大戦佳境・転機到来
ヤシュニナ氏令国第二の都市、アル=ヴァレアは巨大な物資集積所である。
首都ロデッカが東方大陸から送られてくる物資が集まり、大陸各所に流通させる役割を持つならば、アル=ヴァレアの役割は集積した物資をヤシュニナ全土にめぐらせる役割を持っている。ヤシュニナという国家の心臓とも言える都市なのだ。
広さはロデッカの半分程度、巨大な湾が目を引く湾岸都市で、湾の左右の入り口にはあらゆる海棲モンスターの侵入を防ぐ「不鎮の火」が燃えている二つの灯台が見える。灯台の周りにはいくつもの水城が築かれ、海から侵入してくるモンスター以外の敵への対策もされている。
市内には大型の船を修理するためのドックが多数あり、ただの物資集積所としての機能以外にも造船施設としての側面も有している。だがやはり一番目を引くのは港湾区一帯を占める巨大な倉庫街だろう。赤い屋根の倉庫が延々と地平線の彼方まで続き、無限に続いているような錯覚さえ覚える。
物資の充実具合という意味で言えば、アル=ヴァレアはロデッカに勝るやもしれない。なぜなら、東方航路を用いた船舶はいずれもロデッカを経由することを義務付けられているが、大陸から往来している船は多くがアル=ヴァレアに停泊するからだ。世界の富の半分はロデッカを流通し、もう半分はアル=ヴァレアで流通する、とヤシュニナの官吏は嘯くが、実際にはその通りなのだろう。アル=ヴァレアの隆盛ぶりがそれを証明していた。
——そのアル=ヴァレアが燃えていた。燃え広がる炎は止まるところを知らず、人、家、花、食べ物、飲み物、一切の差別も区別も侮蔑もなく、ことごとくに手を伸ばした。真昼の青空を黒煙が包み込み、その一箇所だけは夜になったかのような暗闇があり、なおのこと紅蓮の輝きが都市を輝かせた。
轟々と炎が燃える音と家屋が押し潰される音が重なり、倒壊音は収まるところを知らない。崩れ去る音は逃げ惑う人々の怨嗟の声と重なり、いっそ色めかしく響き渡った。
「いい声だな、え?」
根本から真っ二つに折れた灯台の瓦礫に鎮座しながら、彼女は蠱惑的な笑みを浮かべた。炎の輝きに目を奪われ、悲鳴に酔いしれ、刺さってくる憎悪に悶え喜ぶ女は声すら漏らして、心底その破局的な光景を喜んでいた。
灯台が壊れたことにより、それまで阻まれていた海棲モンスターが一気にアル=ヴァレアに侵攻した。それは風船に溜まった空気が一気に爆ぜるように、鬱憤を晴らさんが如く一斉に堰を切ったようにだ。
突如、大挙して押し寄せてきた海棲モンスターの大群に駐留していたヤシュニナ海軍は出航する余裕もなく、瞬く間に滅ぼされた。抵抗する力を失った都市の末路など悲惨に決まっている。まして降伏も交渉もできないモンスター相手なら二倍増しで悲惨だろう。
逃げる住民は喰われ、潰され、千切られ、裂かれ、飲まれ、砕かれ、浚われ、叩かれ、吸われ、痺れ、溶かされ、汚され、穢され、刺され、貫かれ、切られ、死屍累々の山と血池を築いた。人の油を溶媒にして、随所で上がった火の手が燃え広がる。炎は真の意味で差別はしなかった。炎が焼いた対象は都市の住民に限らなかった。彼らは押し寄せた海棲モンスターにも襲いかかった。暴れ狂う海棲モンスターが都市を跳ねればそれだけで被害はさらに広がり、アル=ヴァレアを壊滅的なまでに破壊した。
その地獄の露出とも言えるひどい腐臭ただよう惨状を前にして、女は笑っていた。この惨状を引き起こした張本人は呵呵大笑していた。
ひとしきり笑い終えたところで、女は自分の背後を固める部下に振り返った。燃え盛る都市をバックに女は彼らに向かって宣言する。
「——さぁ、お前ら。次だ。次に行くぞ。ロデッカを、燃やす!あたしらの全力を以て、クソ忌々しいヤシュニナの首都を焼いて、この戦争を終わらせるぞ!」
アスカラ=オルト帝国公爵夫人リオメイラ・エル・プロヴァンスは鬼気迫る凶悪な笑みをたたえ、部下達を鼓舞する。その行動理由が個人的な復讐だった、としても、彼女の部下達は黙ってそれに従った。
「——お待ちください、プロヴァンス様。軍の長として、一つ確認したいことがございます」
「ぁあ?なんだ?」
気分を害された、と不快感を滲ませてリオメイラは声を挙げた将校に向かって振り返る。彼女の目線の先にいたのはまだ若い将校だ。衣服こそしっかりしているが、まだ垢抜けていない雰囲気が漂い、どことなく戦争童貞感を感じさせた。
「プロヴァンス様はロデッカでも先のような住民の無差別殺人を行うのですか?」
「それが相手の心を挫く一番の手段ならねぇ。で、それが何か?」
「もしロデッカでもそのような作戦を立てるおつもりなら、我ら帝国正規軍は今後の作戦協力はいたしかねます」
「ぁあ?てめぇ、冗談のつもりか?笑えんぞ」
眉間に青筋を浮かばせてリオメイラは若い将校、オース・カルバトラに詰め寄った。彼の股間に手を伸ばし、無言のままそれを強く握りしめる。ぴちゅりと睾丸が一つ潰れる音が小さく聞こえた。それでもオースは表情を崩さず、代わりに口腔から細い血を流した。ぺっとオースが吐き捨てたのは血で染まった桃色の肉塊だった。
「口ん中の肉を噛み切ったか。は、いいじゃん。あんたのその度胸に免じて、その進言聞いてやるよ。ただ、どうしようもなくなったら破棄するけど、それでもいいね?」
「ぶふ、はい。構いません。理解しております」
「ああ、そうかい。じゃぁ進軍しようじゃないか。ヤシュニナの首都ロデッカを燃やしにさ!」
リオメイラを船頭に、帝国海軍が動き出す。奇しくもアンダウルウェル海域の戦いで敗北を喫した彼らがヤシュニナの喉元に噛みつこうとしていた。
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