーおらぁあ!!!!」
鋭い尖った和刀が空を走り、白雲を切り裂いた。それは決して比喩ではなく、事実として、彼の一刀は昇竜のごとく空高く舞い上がり、夏空にふさわしい大雲を真っ二つに切り裂いた。はるか上空数百メートル先にある雲をである。
それを目の当たりにした兵士らは国を問わずあんぐりと口を開け、恐る恐るその斬撃を放った張本人である凶気の刃令ジルファを恐る恐る見つめた。がははは外した、と大声で高笑いしている人外を唖然とした眼差しで見つめた。
何より彼を背後から襲おうとした龍面髑髏十二高弟第一位の男、シヴェル・ボンズは襲った時の意気揚々とした態度とは裏腹に、腹の底から逃げ出したいと思った。ジルファがプレイヤーであることは認知していた。彼の妹弟子にあたるシリア・イグリフィースを殺したプレイヤーの一味であるということで復讐心に燃えていた頃のシヴェルはどこへやら、心底帰りたい、と心の中で涙を流して訴えた。
*
剣撃が衝波となって周りに襲いかかる。敵味方問わず、降り注ぐ絶波に恐れ慄き、家屋の中へと退避する両軍の兵士のことを気にせず、二人の剣豪は互いに剣を交えた。
「いいのぉ、いいのぉ!さすがは大剣豪!さすがはプレイヤー!その強さ、惚れ惚れするのぉ!」
一方は嬉々として、もう一方は表情を崩さずに互いの首や心の臓を狙って最小限の動きで切り結んだ。起こる反動に対してあまりに繊細なその動きの数々は大嵐を巻き起こす分子同士の微細な変化のようで、当事者達には戦場を荒らしているという認識はこれっぽっちもなかった。
片やヤシュニナ首都防衛隊の隊長にして氏令の一人、寝坊助の刃令なのはなさん、片や龍面髑髏の首領である剣豪、ララ・プティオン。世界に名を馳せる剣豪であるなのはなさんと大陸東岸部で名を馳せ、アスハンドラ剣定国の選定の儀式に必要な「剣識」の魔法で選ばれるほど目利きにも剣技にもすぐれたララの一騎打ちはただの一太刀で市内を嵐の只中に放り込むかのような鮮烈さを示した。
もはや戦の成否や勝ち負けは二人の頭の中にはなく、目の前の野郎をぶちのめすことしか頭になかった。恋はハリケーンなどとも言うが、互いに求め合った結果、実際にハリケーンにも等しい暴威を巻き起こした影響で守るべき市街区を吹き飛ばしてしまうのだから、傍迷惑なことこの上なかった。
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「——んー、少ないですねー」
「ですな。全体の半分程度といったところでしょうな」
各地から上がってくる報告を精査するシドとシュトレゼマン、二人は報告書を机の上に投げ捨て、はぁ、と同じタイミングでため息をついた。二人がため息をついている間にも彼らの左右背後を慌ただしく軍服を纏った武官、あるいは庁舎の職員が走り回り、つい四日前に敷設されたばかりの伝声管に向かってギャーギャーとわめいている姿を尻目にシドとシュトレゼマンは呑気に、あるいは冷静に状況を分析することに努めていた。
彼ら二人に上がってきた報告からは、市内の各所で戦闘が起こったこと、良くも悪くもその状態が停滞状態であることの二点の他に出現した帝国軍全体の総数が一万人程度しかないことがわかる。正規軍が一万と聞けば、十二分に危惧すべき事案なのだが、司令官を務める氏令達はことのほか冷静だった。例え同僚が凶刃に倒れたという報告があがっても、まじかー、という声くらいしか上がらなかった。わざわざ戦場に出たのだ。位が高かろうが死ぬ時は死ぬ。死なないのは運がいいやつか、バカみたいに突き抜けた個人だけだ。
「確認できた帝国軍の上陸部隊は三万弱、現在確認されている帝国軍は総数一万。残りの二万はどこへ?」
「正確には二万ではなく、一万五千弱ですな。彼奴等の宿営地に駐留しているのが五千人くらいいました。船の護衛も兼ねて残されているのでしょうな」
