断章——リリウスは笑わないⅤ
あらすじ。
時代は本編よりも175年前、まだプレイヤーという存在が身近に存在していた頃、大手レギオン「七咎雑技団」に所属するプレイヤー、トーチロッド・イクエイターはパーティーメンバーであるキース、焞一郎、マダム・フィッツジェラルド、コーギー、四蒼は採取クエストで訪れた森で一人の少年を発見した。
少年を連れ、どうにか危機を脱した彼らは自分達のレギオンホームに戻り、今後の対策を練ることにした。レギオンのサブマスター、エスティー・ベルと幹部級であるセナ・シエラからの助言を受け、敵の正体が強力な吸血鬼であることを彼らは知った。しかし二人とも少年がなんなのかはわからない、と言った。
これは一人のプレイヤーの自分語り。武勇伝とは名ばかりの人生最高の幸福の時間の物語である。
三ヶ月が経った。
唐突にそんなことを言われても「ほへぇ」としか思わないだろうし、その間に何があったとかいう声もあるだろうが、特筆すべきことは何もなかった。言い換えれば三ヶ月後に何かあったって話なんだが、まぁそれはおいおい話していくとしよう。まずはこの三ヶ月の間に何をしたかをダイジェストに語っていこうと思う。
三ヶ月、俺らはアービノンの少年とすごした。街に遊びに行ったり、レギオンホームの近くにある大瀑布から飛び降りたり、森林探索を一緒にしたりと色々やった。素直にあの時がこれまでの人生で一番楽しかった。至福の時間だった、と思う。このまま永遠にこうして遊んでいられたらどれだけいいか、そう思った。
少年の反応はまちまちだった。街へ遊びに行き、服屋へ訪れた時、少年は目を輝かせた。花屋に連れて行った時、少年は一輪の美しい花を見て、涙をこぼした。鐘楼塔から街の景色を一望した時、少年は大声を上げて泣き出した。一列に並んで蒼穹に消えていく白い鳥に手を伸ばして、少年は悲しげな呻き声を上げた。コーギーが買ってきたおもちゃを見て、そして遊んで少年は楽しげにバンバンと床を叩いた。
大瀑布から焞一郎に抱っこされて飛び降りた時、少年は聞いたことがないような叫び声を上げた。少年は、森林探索で大きなカブトムシを見つけて大いにはしゃいだ。泣きっぱなしだった少年は時間が経つにつれて喜怒哀楽を覚えていき、それはより複雑な感情表現へと派生していった。
少年は自分のことを何も話そうとはしなかった。少年はただ笑って、怒って、泣いて、悲しんで、俺らはそんな少年がいることが当たり前のようになっていた。でもそれも三ヶ月の内に終わった。終わりは唐突に訪れ、俺達はどうすればいいのか、全くわからず、ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。
あれは少し雨雲が濃い日のことだった。俺と焞一郎、マダム・フィッツジェラレルドは少年を連れて、街の中を歩いていた。街、街、とさっきから連呼しているがいずれも同じ街のことを示している。「七咎雑技団」のレギオンホームがある地区に程近い中規模の街で、煉瓦造りの建物が目立つ綺麗な街並みが特徴的な都市だ。
ケーキでも買おうか、という話になって俺が買いに行くと言うと、少年も着いていきたいと言い出し、流れで焞一郎も道々することになった。マダムはならば私も化粧品が買いたいから、と一緒に着いてきた。ホールのケーキを買うにしてもこんなにいらないだろう、とは思ったが、敢えて口にすることはせず、俺達は雨の中、街へと繰り出した。
ケーキを買い終え、店の正面にある交差点で馬車が通り過ぎるのを待っていた時だ。ゴトリという音が聞こえた。なんだろう、と音がした方を見るとケーキが入っていた箱が落ちていた。落ちた衝撃で蓋が開き、雨でクリームが溶けていく。あぁもったいない、と俺は思った。そしてちょっとだけ怖い顔でケーキを持っていたはずの少年を睨んだ。だけどその顔はすぐに緩んで、俺は少年に駆け寄っていた。
少年は胸のあたりを抑え、苦しそうに呻く。肌は青ざめ、呼吸は荒くなる。ぴしゃりと座り込んでしまう少年をどうすればいいのか俺達はわからなかった。試しに回復薬を試してみるが、えずくばかりで飲み込もうとしてくれない。コーギーでもいれば話は変わったのかもしれないが、あいにくとないものねだり以外の何者でもない。
「なんだってんだよ、おい!腹が痛いのか、トイレ行くか?」
焞一郎の問いかけに少年はふるふると首を横に振る。彼の呼吸はますます荒くなって、いよいよ状況が只事ではない、と察した俺は焞一郎に少年をレギオンホームに連れていくように指示を出した。うなずいて彼が駆け出した後、マダムと一緒に薬局へ向かおうとした時、唐突に黒い横薙ぎの一線が俺の鼻先をかすめた。
