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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
199/310

大戦佳境・朱色天国

 炎上するのは可燃物だ。可燃物とは燃えるものだ。この場において、燃えるものとはなんだ。


 「木材が置かれている倉庫区画に火を放った、か」


 城砦から燃え上がる倉庫街を見つめながら忌々しそうにデオンはこぼす。有体に言えば腑が煮えくり返る思いだ。策士策に溺れるとは言うが、こうも見事な応酬をされると己の未熟さを恥じることしかできない。


 倉庫街に投石機を隠し、防壁を越えてこようとするヤシュニナ軍を殲滅する、という作戦を考えたのはデオンだ。その策は見事にハマり、壁上の防衛を突破してのこのこと顔を出したヤシュニナ軍の騎兵に対して、総勢三十機の投石機が一度に抱えていた巨石を投げつけた。巨石は現れたヤシュニナ軍に降り注ぎ、集まっていた彼ら数百を肉塊へと変え、後列の兵隊の足をすくませるには十分な戦果だった。


 その戦果に貴族らしからぬ歓声を上げたことをデオンは恥ずかしく思った。底知れぬ全能感に酔いしれ、自らを稀代の名戦術家かなにかと勘違いしてしまうほどの歓声を上げ、思わず握り拳を作ってしまうほど、喜んだのも束の間、ものの十数分の内にヤシュニナ側からの反撃を受け、彼の策は文字通り灰燼に帰した。


 「ディートリッヒ将軍、いかがなさいますか。倉庫街に火の手が回って、ああ!このままでは住民が避難している地区まで火が回ってしまいます!」

 「伯爵様、鎮火のお許しを!ポリス・カリアスを守れても物資が燃え尽きては元も子もありません!どうか!どうか!」


 口々に彼の脇を固める将校達は指示を仰ぐ。しかし怒りの只中、羞恥の火中にいるデオンにその言葉は届かなかった。貴族としてのプライド、軍人としての才覚、人としての自尊心の三つをことごとく傷つけられ、もはや人として振る舞う余裕は彼にはなかった。荒々しく唸り、胸壁に叩きつけられた拳が赤煙を纏い、烈火のごとき怒りを露わにすると、その場の空気を凍りつかせた。


 そのまま彼はズカズカと将校達を押し除け、左腕であるレナート・ド・ティルベルトを呼んだ。レナートはデオンの両腕、その左と称されている。先の戦いで亡くなったカルティオ・ド・ベスティーノは右と称された。階級はどちらも中将ながら、デオンの下にいなければ六大将軍に割って入れる実力者である。


 デオンに呼ばれ、即座に彼の左側に立ったレナートは腰を屈めて拝聴の姿勢を取った。身長が40センチも違うのだから、どんなに馬鹿っぽい格好でも、腰を屈めなければデオンの声はレナートには届きづらい。静かな一室ならいざ知らず、喧騒轟く戦場ならばなおさらだ。


 「レナート、私は出撃する。貴様もついて来い」

 「御意のままに。ですが、この場の指揮はいかがしましょう」


 「ベッテンカイルにでもさせておけ。奴はどうせ暇だろう。ただこの城で待っているだけで敵軍は来るのだからな」

 「であればこちらも籠城の構えをするべきでは?」


 なに、とレナートの言葉が気に障ったのか、あゆみを止めデオンは彼の胸ぐらを掴んで自分と同じ目線まで引き込んだ。灼熱の炎を宿したかのような憤怒の眼差しを向けられ、レナートは冷や汗をこぼした。


 「この私がああも、愚弄されたのだぞ。その上、貴様は私に臆病者のごとくこの場に止まれ、そう言うのか?」

 「失言を、お許しください。ですが、御身自ら敵の足元に出陣するなど、それは御身の格を軽んじることではないのですか?」


 「私の、格?——は、そんなもの、私の策を蛮族共が無に帰した時になくなっておるわ。いいか、私が今欲しているのは戦果だ。己の名誉を取り戻すための決定的戦果なのだ。この場に閉じこもってそれが得られるか?見たであろう、数日前のベッテンカイルの戦果を」


