大戦佳境・朱撃応酬
崩れた第三防壁に対してヤシュニナ軍の攻勢が開始された。誇張抜き、大攻勢である。
並んだ騎兵数千は投石による援護を受け、並いる帝国軍を蹴散らしていく。前衛を走るのは槍騎兵だ。穂先が鍵状に曲がった特殊な槍を用いた軍団技巧:赤槍による突撃は赤熱をまとった騎兵らによる貫通力と衝撃に重きを置き、阻もうとする帝国兵の軍団技巧を真正面から砕いていく。
連日の投石攻撃で弓兵を配置する余地を帝国軍は残していない。斜面を陣地に見立て、馬房柵を設置するという苦し紛れの防護策を講じるが、それすら無意味に吹き飛ばされていく。
かつてのグリムファレゴン島において乗馬とは生き残るための手段だ。決して安住の地とは言えない、むしろ過酷の極みとも呼べる弱肉強食の環境において弱い種族が逃げ、その系譜を繋ぐために取得しなければならない技術である。
騎馬を用いた軍団技巧もその一環だ。例えば霧の大山脈から南下してくる龍や竜といった最上位種による暴威を退けるため、あるいは部族間の大陸で優位に立つために生み出された技術の一つである。しかし悲しきかな、それが常識だったのは160年前までのことだ。
160年前、ヤシュニナ氏令国という国の土台にあたる諸部族連合と呼ばれる組織が立ち上がった。その旗頭となったのがNotaと呼ばれていた少女、そして彼女とともにグリムファレゴン島に現れたシドとその一党だ。彼らの奮戦による、太古から跳梁跋扈していた巨獣や龍はことごとく薙ぎ払われ、それまで逃げ惑うばかりだった弱小種族達は平穏を得るに至った。
彼らが得た平穏は、しかし同時に彼らから文化をいくつか奪い欠けた。いや、実質的に奪ったと言っても過言ではない。その一つが乗馬だ。それまでは五歳のエレ・アルカンの子供でもできた騎乗し、俊足で雪原を駆ける「俊脚」と呼ばれる技巧を使えるものは激減し、騎乗するためには専用のスキルの取得をしなくてはならなくなった。
技巧とスキル、この二つの違いは大きい。技巧が感覚的、あるいは潜在的な能力だとすれば、スキルとは後付けの力だ。例えるなら、生まれつき高くジャンプできる種族がいたとして、彼らは生まれながらの技巧を用いてさらに高く飛べる。同じことはスキルを使えば可能だ。しかし、そのためには鍛錬や修練といった修行が不可欠になる。
——この点は現在のヤシュニナ騎兵にも共通して言える点だ。
かつては生まれながらの天性の才覚で自由自在に竜馬の手綱を握れたグリムファレゴン人は、その才覚を失い、後付けの鍛錬で騎乗するようになった。プレイヤーでこのことを例えると、スキルポイントを消費せずとも騎乗できたものが、いつの間にかスキルポイントを消費しなくては騎乗できなくなったということ、有体に言えば無駄、あるいは浪費とも呼べる行為だ。
生物的才能が消失するかもしれない、という危惧にあたって、約110年前の氏令の一人が実行したのが遊牧法と呼ばれるものだ。一部の都市に定住せずに伝統的生活を続ける人々に対して、軍馬となる竜馬の育成及び軍大学への進学と引き換えに、彼らのヤシュニナ国内での税負担を免除するという法律だ。この法律によってヤシュニナ軍側は質のいい軍馬と乗り手を確保でき、遊牧民側はこれまで通りの生活を営みながらもあらゆる税負担を免除されるという両者両得の関係ができあがった。
現在、帝国兵に猛威を奮っている前衛の騎兵達はまさにその法律の産物である。生まれながらに乗馬を得手とし、一糸乱れぬ強力な軍団技巧による突撃を可能とする彼らはこれまでの二つの防壁での戦いには投入されなかった最精鋭部隊である。
対して吹き飛ばされていく帝国兵を見て、シオンは眉を顰めた。彼らの練度は帝国正規兵の基準で見れば、並だ。それ自体は驚きはないが、第三防壁が落ち掛けている今、防衛に回された兵士として見た場合、どうにも実力不足であるきらいが否めない。
まるで時間稼ぎ、あるいは捨て石だ。
「トーカスト、コンプリート。第二部隊を出撃させろ。その後、我々も前進する」
「え、よろしいのですか。第三防壁が落ちるまでは第二部隊は動かさない予定では?」
「敵兵が弱すぎる。進撃を急ぐべきだ」
「え、ああ。そういえば。なんででしょうね。兵力を全て出し尽くしたなんてこともないでしょうし」
