大戦佳境・朱色の国Ⅱ
倒木の将軍ジゼルは寝ぼけ眼で戦場を俯瞰していた。
彼の目には市街を走り、坂道の上にある白亜の城砦を目指す兵士達の後ろ姿が見えていた。片やヤシュニナの鎧を、片やムンゾ、あるいはガラムタの鎧を纏う多国籍軍、国家も起源も異なる彼らがくつわを並べて戦場で協力し合うその姿は、共通の敵の存在という皮肉な現実によって可能となっていた。
ヤシュニナとムンゾ、ガラムタの間にある確執は根深い。単純な従属関係に対する不満もあるが、各種の貿易格差、民族的対立、国民の流出などなど、とにかく上げればキリがないし、今更それを問題化しようなどともジゼルは考えていないが、個人個人の間にあるわだかまりはそうそう容易く払拭できるものではない。
しかし今のヤシュニナ軍とムンゾ、ガラムタ軍は互いに背中を預け合い、投石や弩による反撃にも臆せず突き進んでいた。危機的状況は人の意識を変革するには十分だということだ。なんと美しい話、美談だろうか。ただその美談をすんなりと飲み込めるほど、ジゼルも青くはなかった。
「——んー、ちょぉっと帝国軍がムンゾに偏っているかなぁ。ムンゾ兵の攻勢をちょっとだけ弱めろ。代わりにガラムタ兵の攻勢を強めさせろ。ヤシュニナはそのまんまで」
部下に指示を出し、ジゼルは呑気に水タバコをふかし始めた。兵の損耗は将来的な禍根を生む。有体に言えば「俺らの仲間がたくさん死んでるのに、なんであいつらは大勢生き残っているんだ」という元も子もない無駄な論争を生むきっかけになり得る。勝利を掴んでも協力して戦っていた内の一方がピンピンしていて、もう一方がボロボロだったら、なんで俺達が、という論争を生むのは必定だった。
兵の負担を均一化し、じわりじわりと麻縄で首をしめるがごとく、戦力を振り分ければ、必然の敵兵も同数を各所に分けざるを得ない。帝国軍の城内の兵士がどれほどのものか、ジゼルには皆目見当もつかないが、こちらよりも兵数が多いことは確実なので、少なくとも正攻法では城砦を突破することはできないだろうことは分かりきっていた。
正攻法で攻略できないなら、邪道で攻める以外に道はない。昨晩の軍議で決定された内容に粛々とジゼルは従い、なるべく兵士の損耗を抑える形で用兵を行った。こと耐える粘るという点においてジゼルの才覚は抜きん出ていた。投石や弩といった質量物による攻撃も市街区を盾にすることで回避し、瞬く間に壁面に殺到し、帝国軍の注意を壁側に向けさせた。気がつくと、市街区のさらに奥の方にある倉庫街からも鬨の声が上がり、城壁の第一層にちらほらとヤシュニナの旗が見え始めた。内陸部の部隊が第一層に登ったということだ。
「よし、じゃぁそろそろ攻勢を強めようかなぁ。初手ヤシュニナ軍、次手ムンゾ軍、三手ガラムタの順でそれぞれ攻勢開始。同時に投石機、破城槌部隊の用意を始めて」
ジゼルの指示を受けて、けたたましい銅鑼の音が市街区に響き渡り、角笛の歪な音色がその後に続いた。合図を受け、それまで市街区の端にとどまっていた投石部隊と破城槌部隊が一斉に動き出し、攻撃を開始した。投石に用いる巨石は市壁の瓦礫からいくらでも持ってこられる。破城槌は振ってくる矢の雨を屋根で防ぎ、構わず扉にぶつけられた。
数万の軍隊がそれまでの消極的な攻撃から転じて、前のめりになって攻撃に移ったのだから、帝国からすれば完全に虚を突かれた形となった。感覚的にはランチタイムでもディナータイムでもない時間帯に多数の客が来店したファストフード店に近い。第一層を占拠され欠け、海側の防衛部隊から兵を引き抜いた矢先の一大攻勢は瞬く間に連合軍が第一層に昇り切るという賛辞を生み、この時初めて内陸側と海側の反帝同盟軍は合流した。その喜ばしい出来事の中、突如城砦の一角から何かが飛び出してきた。
そう、城砦から何かが飛び出してきた。
外から見ると分かりづらいが、庁舎が置かれている城砦は城壁と隔絶された、さながら城壁を花弁に例えるなら、城本体は花弁をまとった子房や花柱のようなものである両者をつなぐ道は主に二つ、一つは城門だ。より具体的には城門を通れば城内に直通するルートを切り開ける。もう一つは城壁の第三層からのルートだ。なんとも面倒臭いことこの上ないが、城内に至るルートをなるだけ少なくするというのは守り手に有利と言われればそれまでだ。
その中、つまり未だに城門も突破していなければ城壁の第三層にも至っていない状況の中、城砦内部から何かが周囲の構造物を破壊する形で飛び出したのだ。巻き起こった土煙を確認したジゼルはようやくか、と部下に合図を出し、後詰めの軍隊、すなわち本営周辺の兵士に出撃の号令をかけさせた。命令を受けた兵士達はくるりと反転し、港湾区の一角を目指していく。そしてとある家屋の中へと消えていった。
