大戦佳境・転火激昂
上陸作戦に対する対応は二段階構造となっている、と言われている。第一段階では上陸前の迎撃、投石機やバリスタ、弓矢など、飛び道具を用いて敵の上陸前に数を減らすことが目的だ。言うなればこれは防衛体制を整えるまでの時間稼ぎのようなものだ。それは装備、陣形という物質的な面だけにとどまらず、覚悟や決心といった精神的なものも含まれる。
続く第二段階では文字通り、白兵戦に移る。白州を、海岸を、森林を、民家跡を戦場にして、くんずほぐれつ、衆道小説さながらの汗臭く、泥臭い殴り合いの喧嘩に移る。上陸した敵軍を海に押し返すことはもちろん、防衛目標になるだけ近づけないことが優先される。
他方、上陸してくる部隊はこの目を血走らせてバカみたいに大きな弩の矢だったり、無限にありそうな矢の雨だったり、落下してくる巨岩だったりをどうにか凌いで上陸し、勝利を目指さなければならない。この世界が最低でも14世紀の技術水準にあれば、大砲を搭載した艦船が援護射撃をして、彼らのいく末に少しでも光を照らしたかもしれないが、帝国はもとよりヤシュニナにも大砲を搭載した艦船など存在しない。
「ま、だーから、上陸部隊は減るよな、そりゃ」
「どらんぽりん港」に上陸した帝国軍の部隊を見ながらシドはぼそりとつぶやいた。左右に交互に視線を送れば、すでに両翼の港にも帝国軍が上陸したことを知らせる狼煙があがっていた。嘆息し、シドは攻撃を上陸した敵部隊に集中するように指示を出す。
彼の命令を受けてそれまで上陸前の敵船に向けられていた矢が上陸した帝国軍に降り注ぐ。苦心して上陸した彼らに息をつく暇もなく、降り注ぐ雨のごとき矢の暴威は戦意を挫くには十分で、まとまりを欠いた帝国軍はお得意の軍団技巧で防ぐ間もなく次々と屍の山を築いていった。
上陸作戦の肝となるのはいかに早くして橋頭堡を築くかだ。一度でも橋頭堡を築けば、それを通じてより多くの兵士を投入することができる。防衛側の主目的、敵軍を押し返すとはすなわち橋頭堡を築かせないということだ。
盾で矢を防ぐことはできても石を防ぐことはできない。運良く盾を何枚も消費して橋頭堡を築いたとしても即座に上空から落ちてくる岩石によって盾の内側の人員が殺され、主なき防具がパタンと地面に倒れた。
まさに攻撃側にとってここまでの地獄絵図はない。いつ終わるかもわからない作戦、それは兵士達の気力に大きく影響する。自分の死が確定しているような戦場に飛び込む人間はよほどのバカか、あるいは死にたがりのいずれかだ。ただ、もし勝算があって戦場に飛び込む人間がいるのなら、人は彼を英雄、または天才と呼ぶ。
「お、やばいな」
鐘塔の上から戦場を俯瞰していたシドは押し寄せてくる帝国軍の上陸部隊を見て、ぽろりと感想をこぼした。すぐに人を送り、「どらんぽりん港」の防衛指揮官である緑糸の刃令ジャマルに彼が感じた危険について知らせた。
「なにがやばいんですか、先生」
「そりゃ、組織立って連中が上陸しようとしてきているからですよ」
背後からの声にシドは応える。その直後、シドは脳内にクエスチョンマークが現れ、確認のため後ろを向いた。そしてさらに脳内でクエスチョンマークを出現させた。
彼の背後にはこの場にはいないはずの少女が双眼鏡片手にちょこんと、腰をかがめていた。平時からブーツを履いているせいで、あまり気品めいたものは感じなかったが、戦場という血生臭い空間にいると、やはり彼女の異質さと気品さは際立った。
「なんで、ここにいるんですか、グリームヴィルゲット皇太女殿下」
「なんでって。先生のことが気になったからですよ?それに他国の戦争を観覧できる機会なんて滅多にありませんもの。我が国の戦争を見せたのですから、これでおあいこではないくて?」
無茶苦茶言ってやがる、とシドは呆れてものも言えなかった。そもそもあの戦争は、と脳内で反論を考えたが、言っても仕方ないことだと察し、ため息をついて視線を戦場に戻した。
「それで、先生。何がやばいんでしたっけ?」
「話を戻しましたね。言うほど難しいことじゃありません。奴らの、おそらくは上陸部隊の指揮官は探っていたんだと思います、角度と精度、そして練度を」
「どういうことですか?」
きょとんとするグリームヴィルゲットにシドは一言、見ればわかります、と言って彼女に双眼鏡を使うように促した。生返事をして彼女は双眸を双眼鏡に当てる。
戦場では絶えず矢の雨が降っていた。剣林弾雨と言う言葉があるが、まさに現状はその言葉が相応しく橋頭堡の確保に躍起になる帝国軍を容赦無くヤシュニナ軍が叩き潰すという構図は変わらないかに見えた。しかし徐々に、それでいて確実に、帝国が築く橋頭堡の数が増えていた。
ひとつの地点に集中して投入された帝国軍は船から飛び降りると瞬く間に盾を構えて前進し、頑強な橋頭堡を築き上げた。一度、橋頭堡を築き上げれば間断なく兵士達が送られ、彼らは方陣を形成してヤシュニナ軍とついに白兵戦を始めた。
