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SoleiU Project  作者: 賀田 希道
第二次ヤシュニナ侵攻
196/310

断章——リリウスは笑わないⅥ

 あらすじ。


 時代は本編よりも175年前、まだプレイヤーという存在が身近に存在していた頃、大手レギオン「七咎雑技団」に所属するプレイヤー、トーチロッド・イクエイターはパーティーメンバーであるキース、焞一郎、マダム・フィッツジェラルド、コーギー、四蒼はファンゴルンの大樹海で発見した少年との人生を謳歌していた。


 三ヶ月、それが彼らが少年と共に過ごした時間だった。その時間を彼らが有意義に使ったかどうか、そんなことは些細なことだった。雨降る季節、再び現れた黒衣の吸血鬼から少年の真実を聞かされるまでは。


 少年の状態を聞き、彼らは激昂し、悲しんだ。彼らはただただ悲嘆に暮れた。何もできない自分を嘆きながら、あるいは憤りを覚えながら。


 これは一人のプレイヤーの自分語り。武勇伝とは名ばかりの人生最高の幸福の時間の物語である。

 まるで通夜のようだった。夜通し振り続けた雨の音を背景に俺達は寝たきりになった少年が目を覚ますのを待ち続けた。コーギーに掛けさせた回復魔法は効果を示さず、試しにレギオン内最高の回復魔法の使い手であるミトさんにも掛け合ってみて、彼女が治療を試みたがダメだった。


 落ち込む俺達に彼女はこう言った。「だってこれ病気とか怪我とかじゃないもの」と。どういうことだ、と俺は彼女に例の吸血鬼が言っていた薬のことを話した。薬の影響で少年は倒れ、いまもこうして苦しんでいるんじゃないのか、と訴えると、ミトさんは怪訝そうに眉をひそめ、苦しんでいる少年の手首を握り、僅かに瞑目してから首を横に振った。


 それがどれだけ俺に、俺達にとって衝撃的なことだったか、今となってはわからない。今となってはあの時の衝撃を言語化することはできない。だがわかるだろう?薬で中毒を起こしたと思っていた人間が実は違った、それじゃぁまるで薬をなんとかすれば少年を救える、命が助かると信じていた俺達がバカみたいじゃないか。


 「病気だったらウチは治せる。怪我も同じ。呪いは、ちょっと難しいけど大概は祓える。でも、こればかりは、ね」


 ミトさんは悲しげな目で少年を見て、口元を引き締めた。彼女が何を思っていたのか、何を思って少年を見たかなんて俺にはわからない。今もわからない。聞こうとも思わない。それでも医者である彼女が治せない、と断言したことだけが甚だ残念で、それは彼女にとって自分のプライドを傷つける発言に他ならなかったはずだ。


 最後に、と前置きをして俺はミトさんに、少年の体を蝕んでいるのはなんなんだ、と聞いた。彼女は瞑目して、それを開いてから、俺の問いに答えた。少年の体を蝕んでいるのは病気でも、怪我でも、ばい菌でも、寄生虫でも、発作でも、薬物でも、呪いでも、魔法でもない。ただの寿命だ、と彼女は答えた。


 寿命、俺達プレイヤー、引いてはこの量子世界に生きるすべての「人間」にとっては忘れて久しい言葉だ。大昔の人間はそれでたくさん死んだという。どれだけ健康体だろうと、どれだけ金を注ぎ込もうと、どれだけ徳を積もうと、どれだけ立派な人物だろうと、どれだけ頑張っても抗えない命の終着点。それは俺にとっても、俺の仲間にとっても衝撃的で、この言葉で言い表しがたい、感覚を覚えさせた。


 例えるならば、そう。ポロシャツを着ている時、胸を撫で下ろすと感じる、優しく胸に触れた時のような感覚だ。言っていることがわからないなら、ポロシャツを買って実践してみればいい。この時に中に下着を付けないのがポイントだ。直に肌に触れた時、ふわりという感覚を覚え、それがどうしようもなくやるせない気分に俺をさせる。


 ミトさんは最後、ごめんね、とだけ言い残して部屋から出ていった。俺達も出ていった。焞一郎(ジュンイチロー)だけが部屋に残って、他の五人は部屋の外で少年が目覚めるのを待った。