隠し通路を見つけた、という報告をジゼルを含めた連合軍の将校達が聞かされたのはつい二日前の夕方の頃だった。その発見の功労者であるヤシュニナ軍の天弓の将軍キキによってもたらされた情報は宝石の王バヌヌイバの攻撃中止命令に不満を持っていた将兵達に命令の正当性を理解させたばかりか、歓喜の歌を唄わせたほどだった。
すぐにその隠し通路を使って攻勢をかけよう、という話になったが、キキが彼らに待ったをかけた。彼の主張を要約すると、敵の用意した道をそのまま使うのはバカ、ということだった。じゃぁどうするんだ、という意見に対してキキは自身の背後に立つ結晶龍の将軍ケンスレイの雄々しい胸筋を叩きながら、微笑を浮かべてこう言った。
「穴を掘りましょう」と。
キキの発言を受け、昨日の朝方から始まったのがケンスレイを先頭にした坑道作りだった。ケンスレイはロックイーター、その中でもさらに稀有な上位種であるマウンテンイーターだ。一体で鉱山全ての鉱石を食い尽くした、という逸話もある種族の名に恥じぬ働きで瞬く間にケンスレイは地下道が張り巡らされたポリス。カリアスの地下に新たな道を作り始めた。大変だったのはケンスレイが作った荒削りの道が崩れてこないように支柱を立てる兵士で、彼に置いてきぼりにされないように必死で作業をしたのだという。
結果的に坑道作りは成功した。その証拠にまだ軍が攻め入ってもいないはずの城砦内部から赤色の狼煙がモクモクと上がっていた。
「ひゃっはー、とか言ってそうだなー、将軍ケンスレイ」
視線を城砦からさらに上方へと移し、はるか上空の火花を見つめながらジゼルは嘆息した。彼の視線の先で交錯する無数の火花、それはなんのことはなく二人の人外同士の本気の殴り合いの証左だった。
「しぃ!!」
「らぁお!」
片や曲剣、片や二振りの戦斧を振り回し、両者は互いにしのぎを削った。膂力においては圧倒的にケンスレイが勝っている。体躯、種としての性質はもとよりレベルという点でもケンスレイを大きく上回っており、一度でも鍔迫り合いになればドルマが押し負けるのは必定だろう。
それがわかっているからか、ドルマはその速度を活かしてケンスレイの攻撃を全て躱し、生じた隙をついて俊足の斬撃を何度も何度も繰り出し続けた。その速度と剣の技量はケンスレイを以てしても感服の域にあり、憎き敵でもなければこれほど斬り合っていて楽しい相手はいなかっただろう。
「はぁはぁ。なんだ、お前!化け物か。どれだけ斬ってもなんで倒れん!」
速度を売りにする相手への対処法をケンスレイは心得ている。敢えて隙をさらし、自分のペースに引き込むという手法、あるいはひたすらに耐えて耐えて耐え続け、相手の息切れを狙うという手法の二択の内、ケンスレイが選んだのは後者だった。そも、前者のような頭を使う手法をケンスレイは得意としていないのだから、取れる手段は必然一つしかない。
速度を売りにする、ということはそれだけ息切れも早いということだ。肉の体を持っていることが少ない異形種には通じない理屈だが、人間種、亜人種には当てはまる理屈だ。速度に重きを置けば、必然的にパラメーターは速度以外の部分の値が低くなるのは必定だ。
「おいおいどうしたぁ、遅くなってんぞぉ!」
戦斧を振り上げ、それを思い切り振り回す。ただの一薙ぎが周囲の突風を巻き起こし、体の自由を奪われたドルマ目掛けてケンスレイはもう片方の戦斧の腹を叩きつけた。腹に食らった衝撃を逃がせず、そのまま市街区に激突するドルマをケンスレイは追撃する。
反撃を試みるドルマの斬撃を真正面から受けてもケンスレイはピンピンとした様子で振り下ろされた剣を筋肉だけで受け止めると、力任せの剛撃を彼の脇腹に叩きつける。常人であればその一撃を受ければ真っ二つになっていただろう。しかしドルマは驚異的な筋力でその一撃を耐え、隠し持っていた暗器でケンスレイの目を狙った。
自分に向けられた虚をついた一撃をよけようとケンスレイは首をひねる。超人的な反射神経を有している亜人種だからこそできる芸当だ。それでも頬を裂かれる程度のダメージは負った。痛みのせいで体の筋力が緩み、固定していた曲剣がポロリと落ちた。すかさず剣を握り直し、向かってくるドルマを遠ざけようとケンスレイは戦斧を大きく薙ぎ払い、旋風を巻き起こした。
「ちぃ」
「ははぁ!!」
喜色満面。好奇の表情で二人は戦闘を繰り広げ、それはより一層熾烈を極めた。
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帝国編はこれで終わりです。次回から、ヤシュニナ側に話が移ります。