「二万人だろうが、一万五千人だろうが、見えない敵が怖いというのは変わらないでしょう。こちらの本陣の兵士を動かすか、それともこのまま居座り続けるか。ぁあ、最悪この街ごと爆破する、という手段も取れますがね」
それはダメだろ、と氏令達は総ツッコミする。シドならばやりかねない、という悪い意味での信頼と街の復興に関する予算を考えた現実的な回答が入り混じった非難を浴び、冗談ですよ、とシドはすぐに発言を撤回した。
唯一、シュトレゼマンだけは「爆破、爆破か」と繰り言のようにヒゲをさすりながら呟き続けた。隣に立っていた副官がダメですよ、ダメですからね、と念押しする中、バンと扉が開き、汗だくの兵士が駆け込んできた。
「報告します、背後から強襲を受けました!」
「どこの軍だ?」
「帝国軍です、猟兵と思しき部隊が突如市街区に現れ、御殿めがけて突き進んできています」
「数は?」
「え、数、ですか。報告だと二百人から五百人と」
わかった、といいシドは新しいピンを地図の上に置いた。
後背からの強襲、それは想定していた動きだ。御殿に向かっているというのならわかりやすい。本営の軍隊を向かわせれば済む話だ。猟兵ということを加味して、正規兵三千と一応はカルバリーも向かわせるか、という旨の指示を出そうとした矢先、今度は伝声管から兵士の声が聞こえてきた。
『報告、報告!市街区に現れた帝国兵と所属不明の部隊が交戦中!所属不明部隊の兵数は8!大規模な爆発も確認されま、ギャー!!!』
「え、ちょーもしもしもしもし?おーい、だめだ向こうの管がイカれたな、こりゃ」
「才氏シド、何があったのですか?」
詰め寄ってくる氏令達にシドは答えを用意していなかった。さぁ、と答えるしかなかった。珍しく言い淀むシドを物珍しそうに見つつ、氏令達はより一層首を傾げた。
*
その騒動が起こる少し前、時間にして数十分ほど前のことだ。ディット・ラガンス率いる猟兵三百人は静かに山中からひっそりと市内へ降り立ち、まっすぐと御殿が置かれているロデッカ中心街へと向かっていた。突如として現れた猟兵の群れに市街の警戒にあたっていたヤシュニナ兵らは驚き、戦闘状況も整わないまま、一方的に蹂躙された。
倒れていくヤシュニナ兵の一掃を部下に命じ、ディット本人は家屋の屋上へ登ると、あらかじめ用意していた信煙弾を発射した。一仕事を終えた、と彼が息をつこうとした時、不意に何者かの接近を察知し、ディットはグリペルングを引き抜いた。
「——あらよっと!」
直後、強烈な打突がディットを襲った。その一撃に耐えられず、ディットは家屋から転げ落ちた。転げ落ちてもいささかのダメージも負った様子がないのは彼がハイ・エレ・アルカンであるからだろう。エレ・アルカンの上位種、強靭な肉体と長い寿命の産物、若くしてその領域に降り立ったディットにとって、落下は死ではなく、慣れ親しんだアトラクションのようなものだ。
着地したディットは忌々しげに頭上を睨んだ。つい今さっきまで彼が立っていた屋根の上には彼を奇襲した人間の他に七つの影が見えた。計八つの影はディット達を見下ろし、そして高らかに宣言した。
「イェーイ!!!ヴィア・ヴィスト・ストルヴェンツェ・マーシナリー!!ようこそ帝国の人、ようこそクソッタレ野郎ども!後ろから刺そうなんざ随分じゃぁないか。派手に動いてご苦労なこって。まぁ、いいさ。まぁ、いいよ!さんざん色々やってくれたんだ、俺らの国流の歓迎を受けてくれやがれ、こんちくしょう!」
言うが早いか、先頭に立った男はパチンと指を鳴らした。直後、彼の後ろに立っていた七つの影が何かを大量に猟兵部隊めがけて投擲した。
なんだ、と落ちてくるものを切り払いながら、おもむろにディットは地面に落ちたそれらを目で追った。彼が切ったもの、それは粘土のような何かだった。それにはよく見知った火花が散っていた。
「全員、退避!これは火薬兵器だ!」
直後、建物が倒壊するほどの大爆発が市内を炎上させた。
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