 そうして夜通し俺達が廊下で待っていると、コツコツという足音とヒタヒタという足音が聞こえた。それが靴音と生足の音だと気づいたのは足音の主が俺の前に立ち止まった時だった。見上げると、黒髪金眼の少年とロップイヤーの少女がそれぞれ俺達を見下ろしていた。


 説明する必要もないかとは思ったが、過日からホームを留守にしていたレギオンマスター、シドさんとその、なんだろう、友人のNoteだ。シドさんは俺を見るなり開口一番、大変だったな、と言った。


 「色々、聞いたよ。ベルとかセナから。吸血鬼と事を構えたってな」

 「だからなんです?俺らはそいつに負けたんですよ。今更、なんだっていうんですか?」


 キースが吼える。負け犬の遠吠えにでも聞こえたかもしれない。シドさんはゆぅくりと首をもたげさせて、キースに目を向けた。金色ではあるが、どこか曇った瞳だ。シドさんに気圧されてそれでもキースは吼え続けた。


 「今更、今更なんだって言うんですか!あんたに相談すればよかったんですか?俺達に何を言いにきたんですか!」

 「別に。ただ、一ついや二つほどアドバイスをしにな」


 キースの理不尽とも言える八つ当たりをいなし、シドさんは視線を俺に向けた。その時点ですでにキースのことは眼中にないようだった。


 「トーチロッド、俺からアドバイスだ。一つ、吸血鬼と戦うんだったらまずは相手の階級を考えろ。二つ、最後まで責任を持て。よくわからないもの、人物を抱える時は特にな」


 相手の階級を考えろってそれは俺達が初めにあの吸血鬼の階級を知っていればこんなことにはならなかったってことか?それと最後まで責任を持てだって?俺にとっての最後なんていうのはもうすぐそこまで迫っているのに、責任も何もないじゃないか。


 「レギオンマスター、それはどういうことですの?まるでアドバイスって感じでは」


 苦言をこぼすマダム。シドさんは大きなため息をついた。


 「お前らが敵対している吸血鬼はなんだ?死級吸血鬼だろ?」

 「それがなんだって言うんです?パス・モンスタークラスに俺らが勝てるわけないじゃないですか!」


 コーギーは怒りのままにシドに向かって大声で反抗する。モデルのコーギー犬のような愛くるしさはなく、飼い主に噛み付く犬そのものだった。でも、シドさんでもパス・モンスターに勝つのは不可能だろうに、はるかに弱い俺達にそれを求めるのは無情にもほどがある、と言いたいコーギーの気持ちもわかる。さもできて当然のように言われるから余計にイラつくのだろう。


 一方で当のシドさん本人は何を苛立っているんだ、とすっとぼけている。いや、多分あの人はアレが素なんだ。今になると理解できるが、1と10だけ言っておけば理解できるだろう、と色々と求めすぎているんだ。1から10まで懇切丁寧に言ってくれないと普通の人は理解しないし、それでも理解できない人間はきっと認知が歪んでるんだろう。空を見て青という人がほとんどで、雲を見れば白と言う人がほとんどの中、黒いクレヨンを持ってきてこれは黒なんだ、と青空に曇天を描くような輩、いやこれは今は関係ないな。


 まぁ、とにかく言葉足らずな人なのだ、シドさんという人は。近年、ようやくそれを理解してきたが、あの時の俺はただただ、初めからそう言えよとシドさんがため息をついて話し始めた説明を聞いて苛立ちを隠せなかった。


 「——じゃぁ、シドさんは今の俺達なら勝てるって言いたいんすか?」

 「そー言ってんじゃん。お前らが今後どうするかについてはとやかく言うつもりはないけど、もし復讐を考えているなら、ちゃーんと準備しとけ?俺らもサポートをすっけどさぁ」


 「協力してくれんすか?」

 「サポートだよ。レギオンメイトが心を砕いてるんだ。だったら、俺もレギオンマスターとしてさ、助言だったりはするさ。ま、俺がやるのはあくまで助言ってだけで助っ人よろしく戦いに参加はしないがな」


