大戦佳境・海賀破綻
ヤシュニナ軍による進撃はその日の午前中から始まった。ずらりと並んだ彼らは前列、中列、後列に分かれ、前列はカトラスとバックラーを、中列は槍と梯子を、そして後列は先の二列の兵士が入り混じった渾然一体の軍隊となっていた。お世辞にも完全無欠とは言い難く、彼らの多くに傷痕が目立っていた。
数にして一万弱。兵力で言えばそう多くはない。しかし彼らの後背にはさらに別の軍隊が鎮座していた。ライオットシールドと同じ形状の盾と穂先にピッケルとも鉈とも鍵爪とも取れる奇妙な形状の部位を併せ持った長槍を装備するガラムタ軍、そして彼らと並行して並んでいる長槍と五角形盾で武装したムンゾ軍だ。
新たに港に入ってきた船からはタラップを通じて破城槌やバリスタ、投石機が降ろされ、ずらずらと並べられていく。いくつもの攻城兵器が顔を出し、それらは敵意を剥き出しにして弩は鋭い先端を血で汚れた市壁に向けられた。
兵器ですら敵意を露わにするなら、その前に並ぶ生身の兵士達はもはや敵意を隠そうとしないどころの騒ぎではない。殺意だ。圧倒的な殺意、闘争本能を掻き立てられ、獲物をぶら下げられた狼のごとき凶悪な、歯を剥き出しにした呵々大笑の笑顔で彼らは歯の隙間からよだれをにじませていた。
膨れ上がった激情はおさまりどころを知らず、過剰に分泌された脳内麻薬は、号令がかかるのを今か今かと待っていた。そしてその号令はバヌヌイバの手によってかかった。
「——全っ軍!突撃!」
ドッと空気が爆ぜたかのような音が鳴り響き、前列のヤシュニナ軍が突撃を開始する。ただ走り出しただけで大地が揺れ、蒸気のような汗が飛沫を上げて霧のように噴き上がった。怒号を上げての全力のフルスロットルの突撃だ。
しかして勢いとは裏腹にヤシュニナ軍は軍団技巧:光鱗を発動させ、じりじりと迫る。対して帝国はそれを読んでいたのか、市壁の内側から投石機を用いて反撃を開始した。
「投石です!」
「光盾では防げません!」
「こちらも投石機で反撃!あと破城槌部隊の用意を急がせて!梯子がかかったら突撃させて!」
上がってくる悲鳴をフーマンは檄を飛ばして黙らせる。昨日と異なる投石機を用いた攻撃、そして市壁の内側からも火矢が放たれている。発射速度からしてただ、弓を絞っているわけではない。恐らくは投射機を用いているのだろうとフーマンは推測する。
投射機は古くからある設置式の遠距離攻撃兵器だ。マガジンをはめ、ハンドルを回すだけで毎秒三発の高速度で発射するという連射速度に重きを置いた武器だ。市壁の上に置いていないのは奪われることを危惧しているからだろうか。
「中衛の各部隊長に伝達、半分を援護射撃に残し、残り半分は前衛に加わって。市壁に戦力を投入、その後に破城槌部隊を投入して、一気に市壁を突破するよ!」
フーマンの指示に従い、混戦を極める前衛部隊にさらに兵が投入される。さらに激しい投石の応酬、矢の嵐が兵士達に襲いかかった。上と下、それぞれから無数の矢が飛び交い、兵士達は自分達が生きているのか、死んでいるのかさえわからない状態だった。その最中、梯子が市壁にかけられた。戦いが始まって数十分と経過した頃のことだ。
梯子が架けられたことを確認したフーマンはすぐに後方のムンゾ軍、ガラムタ軍へ狼煙を上げさせた。露払いはヤシュニナ軍が行う、という作戦だったので、梯子がかけられてからはいよいよ温存していた数万の軍が動き出した。
「弓兵、道を開けろ!王の軍勢が通るぞ!」
「弩の用意始めろ、梯子もじゃんじゃん持っていけ!」
待ちに待った突撃に両軍の息が荒くなる。弓兵が道を開けると、彼らは怒涛の勢いで走り出した。飛んでくる矢の雨などお構いなしだ。
突っ込んでいく両国の軍勢の背中を見守りながら、フーマンは次の一手の指示を出した。すなわち破城槌部隊の出撃である。