シオンに指摘されトーカストとコンプリートも首を傾げる。鹿人のトーカストが首を捻ると、シオンの視界が遮られて、鬱陶しそうに彼はツノをどけるように命令した。
これはしたり、とトーカストは咳払いをしつつ、命令通りに第二部隊に出撃を命じる。第二部隊は煙熾しの軍令イルカイ隷下の部隊だ。騎馬二千のその部隊は号令を受けると、怒涛の勢いで攻め上がっていく。前衛部隊に散々に蹴散らされた帝国軍にイルカイを止める余力などない。軍団技巧を発動させる間もなく、あっという間に第三防壁は陥落した。
その後に続くようにシオンは陣を動かした。護衛部隊を鉄腕の軍令アルガ・レゾーニャが、両翼をトーカストとコンプリート両将軍が固める極めて堅牢な陣を維持したまま、総勢一万の軍勢が城壁に足をかけようとしたその時だった。
——無数の巨石が壁上に降り注いだ。
対応する間などなかった。いかに熟達の乗り手を持ってしても死角からの巧撃に対応できるわけもなかった。
瞬く間に血飛沫が飛ぶ。ただでさえ血みどろだった壁上を朱色で塗り直すがごとく、弾け飛んでいく味方が巻き上げる血風を頭上に仰ぎ、シオンは表情を強張らせた。
血肉が舞い散り、それは大小の区別なく、等しく防壁を崩れ落ちてゴロゴロとシオンらの足元に転がった。竜馬の頭、体、後ろ足、人の胴体から足にかけていくつものパーツがバラバラになって降り注ぎ、防壁周辺は軽いパニックに陥った。
しかし転がってくる兵士達の装束を見て、シオンはある違和感を覚えた。下馬して兜を取り上げるとその違和感の正体が露わになった。転がってきたのはイルカイが指揮していた部隊の兜だ。区別するため、前衛を担当した騎馬隊の兜とは意匠を変えてある。周りに落ちた死体はいずれもイルカイが率いていた騎兵隊のものだ。最精鋭部隊の損失がなかったことに安堵を覚える一方で、イルカイは、とシオンは頭上に目を向ける。
投石の嵐を駆け抜けて、未だなお健在ぶりを露わにする精鋭騎兵の姿がまず見えた。こちらに向かって手を振るのは騎兵隊の隊長であり、アルガの副官でもある赤衣の将軍エフィクトである。自分の副官の健在に遠くで息をこぼすアルガの姿があった。
転進する、という合図を送り、エフィクトは部下ともども壁上から降りてきた。その判断自体は非常に合理的であり、シオンもとやく言うつもりはなかった。ただ彼らと一緒にイルカイとその副官が傷だらけになって降りてきた時は、少なからず彼は激情を覚えた。
「何があった。簡潔に説明しろ」
「帝国軍が倉庫街から投石をしてきました。倉庫の中に投石機を隠していたようで、こちらの死角から次々と」
位置は覚えているか、というシオンの問いにエフィクトはもちろんと答える。彼に図示させた場所に赤い駒を置きながら、シオンはその配置について探った。主にエフィクトが示したのは壁側の倉庫だ。距離にして100メートル圏内のところにある外縁部の倉庫で、シオンの知っている限りでは木材などがしまわれている場所だ。
投石機が置かれている範囲はそう広くはない。やはり100メートル圏内の倉庫内に置かれている。投石機の飛距離を考えればギリギリなのだろう。今はまだ隠されている投石機もその半径にあると考えるべき、とシオンは結論づけた。
——ならば後はそれらの居場所を炙り出せば、見え見えの罠も同然だ。
「どのように」
「決まっている。コンプリート、鉄球を投石機で飛ばせるか?」
「可能ですが、地上からでは防壁を越えられません。そうですね、屋根の上に設置するのがちょうどいいかと。ただ、着弾位置を観測しないと、精度に欠けます。間接射撃ですから」
問題ない、とシオンは立ち上がり、天に向かって走り出した。空を翔ける技巧の一つ「日走」である。
「私が観測手となろう。奴らの投石も天には届くまい」
一時的に指揮権をアルガに移譲し、シオンは空を翔けてゆく。そして彼の指示にしたがって、コンプリートは最後の鉄球十五個すべてを壁内へと放り込んだ。
——直後、事前に仕込まれていた火種と中の火薬が反応し、大爆発が壁内に轟いた。
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