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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
205/310

大戦佳境・朱炎滅却

 ヤシュニナ歴154年7月25日、帝国歴532年同月同日、それまでの沈黙を破ってロデッカの湾に停泊していた帝国軍が動き出した。先行する艦は10隻、いずれも大型のガレー船だ。あらかじめ港湾部からヤシュニナ軍が撤退していたため彼らが予期していた反撃はなく、矢の一本、投石の一つとして船を襲うことはなかった。


 その異様なまでの静けさに埠頭に近づいた兵士達は訝しむが、踵を返して逃げ帰れば自分達の上司らよろしく玉なしになるかもしれない、という恐怖から彼らはゆっくりと船を陸に近づけた。総重量数トンを軽く超える巨大な叡智の象徴が錨を下ろし、タラップを下ろして兵士達はおっかなびっくりしながら埠頭へと降り立った。


 降り立った帝国兵の総数は約一万、帝国軍全体の実に()()()()()()()()()()である。大将を務めるのは北方方面軍の副司令官を勤めているマルセル・ルカ中将だ。ぼんやりとした眼差しでマルセルは兵士達に整列を命令した。


 居並ぶ兵士達は北方方面軍半分、海軍半分である。いずれも静謐を守り、待機状態でマルセルの声を傾聴する姿勢を取っていた。楽にしてくれ、とマルセルが言うと集団行動の選手らもかくやの一糸乱れぬ挙動で彼らは両足を開き、両腕を後ろ手に組んだ。


 「諸君、これよりは我らは市街区に突入するおそらく、幾多の罠が仕掛けられているだろう。だが案ずるな。忘れてはならん。道中の罠になど目をくれる必要などないということを。我らの目的はただ一つ、この国の国家元首が鎮座するという御殿のみ。それが終われば好きなだけ徴発なり、略奪なりをするがいい。それは勝者の権利だ」


 徴発、略奪という単語を聞いた瞬間、それまで静の表情を保っていた兵士達は獰猛な笑みを浮かべた。ある者は舌なめずりを、ある者は薄く黄ばんだ歯を覗かせ、腹の中から邪悪な感情を垂れ流した。


 軍隊などと言っても所詮は野盗や盗賊と変わらない。自分では生産せず、他人が作ったものを奪う。彼らの生産性に最低限配慮するならば、彼らが生産するものは時間的空白と死体の山くらいなものだろう。


 「これより我らは死地に入る。全軍、準備を整えて半刻後(30分後)に再びこの場に整列」


 「——はい、ぽちっとな」


 ふと、そんな気の抜けた声が聞こえた気がした。張り詰めた空気の中に放り込まれた弛緩させる一言、それは達人同士の果し合いの際にどちらかが放屁をしたようでもあった。


 ——直後、マルセルらが足を付けていた大地が光り、それは轟音と共に大きく、大きく爆ぜた。


 爆音は随所で起こり、それは埠頭周辺にとどまらず、港湾区全体で連鎖的に巻き起こった。とてつもない量の爆薬が間断なく化学反応を起こし、帝国兵の足元から土石流のような音を立てて赤色の光と黒煙で彼らを包み込んだ。


 それは逃げ場などない完全な死角から奇襲、あるいは用意されていた罠であった。警戒などするだけ無駄だった。見えない場所にある爆薬をどうやって発見できるというのだろうか。


 吹き飛ばされていく兵士達、ボロボロの炭クズのように消えていく兵士達、火だるまになって逃げ惑う兵士達、陥没に巻き込まれて埋もれていく兵士達、手や足、顔も失ってそれでもまだ痛みが消えない兵士達、彼らはなにが起こったのかもわからず、ただただ恐怖し、自分達の惨状を悲観した。


 被害が出たのはなにも兵士だけではない。爆発によって四散した火を纏った材木や瓦礫が停泊していた帝国軍の船舶に降り注ぎ、船に燃え広がり、穴を開けた。浸水は言うに及ばず、港から遠ざかろうにも錨を引き上げている内に巨大な瓦礫が飛んできて、哀れ船は大きく空を跳ねて転覆した。