 ベッテンカイルの戦果とは彼女が敵軍の将軍首を取った時のことだ。名前は二人とも忘れたが、名のある将軍だ、とポリス・カリアスの市長であるボルフ・ド・ルメルニクが説明してくれたことだけは覚えている。


 それはデオンにとっては自刎物の屈辱だった。貴族である自分よりも先に平民の、しかも女であるノルム・ベッテンカイルがあろうことかヤシュニナ軍の将軍首を死地に赴いてまで取ってくるなど、プライドを傷つけるどころの騒ぎではなかった。あまつさえ、自らは度重なる敗北により周囲から嘲笑の的となっているのに、それを気にも留めず、戦功を重ねるノルムが嫌いで嫌いでたまらなかった。


 プライドや矜持、自尊心を回復するためには彼女を上回る功績を掴み取るしかなかった。精神的に追い詰められたデオンにとって、それは自らが死地に赴き、英雄的活躍をすることに他ならなかった。


 「伯爵様、どうかご再考を!このレナート、御身とならばどこまでも駆け抜ける覚悟でございますが、みすみす死地に赴くのを止めぬほど、忠義と陶酔を履き違える愚者ではございませぬ」


 「いや、いく。勝機がないわけではない。あの豪炎を見よ」


 デオンは壁際を燃える大火を指差した。未だ広がり続ける大炎はごうごうと燃え続け、その魔の手を倉庫街全域に広げようとしていた。もはや消化などできるわけもない。燃えるもの全てが無くなり切るまで燃え続ける、制御不能の業火だ。


 しかしそれを見て、デオンは先ほどまでの憤怒に駆られた顔が嘘のような凶悪だが希望に満ち溢れた笑みを浮かべてていた。彼の表情の変遷には安堵よりも悍ましさを覚える方が早いかもしれない。行き詰まった借金持ちがギャンブルに起死回生の望みを託した時のような危うさすら感じさせた。


 「あの豪炎は奴らを壁上に止めるだろう。それが我らの勝機だ。我らはあの炎の中に潜み、背後から強襲する。蛮族共もまさか炎の中に兵が紛れているとは思うまい!奴らの総大将を討ち果たせばこれ以上ない、栄誉と栄光を手にいれるだろうよ!」


 「いえ、それは!それは味方を死地にとどまらることではありませぬか。そのような戦い方できるものですか!」

 「できる。レナート、貴様は知らんのだな。この都市に数多拵えられた数々の秘密の通路を」


 真顔で滔々と語るデオンは足元を叩いた。レナートの視線はデオンから、彼の足元へと移る。


 「確か、倉庫のいくつかにも通じているはずだ。ベッテンカイルが使った手口と同じであることは癪だが、勝利のためには仕方あるまい。地下ならば火の手もこないであろうからな」


 「なんと、そのような道が」


 「これまでは奴らに通路の存在を気取られるやもしれなかったせいで使えなかったが、今は違う。よもや奴らも焼け落ちた家屋から我らが現れるとは思ってはいまい!」


 得意げに語るデオンの瞳は希望に満ち溢れており、彼の言葉には言い表せない説得力があった。まるで預言者の言葉を聞いているかのような気配さえあった。不思議とレナートも沸々と力が湧いてくるのを感じた。底知れない十全感が腹の奥底から立ち上がり、この上ない活力を与えてくれているような気分を覚えた。


 「兵を集めろ。すぐに向かうぞ」

 「——どこへ行かれるのですか、ディートリッヒ将軍」


 興奮のまま出陣しようとするも束の間、階段を降りようとするデオンを呼び止める声があった。振り返ると顔に火傷の痕がある長身の女性が立っていた。彼女はツカツカとデオンの前まで歩いてくると冷えた瞳で彼を睨みつけた。


 「ディートリッヒ将軍、軽挙妄動は謹んでいただきたい。貴殿の行動一つが我らを窮地に立たせるとお考えあれ」

 「なんだと、ベッテンカイル。匪賊の分際で貴族である私に指図をしようと言うのか?」


 「よしんば敵を背後から強襲したとして、それで討てない時は如何するおつもりかと聞いているのです。よもや隠し通路に逃げるなどと戯言を垂れるおつもりではございますまい」