 それでも十分すぎた。俺達にとって、渡りに船だった。歓喜に湧く中、静かに唐突に部屋の扉が開いた。中から出てきた焞一郎が暗い表情を浮かべて扉を閉める。シドさんに気づいて一礼をした後、改めて俺達に向き直り、ぽつりぽつりと中での出来事を言い始めた。


 「あいつ、目が覚めたよ。でも息がとても荒い。なぁ、なんか手はないか?このままじゃ死んじまうよ」

 「焞一郎、ミトさんが言ってたじゃねぇか。あいつはもう先がねぇって」


 「はぁ?だからって、諦めていい理由にゃなんねぇだろ。俺は、あいつを救ってやりたいんだよ!」


 無理だ、と言うのは簡単だ。いや、実際に俺に代わってキースがもう焞一郎にそう言った。俺もマダムもコーギーも四蒼(スーラン)も受け止めている中、焞一郎だけは諦めることを固辞した。それだけ少年に思い入れが深かったのだろう。


 俺達があーだ、こーだ、と言い争っている光景をシドさんはずっと眺めていた。時折、彼の首に抱きついているNoteという少女のほおを摘んだりしているだけで、別段口を挟んできたりということはなかった。それでも何かが気になったのか、俺の肩をつついて、なぁ、と声をかけてきた。


 なんですか、と俺が返すとシドさんはたいそう真面目な表情で、俺に一言「なんであいつって呼んでるんだ?名前とかないの?」と聞いてきた。俺はシドさんの問いに答えられなかった。言葉に詰まり、思考が止まった。ああ、今思い返すと実に滑稽なことだ。俺達六人全員は哀れな道化だったのだ。


 「知りませんよ、そんなの」


 キースが答える。少年が自分の名前を名乗らなかったことを明かすと、じゃぁ、とシドさんは返した。


 「お前らで名前を決めてもいいんじゃないか?多分、名前ないんだろ、そいつ」


 生まれの事情を考えればその通りに違いない。家畜として育てられたあの少年に果たして名前なんてあっただろうか。全時代的な無菌室のような場所に閉じ込められていたあの少年には「自分」がない。自分は自分です、と他人に伝える一番の方法は名前を名乗ることだ。ああ、こいつは××という奴なのか、と相手に理解させる最も手っ取り早い方法を知らないまま育った少年にとって、きっと名前というのは俺達が想像している以上に崇高なものだったのだろう。


 そうと決まれば、俺達は早速円陣を組んで少年の名前を考えた。人間が最初にもらう形ある贈り物であるのは「名前」であるべきだ。そして名前のない人間はそのアイデンティティを確固たるものにすることはできない無垢なる存在だ。だから最初、俺は花言葉を取って「リリー(百合)」なんてどうかと提案した。しかしキースと焞一郎に却下された。曰く、あいつは男だろ、だそうだ。


 この量子世界で男も女もないようなものだろうが、外見は確かに男だ。ちゃんと男性器も付いているし、喉仏だってある。だったら、とマダムが提案したのは「バシレウス()」という名前だ。確かに王という名前は男らしい。でも、なんか、そう。なんか、呼びにくい。あとダサい。それならキングでいーじゃん、と焞一郎とキースがぶーたれた。


 そこでふと俺は気になってどこから取り出したのか、携帯ゲームで遊んでいるシドさんに、Noteのことを聞いた。彼女のことをそう名付けたのはシドさんだ、と風の噂で聞いたことがあったからだ。どういう意図でそう名付けたのか、気になった。


 「え?あーなんだっけ?」

 「シドくんさー。そんなに記憶力悪くなっちゃった?」


 「あー、思い出した。確か、記録するって意味だったかな?そう、こいつはそういうのができる奴だったから、Noteって呼んでるんだよ」


 未だもってその発言の真意はわからない。記録することができるからNoteってそれじゃぁ全人類みーんなNoteって名前になってしまうじゃないか。兎にも角にも自分達のレギオンマスターが名前を考える上で毛ほども役に立たない、と知ったところで俺達は色々と考えた。時々焞一郎がコーギーと一緒に離席して、苦しみを取り除く魔法を少年に掛けていた。それも、ただ少年を真反対に苦しめることだと知りながら、俺達はただただ自己満足のために少年に魔法を掛けた。