 哀れ一万の大軍はそのほとんどが海の藻屑と化した。


 船上で爆発時の様子を見つめていたリオメイラは何を思ったのだろうか。彼女は残った船舶、総数25隻に命令して、埠頭へ進撃するように命令した。彼女の命令を聞いて最初は兵の救助に向かうのだろう、と海軍側の司令官であるオースは思った。しかし彼の期待を裏切るように埠頭の近くで錨を下ろしたリオメイラは倒れている兵士達に一瞥もくれてやることはなく、崩れた瓦礫の上に立ち、市街区そして御殿があるだろう方向にのみ注目していた。


 「プロヴァンス公爵夫人!何をなさっているのですか!」

 「敵を見ている。それ以外の何をしているように見える?」


 彼女の目には炎が宿っていた。燃えたぎる港湾区を背景に、憎悪と恨みに支配された彼女は、すでに人を辞めているように見えた。


 「——なにを始めるおつもりですか?」

 「市街区に火を放て。今、この場所で燃えているものより、さらに禍々しい炎を放ってやれ」


 「なんと、よろしいのですか。それでは食料の徴発もできない」

 「は、そんな馬鹿なことがあるか。中心街は燃えるだろうが、それ以上はあるまい。何より、その方が貴様に預けた奴らも動きやすかろう」


 それは確かに、と思いつつもオースは渋い顔を浮かべた。瓦礫の山に登る道中、夥しい数の焼死体が縦五列に並べられている横を通った記憶が蘇る。物言わぬ焦げ死体になり、あまつさえ異国の地で没した彼らの無念を思えば、リオメイラのように復讐心に駆られるのは自然なのかもしれない。しかしそのような感情を覚えた経験がオース自身にはなかった。


 世話になった上官であるデュートラスト・ディオネーや海軍の同僚達、同格の将軍で自分と同じ玉なし仲間として連帯感があるマルセルと多くの部下を失っても、ヤシュニナの住民を恨むつもりにはなれなかった。彼らからすれば自分の国を守ることは当然で、失ってはもう取り返せないかけがえのないものを手放さないために剣を取ったに過ぎないからだ。


 「オース、すぐに動かせる兵士は何人だ」

 「荷下ろしに従事している兵士、遺体の回収に従事している兵士、宿営地を設置している兵士を除くと、二万五千弱ほどになると思われます」


 淡々と、感情を噛み殺して答えるオースにそうか、とリオメイラは返した。感情的にならない、という点をオースはかつて上官であるデュートラストから褒められたことがある。仲間の敵討ちに熱くなったり、自分のミスを取り返すために躍起になったりしない点が美徳であると言われた時、その意味がオースには理解できなかった。デュートラストの言いようではまるで自分は薄情な人間かのように言われたと思ったからだ。しかし今ならその意味も理解できる。目の前によい反面教師がいる状況ではなおさらに。


 「プロヴァンス公爵夫人。先ほど市街区に火をかける、とおっしゃいましたが、それは成功する可能性は低いと思われます」


 「ほう、根拠は」


 「ヤシュニナの家屋はいずれも煉瓦造りとなっています。寒冷地ということもあり、熱を家屋が逃がさないための造りでありましょう。屋根も瓦細工と断熱性にすぐれており、火を通すとは到底思えません。また、おそらくですが、家屋の配置からして隠れて見えない部分に広い空間があるものと考えられます。市内に火をかけようとすればその空間に火が集まってしまい、広範囲に広がらないのではないでしょうか」


 ふむ、とリオメイラは口元に手を当て、再びロデッカの街並みに目を向けた。確かにロデッカにも木造建築の建物はある。内縁区、すなわち中心街には古式ゆかしい木造建築の建物が多く林立している。しかしそこに至るまでの道はいいずれも封鎖され、帝国軍が火攻めを行うことを想定しているようだった。


 おそらくはほぼ無計画に広範囲にわたって拡張を続けてきたのだろうことがわかる、古い建物と新しい建物が入り混じった街並みを見ている時、オースはとあることに気がつき、リオメイラにそのことを上申した。彼の上申を聞き、なるほどとリオメイラは頷くと蠱惑的な笑みを浮かべ、再び復讐の炎を瞳に宿した。


 「いいじゃないか、これで奴らを全員殺せるってなもんだ。オース、今日中に御殿を落とすよ」



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