 ノルムの指摘は厳しいものだった。平時であれば詭弁、虚偽を使って彼女を躱すデオンだったが、この時ばかりは頭に血が昇っていたせいで、ムキになって彼は反論した。


 「私が失敗などするものか。私にとってはここまでのすべてが奴らを誘い出すための仕掛けよ。そのためにここまで隠し通路の存在も秘匿してきた。すべて、私が考えたことだ。先走って隠し通路を使った貴様とは思慮の深さが違うのだよ」


 「では全滅を考慮した、と?全滅すれば我らは将軍を一人失うだけではなく、長年秘匿し続けた隠し通路を白日のもとに晒し、絶体絶命の危機を迎えることになるのですよ!」


 「くどい!貴様の発言には気に入らない点が三つある。いや、実を言えば百はあるが、敢えて三つに絞ってやる。一つは私の軍が全滅をする、と考えている点だ。この私を軽んじるなど、万死に値する。貴様が同格の将軍でなければこの場で叩き切ってやったところだ。二つ目は貴様の的外れな懸念だ。必ずしも蛮族共が隠し通路の存在を考えるわけではあるまい!あらかじめ隠れ潜んでいたのやも、と思うのが自然だろう。三つ目はその態度だ。貴族に対して匪賊が口答えをするな。貴様など最初から女としては見ていなかったが、今になるとなるほど、誰からも女としては見られんわな。はっ、その醜い火傷は大方ゴブリンかオークにでも付けられたものか?オークくらいしか貴様を嫁にな、ぅお!」


 「てめぇ、将軍に向かって舐めた口きいてんじゃねぇぞ、ぶっころすぞ、オラァ」


 突然横から伸びてきた手に胸ぐらを捕まれ、デオンの体が宙に浮いた。あまりにも突然のことにレナートも目を見開いて、しばらく静止したままだった。


 デオンの胸ぐらを掴んだのはノルムの副官であるドルマ・ボダーシュである。無精髭を生やした狼のような男で、体躯はノルムに比肩するほどだ。つまり大きいのだ。なにせこの場に集まった四人の中で最も背が低いのはデオンなのだから。


 「きさ、ま。放せ!貴族に、貴族に対して」


 「そうかい、じゃぁ」


 ズカズカとドルマは胸壁によじ登り、デオンの体を壁外に持ち上げた。かすかな悲鳴がデオンから漏れる。落ちても彼の技量であれば死にはしないが、体感的な恐怖は事実を捻じ曲げて彼に悪寒を覚えさせた。


 「こっから落としてやろうか、ぁあ?」

 「ドルマ、やめろ。ここで味方同士争っても益はない。そんなのでも大将軍だ。私は同格の将として、貴様の腕を切り落とさねばならなくなるぞ」


 ちぃ、と激しく舌打ちをしてドルマはデオンを石畳に叩きつけた。ゴロゴロと転がるデオンは憤怒と恐怖が入り混じった目をノルムとドルマ双方に向けた。


 「ディートリッヒ将軍、行きたければお好きにどうぞ。ですが、帝国の兵士として作戦失敗の暁にはきちんと責任を取っていただく」


 「ベッテンカイルぅ!貴様、この私をコケに」


 「勘違いなさるな。成功の暁には万雷の拍手と歓喜の渦が貴殿を迎えるだろう。しかし今の貴殿は何者でもない。ただの、功なき将軍にすぎん」


 冷たくデオンを拒絶し、ノルムはドルマを連れて城内へと消えた。残ったデオンは一人、屈辱に顔を歪ませ、その衝動のまま、兵五千を引き連れて、隠し通路へと向かった。


帝国大将軍の副将について


 デオン・ド・ディートリッヒの副将


・カルティオ・ド・ベスティーノ)帝国中将。レベル102。種族、ハイ・エレ・アルカン。デオンの右腕。軽い睡眠障害を患っている。


・レナート・ド・ティルベルト)帝国中将。レベル104。種族、ハイ・エレ・アルカン。デオンの左腕。デオンの麾下では最強の戦士。


 ノルム・ベッテンカイルの副将


・ドルマ・ボダーシュ)帝国中将。レベル110。種族、ハイ・エレ・アルカン。ノルムの腹心。西方遠征の数少ない生還者。

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