先に攻撃を開始したシオン側の軍にはなかった攻城兵器の一つだ。さながら寺社の鐘を撞く棒を思わせる鉄でコーティングされた棒が矢避け屋根に守られ、車に乗せられる形で市街区と港をつなぐ鉄の扉へ向かって走り出した。気がついた帝国軍の弓兵達が阻止しようと矢を放つが、護衛の部隊がそれに対応する。護衛の部隊と言っても千人規模の大部隊だ。それが死屍累々の山を築き、破城槌の突撃を支援した。
破城槌が門前に到着するとやることはシンプルだ。寺の鐘を鳴らす時と同じように槌を引き、門に打ち付けるのだ。その衝撃で門が揺れ、上にいた帝国兵は目を剥いて焦りを覚えた。何度も、何度も破城槌部隊は搥を門に向かって打ちつけた。彼らを止めようにも矢避け屋根の下にいるヤシュニナ軍には矢は通らない。まるでハリネズミのように矢が刺さった屋根の下、汗を流して八人のヤシュニナ兵は必死に槌を鳴らした。
その様子を遠目に確認したフーマンは後衛に控えている予備の部隊に手をかけるかどうか、悩んでいた。ムンゾ・ガラムタの両軍が参戦したことにより、戦いの形勢は連合軍側に傾きつつある。元より目の前に広がる市壁だけで迎撃できるとは敵も考えていないだろう。フーマンが今すべきことはどこまでの出血を敵に強いることができるかだ。ただ勝つだけではだめだ。次の攻撃のためにどれだけ帝国軍を削れるかが鍵なのだ。
「——軍令フーマン、少しいいか?」
「はい、王バヌヌイバ。いかがいたしましたか」
思考を打ち切り、近づいてきたバヌヌイバにフーマンは対応する。なんだという気持ちがないでもなかったが、現状を鑑みれば特別な指揮は必要ないように見えた。フーマンは指揮をキキに任せ、バヌヌイバに向き直った。
「レイザが言っていたが、貴殿はこの先の戦いを考えているようだな?」
「おや?それはどういう意味でしょうか、陛下」
「単純だ。この市壁での戦いは前哨戦に過ぎん。決戦はあの庁舎であろう?そのために兵力を出し渋っている」
バヌヌイバが顎で示した先には白亜の城砦があった。ポリス・カリアスの象徴的建造物であり、有事の際の最後の砦だ。壁の高さは市壁と変わらないが。梯子対策としての鼠返しは元より、壁上に設置されたいくつもの投射機と投石機、他にも様々な仕掛けがありそうな不気味さを感じさせる城だ。
庁舎を攻めるとなればこの連合軍では足りないことは明白で、別方向から帝国軍の突破をはかっているシオンらと合流する必要がある。その点を考えれば戦力の温存、言い換えれば出し渋りをしていることは事実である。
「総司令官として、貴殿にこう命令しておく。予備部隊の投入は許さん」
「現在攻めている軍のみで勝利をもぎ取れ、と?」
「そう言ったつもりだが?」
「かしこまりました。では、これより市壁攻略に注力いたします」
「ああ、たのむ。願わくば今日の戦いでは祝杯を——」
「——軍令フーマン、大変です!!」
バヌヌイバの言葉を遮る形で飛び込んできた伝令にその場の全員の視線が集中する。なみいるお歴々の視線を一心に浴び、伝令はやや気圧されたが、すぐに持ち直して報告を上げた。
「大変です。門から突如として騎馬が出撃しました。その数およそ三千!」
「騎馬だと、どういうことだ!!」
「先頭を往くのは顔の上半分が焼けた女将校です。帝国旗と共に大将軍旗も掲げられていたことから恐らくは」
「——帝国正規軍六大将軍第六将、ノルム・ベッテンカイル、かい?」
おそらくは、と伝令は表情を曇らせて答える。厄介だな、と思いながらもふとした疑問からフーマンはキキを見る。彼のエルフの目があれば騎馬の出現は見抜けたはずだ。それが見抜けなかったというのはどういうことなのだろうか。
「キキ、まさか」
「軍令フーマン。そんな騎馬なんて私は見ていませんよ?」
「なんだって?」
じゃぁ、とフーマンはぎょっとして伝令を見る。
次の瞬間、その伝令は腰の剣を引き抜き、バヌヌイバに襲いかかった。