数においては帝国が圧倒的に優位だ。それを地の利を得ることでどうにか均衡させていたヤシュニナ軍にとって同じ土俵で戦うのは明らかに不利だ。軍団技巧同士でぶつかり合うが、平地で戦えば分は帝国側にある。一日どころか百日の長とも言うべき集団戦術の専門家相手に近年導入されたばかりのヤシュニナ軍団技巧は付け焼き刃に見えたに違いない。
正面から戦いでは負けるな、と理解し、シドは鐘塔からグリームヴィルゲットの手を引いて飛び降りた。状況が理解できない彼女を抱き抱えたまま、着地し本営に駆け込んだ。
「界令ディスコ、戦力の消耗具合はどんなものですか?」
「よくないな。すでに正規兵に相当数の損害が出ている。バリケードまで追い詰められつつあるぞ」
でしょうね、と鐘塔から状況を見ていたシドは舌打ちをする。士気だけで勝てる戦など高が知れている。日々の訓練に勝る力はない。どれだけこちらが士気旺盛になったところで、圧倒的な実力差が彼らを食い潰す。
「どうする、非正規兵に戦わせるか?」
「それも一案ですが、帝国軍の集団戦術に勝てるとは思えません。ま、だからちょっとだけ手助けをしてきます」
きょとんとする二人の界令を他所にシドは竜馬を呼び、騎乗した。
「本営周辺の騎馬を少し連れて行きます。いいですか?」
「かまわんが、どうするつもりだ、シド」
「敵軍の連携を砕きます。特に刃令ジャマルが指揮している地点を重点的に」
ディスコの問いに応えたようで、応えないままシドは騎馬百騎弱を率いて「どらんぽりん港」に向かって駆け出した。シドに並走する形で副官であるカルバリーも彼の後に続く。
なにをするつもりだ、と聞いてくるカルバリーにシドはしたり顔で「連中の連携を崩す」と応えた。だからどうすんの、と語気を荒げるカルバリーを無視して背後を走る騎兵らに弓を装備するように指示を出した。
「いいか、全員!帝国は今、攻勢方陣を使っている。攻勢方陣は攻撃に秀でているが、防御は薄い。矢は通る!帝国の士官級を見つけたら、奴らを狙撃しろ!連中はそれで統制を失う!」
帝国軍は強力な戦闘集団だ。平地での集団戦術は大陸東岸部屈指のものだろう。その証拠に帝国軍はロサ公国の騎兵隊を打ち負かし、かつてない規模の巨船を用いた連携によりあわやヤシュニナ・ガラムタ連合艦隊を壊滅寸前にまで追い込んだ。
だが、その連携は優れた状況対応能力があればこそ、突き詰めれば優秀な部隊長の存在が必要不可欠となる。どの軍隊でも言えることだが、騎兵単品でもある程度の行動、手段、戦術価値があるヤシュニナと比べ、あるいは巨船というトップオブトップの判断が全体に直結する海軍と異なり、陸軍にとって部隊長の質は大きく影響する。
完全なマニュアル主義でありながら実力主義が顕著な帝国において、そのどちらの主義主張も併せ持った、言うなれば清濁併せ吞むことができる士官級は一般兵士百と等価だ。つまり、長々と話してきたが、シド達の狙いは明らかだ。
「さぁ、戦争だ!戦争しようぜ!」
竜馬を駆り、シドは戦場に飛び込んだ。彼に続いて百騎の騎馬が戦場に現れた。そして間髪入れずにシドは無詠唱化した魔法を戦場のど真ん中めがけて放った。光の放射がその場の人間の視力を奪う。両者共に前が見えずわずかな停滞が生まれた中、シドを先頭にした騎兵隊が戦場を駆け抜け、シドが指差した帝国兵に矢を射掛けた。
ヤシュニナ兵と帝国兵の差は集団戦術の練度と物量でしかない。個々の実力は種族差も相まって五分と言える。ならばその内一つでも欠いてしまえば形勢は均衡する。
シドの魔法が飛び、次いで、ヤシュニナ騎兵による鋭い狙撃が帝国士官を襲う。シドの魔法に撃たれた士官は言わずもがな、ヤシュニナ騎兵に射たれた帝国士官ももんどりうって倒れていく。
突如として現れたヤシュニナ騎兵の猛攻に帝国軍は驚くだけでは済まなかった。次々と士官が倒れていく中、彼らの意識は我が物顔で戦場を疾走するヤシュニナ騎兵に否応なしに向けられる。
「ぁあ、殺せぇ!奴らを殺せぇ!」
軍団長らしき士官の怒号を受け、それまでヤシュニナ正規軍に向けられていた戦力の一部がシド達に向けられた。矢を放って応戦するが、光盾によって阻まれ通らない。ちぃ、と舌打ちをしながらシドは反転を命じる。
退避する道すがらもシドの魔法は空を駆け回り、的確に部隊長の頭部を貫いた。わずか十分程度の短い時間で彼らが刈り取った帝国士官の数は実に二十を超えていた。大隊長から中隊長へ、そして小隊長へと伝達される命令に齟齬が生じ、帝国軍全体に歪みが生じる。
斬首作戦ならぬ、断径作戦。すなわち神経を断つように、シドと彼の部隊は的確に帝国軍の神経部を刈り取っていった。彼のもたらした毒は時間を置くごとにより顕著となり、集団戦術の体を成さなくなった帝国軍に対して左右の岬、そして最遠部の二港から合流した部隊を加えたヤシュニナ軍が攻勢を始め、その脆さが如実に現れた。
その日の戦いで、ヤシュニナ軍と帝国軍共に多くが傷ついたが、最終的には帝国軍の上陸作戦を阻止したヤシュニナ軍に軍配が上がった。
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