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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
206/310

大戦佳境・朱桜満開

 ほどよい空っ風が吹くベランダに薄い紫煙が登った。それは鳥の形へと変わって、事前に作られていた円形の煙の中を潜ると、ふっと虚空に消えた。


 ベランダに座りパイプを蒸す界別の(ノウル・)才氏(アイゼット)シドは胡乱げな表情でもくもくと立ち上る黒煙を見つめていた。黒煙は港湾区から上がっており、一瞥せずともその理由がシドにはわかっていた。なぜなら港湾区が炎上する原因を作ったのは他でもない、シド本人だからだ。


 彼の足元に転がっているスイッチがすべてを物語っていた。ヤシュニナはおろか東岸部でも珍しい電気信号を送るスイッチ、それが港湾区の支柱に設置されていた爆弾を爆発させたのだ。内心、火薬が湿気ってなくてよかったと思いながら、一仕事したぜという雰囲気を出しながら一服していると、新手の船が崩れた港湾区に近づいている姿が見えた。


 入港した軍船の数は25隻、帝国軍のあれが全軍だろう、とシドは予想する。最初の30隻よりも9隻多い、総数39隻、なるほどそれだけの大型船を集められるのは帝国軍ならではだろう。しかし下船してきた兵士の数を見てシドは目を丸くした。港湾区を埋め尽くすほどの大軍を想定していただけに降りてきた兵士が目算で三万にも満たないことに拍子抜けしてしまった。


 初手の港湾区で上陸戦での損害、港湾区で吹き飛ばされた一万人近い兵士の損失を考えても、あまりにも少なすぎる。数で言えばヤシュニナ側とどっこいどっこいではないか。


 「なんだ、別働隊でもいるのか?」


 別働隊がいるとすれば面倒だ。今のヤシュニナに後方の防衛を気にする兵力は残されていない。市街中心部の人々を避難させるための護衛だった兵士達を当てるか、とも考えたが帝国の圧倒的兵数を考慮すれば百や二百の防御が一体なんの役に立つというのだろうか。せいぜいが鉱山のカナリヤ程度の働きしか期待できない。それも逃げ場のない坑道での鉱山のカナリヤだ。いっそ鳥をむしって食べてしまいたい状況で焼け石に水だ。


 「どうします?兵を動かしますか、才氏(アイゼット)シド」


 ベランダに出てきた人物羽飾りの(アミナリア・)軍令(ジェルガ)シュトレゼマンの声にシドは振り返る。そうだな、と彼の意見にシドは同意しかけるが、すぐに首を縦に振り、いいや、と返した。その答えが予想できていたのか、でしょうな、とシュトレゼマンはしたり顔で髭をさすった。


 上陸した帝国軍は今、ヤシュニナ側の出方を伺っている状態だ。市街区を用いた散兵戦術を使うことまでは敵方も予想しているだろう。問題はどこに兵士が配置されているかを探ることにある。湾部、あるいは船の見張り台にでも登って市街区を一望でもしてその配置を推測しなければ、兵士を無駄に死なせる結果を生む。つまり、ヤシュニナが兵を動かせば、どこに兵士が配置されているかを知らせ、帝国に一手譲ってしまう悪手になるのだ。


 「——いっそ、火攻めにでも移ってくれればまだ予想しやすいんですけど」

 「それは高望みでは?少しでも我が国の建築に対する知識があれば火攻めなどという愚行は犯さんでしょう。アル=ヴァレアのような物資備蓄庫であれば話は別でしょうが」


 「大通りはすべてバリケードで封鎖しましたから、突破には時間がかかりますし。あとあるとすればアーバイスト・アルゲージを利用する、くらいでしょうかね?」


 あぁ、それがあったか、と思い返した様子でシュトレゼマンがこぼした。そして彼はおもむろに自分の足元へ視線を落とした。


 アーバイスト・アルゲージとは温水処理システムのことだ。アーバイストが暖かい水を指し、アルゲージは捨てるという意味を指す故エダイン、あるいはロスト・エダインとよばれる言語体系の言葉である。


 主に冬場の溶雪に用いられるシステムで、ロデッカで試験的に導入されている画期的な機構と銘打ってシドを初めとした彼とシュトレゼマンの派閥が推進している事業の一つだ。仕組みは単純で、ロデッカの工業区にて発生した研磨用水や冷却水、すなわち機械や鉄の熱を冷ますために用いられ熱された水を、市内に設置した下水道を伝って流すというものだ。


 地上と違って地下は温度が一定に保たれる。下水道を伝う水は凍ることがほとんどないため、冷えずに放流される。ロデッカの新市街区ではこの機構を応用して、屋根から落とした雪を溜めておく広場に排水溝から伝わる熱で積んでおいた雪を溶かすためのに用いられている。


 ここから本題となるが、雪を溶かすためのシステムを敷設するにあたって掘られた坑道がまだいくつか埋め立てられていない状態で残っている。これは埋め立て忘れたというわけではなく、定期的な検査のため、あるいは修理事業のために敢えて埋め立てずに残されているのだ。この行動がどこまで残っているかはシドも把握していない。おそらく、氏令の誰も把握していない。どこに坑道が通っているかはわかるが、どこまで続いているかは誰もわからない。


 「——ま、今日ようやく市街区を目にした敵さんがわかるとは思えませんがね」

 「わからんぞ?此度の戦の敵軍の総大将はリオメイラ・エル・プロヴァンス公爵夫人なのだろう。ロサ公国の騎兵軍団を退治してのけた女傑だ。舐めてかかっていい相手ではあるまい」


 それは確かに、とシドはパイプをかじった。彼女であればちょっとした疑問から市街区を調べようと言い出すかもしれない。万が一にも坑道が発見されれば、どこから敵兵が現れるか、わかったものではない。最悪は御殿近くの排水溝から大挙して帝国軍が押し寄せてくるかもしれない。それは困る。非常に困る。


 今から対処しようにも兵を動かせばこちらの配置が露呈する。しかし動かねば寝首をかかれるかもしれない。嫌なジレンマだな、と思いながら重い腰を上げ、シドはベランダに背を向け室内に入ろうとした。その矢先、港湾区よりも離れた地域、すなわち庁舎から近い場所で鬨の声が上がった。それまで、一切の戦いの音など聞こえなかった区画から突然。


 「ああ、悪い兆候」

 「声が上がったのは、軍令マルウェーの方向、いやそれ以外にもあるな。面倒な」


 「マジで見つけたのかよ、アルゲージ。頭ぶっとびすぎだろ」

 「言ってる場合じゃないでしょう。すぐに連中はここまで来ますよ?強駒を失うことはないかもしれませんが、それじゃぁ防衛戦はできない」


 わかっていますよ、とシドは吐き捨て、欄干から手を放し室内へと戻っていった。彼の背後では絶えず喧騒が轟いていた。


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