大戦佳境・朱色の国
シオンがデオンを討ったという勝報は瞬く間に伝播した。
当事者としてその場に居合わせた者は間近で達せられた偉業に歓喜し沸き立ち、伝聞で聞いたものは我が事かのように拳を握って感涙の涙を流した。帝国の大将軍、帝国の軍事力の最高峰にいた存在が味方の総大将の手によって倒れたという朗報は城攻めに精を出すヤシュニナ軍にとってこの上ない追い風となった。
味方の勝利に浮き足立つヤシュニナ軍はこれを好機と捉え、それまでは温存していた膨大な数の兵士を城砦目掛けて投入した。それはつまるところ、オークやトロル、獣人といった身体能力に秀でた亜人種、そして人の皮をまとった異形種を送る、ということである。
——狭い壁上、あるいは歩廊で自分よりも遥かに膂力、視力あるいは身長、あるいは反射神経に優れた敵を前にして帝国軍は瞬く間に第一層を奪取された。それは彼らにとて恥ずべきことであり、同時に自分達の大将の一人が討ち死にしたことを知るきっかけともなった。
どれだけ傲岸不遜な人物であろうと、大将軍は大将軍。帝国最高峰の武人の一人であるデオンが死亡した、というニュースは瞬く間に帝国軍全体に波紋を呼び、すぐさま健在であるノルムやボルフといった帝国側の主要な面々に伝えられた。
一報を聞き、ノルムは部下の手前もあり、舌打ちをこぼすだけにとどまったが、ボルフは大いに狼狽し怯えた様子で絨毯の上に座り込んでしまった。いや、座り込んだなんていう上品なものではない。しなびた草花のように腰が抜けたボルフはしゃがみ込んでしまった。
「まずいな。すぐにでも隠し通路を封鎖せねば。奴らに見つかるよりも早く」
「ですな。じゃぁ俺らが使った奴も?」
「ああ。すぐにとりかかるぞ」
副官であるドルマの言葉に頷き、ノルムは彼に城砦の地下へ向かうように命令した。城砦の構造上、城内と城壁は完全に隔絶されており、城を囲む城壁の第三層からのみから城内に入ることができる仕組みとなっている。対して、ポリス・カリアス全域に張り巡らされた隠し通路は城内直通の代物であり、発見されれば最も容易く庁舎が置かれている城砦を陥落させることができる。
ノルムとドルマ、そして彼女の率いる精鋭部隊がフーマンの元に突然現れたのも、この隠し通路の存在があればこそだ。ここ3日の間、その露呈だけが懸念されたが、どうにもヤシュニナ側が隠し通路を発見した様子はなかった。それは内陸の部隊はもちろん、海上の部隊もだ。
部下と共に駆け足で階段を降りていくドルマの横をすり抜けて槍と弓で武装した兵隊達が駆け上っていく。彼らの多くは死ぬだろうが、絶対数においてはまだまだ帝国は有利を取っており、城壁の第一層を占拠されたとはいえ余裕はあった。しかし、隠し通路がバレればすべてが終わる。最悪、内陸側のヤシュニナ軍が用いた爆ぜる鉄球を用いて根本から城砦を吹き飛ばすかもしれない。爆炎が城内のすみずみにまで広がっていく様を想像すると、いっそうドルマは使命感に燃え、足早に地下を目指した。
ここだ、とドルマは隠し通路へ通じる部屋のドアノブに手を回す。ドアを開き、中を改めるため、ドルマを先頭にして数十の兵士が室内に入った。そして中が無人であることを確認すると、扉を隠している小麦粉袋をどけ、その奥を灯りで照らした。
中からかすかに風が吹いており、恐る恐るドルマは先頭に立って辺りを見回すが、敵の影も形もありはしない。どこまでも続いていそうな石造りの回廊があるばかりだ。
「よし、柱に縄を巻き付けろ。それさえ引っこ抜けば周囲の歩廊は落石で封鎖される」
彼の部下達は頷き、歩廊の左右にあるつっかえ棒にそれぞれ縄を結んだ。そしてドルマの指示のもと、彼らが縄を引っ張ると、地響きと共に天井が崩れ、彼らの目の前で歩廊は落石に遭い、完全に封鎖された。
よし、拳を握り締め、一応の確認を取ろうとドルマは封鎖された歩廊の入り口に近づいた。試しに叩いてみるが、ピクリとも動かない。おそらくは空間いっぱいに大量の瓦礫が山積しているのだろう。仮にヤシュニナ軍が隠し通路の存在に気がついたとしても、これでは岩盤を掘り返す作業に追われ、城砦の攻略どころではなくなるはずだ。安堵し、ドルマは部下を引き連れて城砦の最上階へ戻ろうとした。
——その直後、彼らが背を向けていた歩廊が突然爆ぜた。
「ぁあ?」
なんだ、と振り返り廊下の奥に目を向けた。土煙がもくもくと広がり、目に入る。咳き込みながら顔を隠し、周りに漂っている煙を払いながら、ドルマとその部下達は煙の奥底を睨んだ。
「ぁあー、えーっと、ここぁどこだ?」
「位置は、まぁいいか。お疲れ様、直通だよ、キィヒヒヒ」
土煙の奥に影が見えた。一つは巌のように大きく、もう一つはそれよりは小さいが、下手な人間よりかは長身だ。そしてその二人の後ろにはさらに多くの影が見えた。
「おい、見ろよ。なんでか知らねぇが帝国兵がいるぜ?」
「ぉおお。ほんとうじゃあねぇか。しかもあん中にゃ見知った顔もあんなぁ」
その声の内一つにドルマは聞き覚えがあった。ズキズキと痛む顔の傷を抑えたい気持ちを我慢して、ドルマは腰の曲剣を振り抜いた。自らの上司が臨戦体勢に入ったことで、ドルマの部下達もそれぞれ腰の剣を引き抜いた。
やがて土煙が晴れ、いよいよ影の正体があらわになった。
現れたのは二人の益荒男、片や無数の結晶をハリネズミのように生やした巨大な獣型の亜人、片や金色の美しい長髪をたなびかせた長身のエルフを先頭に、人間、亜人が入り混じった混成軍であった。いずれも宝の輝きに魅せられた野党のごとくギラギラと瞳を輝かせ、眼前のドルマ達を前に舌なめずりをしそうな勢いだった。
「貴様ら、どうやってここに!」
頭では理解しながらも、ドルマは語気を荒げて余裕綽々とした態度で矢筒に手を伸ばすエルフに問うた。対してエルフは怒り心頭な様子のドルマを鼻で笑い、タンタンと足元の石畳を叩いた。
「掘った」
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