なんだ、と反射的に武器を取り出して俺達は前を見つめる。いや、わからないわけではなかった。当時の俺もわからないわけじゃなかった。ただ、どうしても現実を受け入れたくなかったから、なんだ、と虚空に向かって吠えたんだ。
「まったく、匪賊は記憶能力が低いと見える。一度でも相対したこの私の顔を忘れるとは」
鋭く尖った赤い瞳が俺とマダムを睨め付けた。断じて街中にいていい怪物じゃない。圧倒的な強者のオーラを感じた。ああ、こう言うと少しだけチャチに聞こえてしまいがちだ。そう、例えるなら道端で偶然うっかりグリズリーに出会したような感覚とでも例えようか。とにかくそれくらいの悪寒を感じ、恐怖を感じて俺とマダムは彼と相対していたんだ。
奴の言葉になんと返したか。多分「知るかバーカ」か、「名前も知らない奴の顔はすぐに忘れるだろ」のどちらかだったと思う。まぁ、とにかく相手の尊厳を傷つけるようなことを言ったのは確かだ。直後に奴が激昂して俺に向かって抜き手を放ってきたからな。
俺に見切れない速度ではなかった。合わせる形で奴の攻撃をガードし、右手の槍を勢いよく突き出した。そして右手首のスナップを上手く効かせて避けた奴を遠ざけようとした。俺の振り払いは奴の肩をかすめ、ひるんだ奴は10メートルくらい後方へ飛んだ。
着地と同時にマダムが雷撃を放つ。攻撃支援職の面目躍如と言うべきか、蛇行する稲妻が降り注ぎ、奴は真正面からそれを受けた。しゅーと液体が蒸発していく音を奏で、苦々しそうな表情で奴は立ち上がる。
「手洗い歓迎だ。まぁ、いい。別に私は戦闘をしにきたのではないからな」
先に手を出しておいて、と内心では舌を出していたが、話を腰を折っても面倒臭そうだったので、気分よく色々と奴に話してもらうことにした。俺が何も言い返さなかったからか、空気を読んでマダムを杖を構えたまま相手の出方を伺った。
「貴様ら雑種が抱えているガキ、そろそろ薬の効果が切れたのではないか?ついさっき、慌てて駆けていく駄獣もどきが見えたぞ?」
焞一郎のことだ。それよりも投薬だって?あの少年は一体なにをされていたんだ?わからないことが多すぎた。奴が次に何を言うのか、俺達は様子を伺った。
「あのガキはなんなのか、知りたいと言った様子だな。いいだろう、教えてやる。あれはな、供物だ」
「供物?神へ捧げ物かなにかってことかしら?」
「当たらずとも遠からず、我が主人、ザカルノート・ルイズヴェラー様への捧げ物さ。苦心したのだぞ、あれほど良質な贄を用意するのは。血の一滴、肉汁の一雫、肌の一枚一枚にいたるまで、厳選した高級家畜なのだからなぁ」
途端に点と点がつながった気がした。もっともそれは気がしただけで最後のピースがつながらなかった。そのことをなんで、と奴に聞くと野郎はキョトンとした様子で盛大にため息をついた。
「ある、死祖の横槍だ。どうやら私の努力が水泡に帰すのを楽しんでいるらしい。おかげで獣臭い樹海にまで出向いて、忌々しい古代の獣共と戯れなくてはならなかったから、いつかはきっちりと礼をするつもりだ。——さて、貴様ら、これからどうする?」
「どうする、とは?」
「察しが悪いな、下賤の輩は。選ばせてやると言っているのだ。私としては貴様らが追い先短いあの家畜小僧を巡ってどうこうしたい、と言ったところで別に構わんのだ。清められた空間で育てていたはずの健康体を貴様らは外気に晒し、穢した。もう興味も沸かん。一応は肉のサンプルを取っておこうと思って来てみたはいいが、私は生産者であっても調理人ではないのでね。この手をドブ水で汚すのは嫌なんだ」
めちゃくちゃなこと言ってやがる。じゃぁお前はドブ水を主人に捧げようとしていたってことじゃないか、なんて思ったりもしたが、言わない。ここは沈黙が正解だ。なにより、そんなことを嘯いていられる心の余裕がその時の俺にはなかった。
「だから、提案だ。あのガキが死んだら、私にその遺骸の一部でいい、よこせ。今後の研究に役立てようではないか」
——それはあいつとおなじような子供をまだ作るって言うのか。俺は雨で冷えた唇でそう聞いた。奴はああ、と短く清々しく答えた。さも当然のように、いけしゃあしゃあと。
「何を憤る。貴様らとあれに何の関わりがある?何を厭う必要があるんだ?
考えるよりも先に体が動いていた。技巧:韋駄天を用いた俺の瞬間速度に対応できなかった野郎の顔面に槍を突き刺した。途端に血飛沫が舞い、水たまりが赤く染まった。
「ぐぅ、くぅふうううう」
再生をしながら男は俺を睨む。憎しみで歪んだ俺と同じ色の瞳で俺を睨んだ。
「そうか、そうか。まぁいい。この街の最も高級な宿屋で待つとしよう。せいぜい、短い間、お人形遊びに興じるがいい」
赤い霧になって野郎は消えてしまった。結局、その日も俺は野郎に勝てなかった。
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