 そして、そう。大体話し込んでから二時間くらい経った頃、俺がこう呟いた、リリウスなんてどうだ、と。どういう意味だよ、と聞いてくるキースにリリーとレウスを組み合わせたもの、と答えた。


 「無垢な王、か。ちょっと穿ちすぎじゃないか?なんていうか、字面はいいのに込められた意味がダサいっていうか」


 「えーじゃぁ、なんも考えずにリリウスすか?それはちょっと」


 「じゃあ、リリウムのリリーはどうかしら?」


 コーギーがキースの否定に反抗した矢先、マダムがそんな提案をした。リリウムとはこれまた百合のことだ。別名らしい。ただ、こちらの花言葉は歓喜や優しさなのだと言う。頭がとっちらかる話だ。


 「じゃぁ、リリウム+レウスでリリウスでいいか?」


 キースの問いに俺達はこくりと頷いた。ちょうどその時、ゴホゴホという激しい痛みが部屋の中から聞こえてきた。急いでコーギーが駆け寄り、回復魔法をかけようとするが、少年が手を突き出してしないでくれ、と懇願した。


 「かっ、も、いい。も、いない」


 それは、恐らく少年が生まれて初めて自分の意思で何かを訴えた瞬間だった。少年は笑顔を浮かべていた。この上ない、優しげな笑みだった。ただそれは同じくらい歪で、俺達に心配をかけさせまい、としているように見えた。


 「なぁ、実はお前に贈り物があるんだ。受け取ってくれるか?」


 焞一郎が優しい声音で少年のみみもとでささやく。少年は真っ赤になった首を精一杯、縦に振った。苦しいはずなのに気丈に振る舞う少年が俺達は愛おしくてたまらなかった。もし生き続けてくれれば俺達は彼にもっと色んな景色を見せられたはずのなのに。


 「贈り物はなぁ、お前の名前だよ。ほら、名前がないと不便だろ、呼ぶのにさ」


 これまでは焞一郎がずっと近くにいた。だから呼ぶ時は焞一郎の名前を呼べばよかった。焞一郎はずっと少年と一緒にいた。だから呼ぶ必要がなかった。いつもお前、もしくはあいつで事済んだ。でもこれからは違う。少年はこことは別の世界に旅征くのだ。ならば、名前がなければ不便だろう。


 名前、と言われて少年は涙を流し始めた。なぜだろうか。いや、きっと初めて誰かから贈られる物の重みを理解した人間は誰だって泣くに違いない。名前はそれだけ重いものだ。決して笑ったまま受け取ることなどできない。——俺やキースらはその感情を忘れて一体何年経ったのだろうか。今は少年が泣いた理由が理解できる。でも、当時はわからなかった。また泣き出したよ、ぐらいにしか思わなかったのだと思う。


 「——リリウス、お前の名前はこれからリリウスだ」


 「いい、うす?」


 「リリウスだよ、リリウス。優しい王様って意味だ。リリウスはこれから、リリウスって名乗るんだ。俺達からお前へのこれが、最後の贈り物だ」


 泣き続けるリリウスはきっと意味なんてどうでもよかったと思う。ただ初めて、生まれて初めて一人の人間としてみたもらえたことが嬉しかったのか、嗚咽を漏らしながら泣き続けた。この時間は永遠に続くかのように思えたが、運命は残酷で、そんなに長い間、リリウスが泣き続けることはなかった。


 一体、いつからだろうか。リリウスが泣き声を上げなくなったのは。気がつくとリリウスは息をしなくなっていた。駆け寄って脈を取っても、心臓の鼓動は感じなかった。コーギーが魔法で無理矢理心臓を動かそうとするが、焞一郎が半ば強引に杖を取り上げることで、それをさせなかった。


 リリウスは死んだ。名前をもらってわずか数分で彼は死んだ。最後まで彼は笑わなかった。ただ泣き虫のまま、泣きじゃくりながらリリウスは死んだ。


 部屋を出ていく俺達をシドさんが待っていた。俺に折りたたんだ紙切れを手渡し、無言のままシドさんはその場を立ち去った。


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